今日までやらずに生きてきた
第19回

豊島美術館とたよりないもののために

暮らし

ここ最近、好きなミュージシャンの演奏を聴きに遠くまで行くということの楽しさに気がついた。近場で体験した演奏とはまた違った意味が生まれ、自分の受け取り方も変化するように思う。旅と音楽を融合させたその楽しみをまた味わいたいと思い、寺尾紗穂のコンサートに行くことを決めた。せっかくだからと、前の日から高松で過ごそうと思った。早起きして豊島へ行くこともできる。

ビールを飲みたくない自分が元気になるかもしれない未来の自分のためにビールを買っておく

具合の悪い寝覚めだが、出かける準備をしなければならなかった。13時発のフェリーに乗って神戸港から高松港まで向かおうと、重たい体を布団から起こした。

友人と楽しく飲んだ昨夜。居酒屋でもうだいぶ飲んでいたのに、帰り道に缶チューハイを買って歩きながら飲んで、それが余計だった。つまりは自業自得の不調なのだが、胃がむかむかして、だるくて、めまいがする。両手の指先で目のまわりをぐいっと押しながら、うなだれている。

結局、ギリギリまで動き出せず、やっと大阪から電車に乗って神戸の三ノ宮駅に着いたのが12時半過ぎ。そこからフェリー乗り場まで、本当は歩くのがいちばんの節約なのだが、徒歩25分ほどの距離があって、乗り遅れかねない。フェリーの出航時間に合わせて出る直通バスもあるが、それももう出発したあとだ。タクシーに乗って行くしかなく、余計なお金がかかってしまった。

フェリーに向かう通路をふらふらと歩く

それでなんとか出航時間には間にあって、ホッとして自由席のソファに身を委ねる。神戸-高松間を行き来する「ジャンボフェリー」には「りつりん2」という古い船と、「あおい」という、2022年就航の新しい船があって、私が乗ったのは「あおい」のほう。船内はどこも綺麗で、ソファの座り心地もいい。

元気なときは露天のテラス席で海風に吹かれながら缶ビールでも飲んで過ごすのだが、今は弱っている。平日の昼間ということもあって、それほど乗客もおらず静かな自由席エリアで、ただ目を閉じている。

少し眠って目を覚ますと、「あおい」の軽食コーナーである「ふねピッピ」がオープンしていた(このコーナーは出航から30分後に開店するのだ)。「ふねピッピ」の看板メニューはうどんで、香川県内にはうどんの名店が数々あるだろうけど、フェリー内で提供されるうどんもそれはそれで美味しく、ファンも多いと聞く。私自身、ジャンボフェリーに乗るたびに必ずうどんを食べる。この船に乗ることとうどんを食べることはセットになっている。

二日酔いから回復するための自分なりの方策として、食欲が少しでもあれば、とりあえず何か食べることしている。水分もできるだけとって、あとはゆっくり休み、何度もトイレに行くと、少しずつ快方に向かっていく。

幸い、うどんを食べたいという気持ちはある。券売機で、「さぬきレモンうどん」と缶ビールを買う。缶ビールは、今、まったく飲みたくない。なのだが、あとで飲みたくなったときのために、面倒だから今買っておくことにした。最近では規則が厳しくなったのか、酒類を買う際は対面で、「このあと絶対に車を運転しません」という意味合いの署名をする必要がある。今買っておけば、その署名までこの場で済ませられるから、楽なのだ。ビールを飲みたくない自分が、元気になるかもしれない未来の自分のために、先にビールを買っておく。

しばらく待って、「さぬきレモンうどん」ができあがった。同じものを以前にも食べたことがあった。香川県三豊市の仁尾町で生産されたレモンが入っていて、防腐剤など不使用のものなので皮まで食べられるという。レモンの酸味が出汁とよく合って、美味しいのだ。

このレモンが自分を回復させてくれそうな気がする

ゆっくりとうどんをすすり、缶ビールはあけずにそのまま自由席に持って帰って、また目を閉じた。かなりの時間が経ち、一度テラスに出て海を眺めたが、寒くてすぐに戻った。また眠る。本当は急ぎの仕事があって、「船の上で片付けよう!」と過去の元気な自分は考えていたのだが、パソコンを広げる気力はなかった。結局、高松港に着くまでの3時間半ほどのあいだ、私は一切何も考えず、ただ呼吸を繰り返していただけだった。缶ビールは飲まぬままリュックにしまった。

