永田裕志 後輩への競争心が生んだ「生涯ベストバウト」

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今年も例年通り1月4日に東京ドーム大会を行った新日本プロレス。永田裕志はキャリアの初期から東京ドームのリングに上がり、プロレス冬の時代にはメインイベンターとして新日本を守り続けました。これまで東京ドームで数々の名試合を見せてきた永田ですが、どの試合が特に印象に残っているのでしょうか? 『ケトルVOL.46』で、永田はこう語っています。

「東京ドームではいろんな試合をやりましたが、もっとも試合前にナーバスになったのはジョシュ・バーネット戦です(2003年1月4日)。彼はUFC(アメリカの総合格闘技団体)のチャンピオンでしたが、プロレスはデビュー戦。それが東京ドームのメインで、しかもIWGPヘビー級王座戦になった。今だったらあり得ないカードです。彼の総合のビデオを観てもまったくプロレスの試合のイメージが湧かなくて、どうすればいいんだって悩みましたね」

2000年代前半と言えば、新日本からスター選手が大量に離脱し、総合格闘技に押されてプロレスが苦しかった時代。本人が「今だったらあり得ない」と語るのも仕方のない一戦でしたが、バーネット戦の前年にも永田は東京ドームで素晴らしい試合を行っています。

「創立30周年記念の『闘魂記念日』(2002年5月2日)の高山善廣との一戦は大変に緊張感のある試合でした。闘魂三銃士の時代に主流だった派手な大技を返して返してどこまでいくんだって試合内容ではなく、殴り合いながら気持ちと気持ちのぶつかり合いを見せていった。新日本の30周年に相応しい闘いを見せられた試合で、メインイベンターとしての自分を確立した一戦だったと思います」

実際、会場も想像を超える盛り上がりを見せ、その年のプロレス大賞では年間ベストバウトも受賞。後輩への競争心がベストバウトを生んだわけですが、本人が選ぶ“生涯のベストバウト”は、アトランタ五輪のレスリング金メダリストからWWEのチャンピオンになったカート・アングルとの試合(2008年1月4日)だそうだ。

「僕はレスリングでオリンピックを目指したこともあり、金メダリストに対してリスペクトの気持ちがあります。しかも、カート・アングルはプロレスでも頂点に立った。そんなレスラーと闘うことができるというだけで試合前からシチュエーションが整っていました。結果は悔しいものになりましたけど、僕の思い入れと相手の力量がうまく噛み合って、リング上で完全燃焼したんです。『プロレスの極意をつかんだ』と錯覚するほど、客席からの反響もすごかった。

困ったのは、僕らの次にメインイベントで闘った棚橋(弘至)と中邑(真輔)だと思います。あの頃の僕は新しい世代にメインを譲っても、『大会のベストバウトはオレが出す』と思っていた時代で、彼らを脅かすことに快感を覚えていました(笑)。彼らに負けてなるものかって気持ちが、あの試合に結びついたんだと思いますね」

メインイベントではなかった試合を生涯ベストバウトにあげるのは、発言の本気さの現れ。昨年50歳を迎えた永田ですが、いまだに衰えぬ人気と実力を誇る彼なら、今後新たな“生涯ベストバウト”が生まれることも期待できそうです。

◆ケトルVOL.46(2018年12月15日発売)

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※この記事は、「太田出版ケトルニュース」に当時掲載した内容を当サイトに移設したものです。

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