何も考えない、豊かな空っぽの時間だった

高松港から無料の送迎バスに乗って、JR高松駅前に到着した。そもそも私がなぜ高松まで来たかというと、明日、高松駅から電車で30分ほどの丸亀駅前にある「猪熊弦一郎美術館」で、シンガーの寺尾紗穂のコンサートがあって、それが目的なのだ。

ここ最近、好きなミュージシャンの演奏を聴きに遠くまで行くということの楽しさに気がついた。私は大阪に住んでいて、大阪は大きな街なので、色々なライブやコンサートが開催される。京都や神戸も範囲に含めれば、だいたいいつだってどこかで気になる誰かが演奏しているものだ。それはとても恵まれたことだと思う。

その恩恵にあずかってはいるのだが、あえてもっと遠出して音楽を聴きに行く。そうすると、近場で体験した演奏とはまた違った意味が生まれ、自分の受け取り方も変化するように思う。家から30分の場所で聴いた音楽と、電車や船を乗り継いで半日かけて聴きに行った音楽が同じなわけがない。山に登って食べたおにぎりの味みたいなものだ。

旅と音楽を融合させたその楽しみをまた味わいたいと思い、寺尾紗穂のコンサートに行くことを決め、せっかくだからと、前の日から高松で過ごそうと思った。高松に宿泊すれば、早起きして豊島へ行くこともできる。豊島は高松駅近くの乗り場から高速船に乗って50分ほどで行ける離島である。近くの直島のように“アートの島”としての活性化が試みられてきた土地らしいと、知ってはいるものの今まで行ったことがなかった。

その豊島には「豊島美術館」という施設があり、友人のひとりが「世界でいちばん好きな場所」と、そこのことを話してくれたことがあった。その話を聞いたのはもう何年も前のことだったが、いつか行ってみたいと、ぼんやりと思い続けてきたのだった。

「明日、豊島美術館に行って、高松に戻って丸亀まで向かい、寺尾紗穂の演奏を聴く」と、それが今回の旅の主眼となり、今、高松の街に来た。

夕暮れの高松駅前を歩く

宿は事前にとってあるが、チェックインの時間はあらかじめ遅めに設定してあり、この夜の予定は何もない。明日のことがあるから早めに寝ようとは思うが、どこかで食事はしたい。フェリーでずっと寝ていたから、お酒を飲みたい気持ちも戻ってきた。

高松の大きな商店街のほうへ歩いている途中、「頼酒店(らいさけてん)」のことをふと思い出した。高松に詳しい友人が「酒屋の角打ちなんですけど、生ハムをスライスする機械まであって、すごいですよ」と教えてくれたり、別の人からも「頼酒店、きっとお好きだと思いますよ」と薦められて店名を記憶していた。スマホの地図アプリでその名前を検索し、向かってみることにした。

夜道の先に現れた「頼酒店」

あとで調べてみたら創業100年以上の老舗らしいが、角打ちスペースはおしゃれなバーのような雰囲気で、テーブルを囲んで数人の方が飲んでいた。私はカウンターの前に立ち、生ビールと、メニューのなかで目についたポップコーンを注文する。

ポップコーンはレンジで加熱して作るタイプのもので、予想以上のボリューム。ポップコーンが好きで仕方ない私にとってはうれしいことである。

私のポップコーンを見た先客が「真似していいですか!」と注文していた

店主が時おり、話しかけてくれる。「今日は賑やかでね、忘年会のシーズンだから、みんなここでゼロ次会をしてから行くみたい」「ポップコーン、多かったら持って帰ってもいいから言ってくださいね」

店内にはテレビが置かれていて、夕方のニュースが映し出されている。高松駅近くでクリスマスイベントが開催されていて、屋台がたくさん並んでいる様子が中継される。「これ、どこ?」と店主に聞かれたので「高松駅前で、これは今の中継みたいですよ」と答えると「そう。こんなんやってるの⁉ 今日はでも、ちょっと寒いね。昨日までと違うね」とのこと。自分が高松にずっと住んでいて、たまに来る店に顔を出したみたいな気分で、なんだかうれしかった。大量にあったポップコーンを食べ切り、外へ出る。

高松に来るたびに寄る素敵な書店「本屋ルヌガンガ」の閉店間際に滑り込み、店主の中村勇亮さんと少し話す。このお店の常連さんのなかにも明日の寺尾紗穂コンサートに行く人がちらほらいるそうだ。本を買って店を出る間際に、「そういえば『時宅』っていうお店はここから近いですか?」と聞いてみた。「時宅」と書いて「じたく」と読む居酒屋が高松にあって、そのお店の名前もよく耳にしていたし、店長の桃さんと以前高松でお会いしたこともあり、一度行ってみたかったのだ。「すぐそこですよ」と中村さんが一緒に店の外に出て教えてくれる。「明かりがついているんで、今日、やってるみたいです」

なんと、すぐそこだったのか。教えてもらったビルの2階へ階段を上り、ドアノブを回してみる。しかし、どうにも開かない。「ああ、今日は貸し切り営業だったりするのかも」と、そんなことを思い、「今度は事前に連絡してから来ることにしよう」と思って階段を降りた。すると私とすれ違うようにひとり、階段を上っていく方がいて、なんの問題もなくドアを開けて店に入っていく。「あれっ!」と思って私も慌てて引き返し、閉まりかけたドアから店内へ。後で聞いたところによれば、ドアノブの調子が悪くて近々修理をする予定なんだそう。ちょうどいいタイミングでお客さんが入っていってくれてよかった。

「時宅」では生搾りレモンサワーと、豚と白菜とカブとユズのトロトロ煮をいただいた。日替わりの惣菜メニューやおにぎりやお味噌汁などから好きな4品を選べる1200円のプレートが人気で、周りの方はみんなそれを注文しているようだった。“トロトロ煮”がびっくりするほど美味しくて、「私もプレートにすればよかった!」とあとから思う。

居心地がよくて料理も美味しい「時宅」

店主の桃さんや、カウンターに隣り合った常連さんたちとお話しをして、気持ちが明るくなった。さっきの「頼酒店」もそうだけど、こうして旅先で声をかけてもらえると、心がほどけるような感じがして、それまで自分が無意識に緊張していたことに気がつく。

「明日、豊島に行くつもりで」などと話すと、豊島に最近ブルワリーができたこと、でも島での移動はレンタルの電動自転車が必須(でなければバス)なので、そこでビールを飲むなら散策を終えて、自転車を返却してから徒歩で行くべきであることなど色々教わった。「日中でも自転車に乗って走ったら寒いかも。よかったらこれ使ってください」と、桃さんがカイロを2つもくださった。

心にしみる優しさ

飲み物をおかわりし、野菜がたくさん入ったお味噌汁をいただいて温まった。思ったよりもだいぶ肌寒い夜道を宿へと向かい。大浴場にゆっくりと浸かった。4000円台という価格からは信じられないほど広い和室で、早々に布団に入る。「明日、寝坊したら豊島に行けない」と、少し不安に思っていたからか、夜中に何度も目が覚めて、スマホの時計を見てはホッとしてまた眠りに落ちるのを繰り返した。

小さな水滴をみんなじっと見ている、踏んだりして壊してしまわないように、静かに歩く

翌朝、予定していた時間に起床することができ、大浴場でさっぱりして、身支度を整えて宿を出た。朝の風はしんと冷たいが、天気はいいようだ。コンビニで買ったおにぎりを食べ、宿から20分ほど歩いて豊島行きの高速船乗り場までやってきた。船の本数は1日に4便で、計画通りの船で行って帰ってこないと夜のコンサートに間に合わなくなってしまう。あまり大きな船ではないから満席になれば乗れないこともあると聞き、それに怯えていたのだが、無事、乗船券を買うことができた。

高松から直島を経由して豊島へと向かう船

乗り込んだ高速船はすごく揺れた。船酔いしたら困るなと怖くなってきたが、出発して速度が出ると安定して、ひと眠りすることができた。たまに見る窓は激しい水しぶきで向こうがよく見えなかったが、島影がぼんやりと横たわり、紅葉して色づいた山が見えた。乗客は30~40人ほどだったろうか。席はほとんど埋まっていて、帰りの船が満席になってしまわないかと、少し心細い。 豊島の家浦港に到着し、まずしなければならないのは電動自転車をレンタルすることである。船を降りた人たちが歩く方向についていくと、すぐにレンタサイクル場が見つかり、自転車を無事に借りることができた。

この自転車に乗って、島をめぐる

サドルにまたがり、乗船券売り場にあった豊島の観光パンフレットを開く。家浦港の近くには、大竹伸朗の「針工場」という作品や、横尾忠則の作品を展示する「豊島横尾館」という建物があるようだ。そのふたつを見てまわり(「針工場」は休館中だったので外から見ただけだが)、いよいよ「豊島美術館」を目指す。

大竹伸朗の「針工場」を外から眺める
横尾忠則の「豊島横尾館」の庭

豊島美術館があるのは唐櫃というエリアで、出発地点である家浦からは自転車で30分ほどかかるらしい。空気は澄んで気持ちいいが、道のアップダウンは激しく、なるほどこれは電動自転車で助かるなと思う。時おり綺麗に海が見える場所があり、思わず見とれた。

視界が開けて海が見える場所があちこちにある

「唐櫃(からと)の清水(しみず)」という湧き水があり、この豊かな水源のおかげで豊島は昔から稲作がさかんだったそう。今も湧き出ている水を、手のひらに受けて飲む。綺麗な味がする。

唐櫃の清水で喉の渇きを癒した

無心で自転車を漕ぎ、豊島美術館の近くまでやってきた。観光パンフレットでは島の飲食店も紹介されていて、そのなかの「碧い空」というお店の、そうめんにカレーがかかったような料理写真が気になって、お昼はここにしようと思っていた。急な坂の上、高台にあるそのお店まで行ってみたのだが、どこからお店に入ったらいいのが、入口がわからない。というか、パンフレットの記載によればもうすぐ営業開始時間なはずなのに、建物の中に人の気配がないのだ。

ここがお店のはずなのだが……

しばらくぼーっと立っていると、細い道をトラックが登ってきて、店の近くで止まった。車から降りてきた人におそるおそる近づいて声をかけてみたところ、店主の方だった。残念ながら冬季はお休みしているらしい。そのまま少し立ち話をして、もう少し暖かい季節(特に「瀬戸内国際芸術祭」の期間中)は、今と比べ物にならないほど多くの人が来ること、島のなかでも豊島美術館は特別に人気で、年に何回か、東京からここだけを目指して来る人がいること、そういう人は開館から閉館までずっとそこにいて、お昼になるとこの店にご飯を食べに来てまた戻っていく人もいたことなどを聞く。

「今ぐらいのほうがゆっくり見られるからいいわ。混んでいるときは次々人が来るから、長くはおれんのよ」とのことだから、いいときに来たのかもしれない。

豊島美術館の入館は事前予約制で、私は数日前に予約をとってあった。その時間が近づいてきたので、食事は一旦あきらめて、行ってみる。入館に際し、いくつかの注意事項について説明を受ける。作品のある施設内の撮影はできないこと、大きな声や音を発さないようにすること、小さな展示物などを踏んだり、手を触れないようにすること。

館内には、内藤礼というアーティストの「母型」という作品だけが展示されている。そして、そこへ行くまで、ぐるっと迂回して、周りの自然を感じてから向かうルートが作られている。

迂回するようにしてゆっくりと作品へ近づいていく

「母型」は、西沢立衛(にしざわりゅうえ)という建築家による不思議な形の、曲線的な白い建物と、内藤礼の作品とが一体になったもので、その建物に入って、空間そのものを鑑賞することになる。靴を脱ぎ、スリッパに履き替えてなかに入る。

内部は広く、天井が低い部分も多いのに閉塞感は感じない。それはおそらく、建物に2か所、空に向かって大きな穴が開いているからで、そこから光が差し込み、青い空が見える。足元をよくみると、白い地面のあちこちから水滴が湧き出し、互いにくっつき、ひとつの塊となって、肉眼ではわからないほど緩やかな傾斜をゆっくり滑っていく。

その動きは、その都度その都度の一回性に支えられているようで、塊になったと思ったら、千切れて小さく分散し、そうかと思えば、後ろから滑り落ちてきた別の塊に融合してもっと大きなひとつになったりする。水滴たちはそんなふうにくっついたり離れたりしながら、最終的には、床にいくつかできている水たまりに溶けあっていく。水滴は床のあちこちに作られた小さな穴から湧き出しているようで、床のあちこちでそれが同時に起きている。

鑑賞者たちはそれぞれの場で、静かにそれを見ている。立って見ている人もいれば、ゆっくり歩いて少しずつ位置を変えてみる人もいて、座ったり寝転んだりしている人もいる。水滴や、床に置かれたほんの小さなオブジェを踏まないように注意しつつ、でもそれだけ気をつけたらあとは心を開いて、ぼーっと見るのみという感じだ。人の声は聞こえないが、歩く人の足音、服の生地が擦れる音がたまに反響し、絶えず鳥の声が聞こえている。建物に開いた大きな穴の淵から淵へと細い紐が結んであり、それがゆっくりと静かに、風に揺れているのが見える。

改めて床の水滴をじっと見る。新しく湧き出した水滴が、自分が生まれてきた意味も知らぬげにくっつき合い、思いもよらぬ方へ動き、最後は大きなひとつの水たまりに向かっていく様子に、生と死を連想せずにいることはできないだろう。もし人の命がこういうものだとしたら、生まれたことの意味のわからなさも、どうあれ最後には死という大きなものに溶け合っていくことも、当然のように、自然なことのように思える。生きていることはなんとも孤独で、でも可愛いらしいことで、死は安定した幸福な状態であるように思える。

小さな水滴をみんなじっと見ている、踏んだりして壊してしまわないように、静かに歩く。なんと繊細で美しい作品だろうか。こんな場所があると先に知っていた友人に「ちょっと! もっと強く『今すぐ行った方がいい!』と言ってよ!」と伝えたくなる。が、こんなふうにきっかけができてこそ、やっと動き出せるのが自分だということもよくわかっている。とにかくここに来ることができたのだから、本当によかった。

場所を変えながらずっと水滴を見て、空を見て、光の角度で水滴が透明に見えたり、黒い影に見えたりする変化を味わった。水滴の塊は蛇のように見えたり、ガラス玉のように見えたりする。外に出ると1時間ほど経っていた。ミュージアムショップでポストカードを買った。

豊島美術館でどんなものを見たか、伝えるならこのポストカードの感じだ

その歌の意味が今、ずっと鮮明にわかった気がした

すっかり静かな気持ちになって家浦港へ戻る。自転車を返却し、「シーサイド」という名のレストランに入ってみた。お昼をだいぶ過ぎていたからか、客は私だけで、もしかして迷惑な時間に入ってしまったかなと思った。

美味しかったハンバーグ定食

静かな店内でハンバーグ定食を食べ、お会計を済ませると、店主が「よかったね。明日は吹くらしい」と話しかけてくれた。「吹く」という言葉が最初どういう意味かわからなかったのだが、「風が吹く」の「吹く」らしいとわかった。明日は強い風が吹くそうで、そうすると波が大きくなり、高速船が運休になる可能性があるらしい。「私もさっき聞いたんです。だから明日はご飯をあんまり炊かんでおこうと思って。今日で本当によかったですよ」と、そう言われると、今日ここにいられたことが、すごく恵まれたことに思えてくる。 島を少し歩き、見つけた酒屋で缶ビールを買う。店内にはストーブが焚かれていて、「今日は寒いね。昨日あたりから寒くなった」と、ここでも話しかけてくれるのだった。船着き場で缶ビールを飲もうとそちらへ歩いて行くと、併設されたショップで島のレモンやみかんが売られているのが目に入った。美味しそうなレモンをひとつ、買っていくことにした。

これでレモンサワーを作ったら絶対に美味しいだろう
こういう時間に生きていることを実感する

予讃線の電車に乗って、ちょうどいい時間に丸亀駅に到着。駅からコンサート会場の猪熊弦一郎美術館まではすぐである。

来るたびに好きになる高松

予讃線の電車に乗って、ちょうどいい時間に丸亀駅に到着。駅からコンサート会場の猪熊弦一郎美術館まではすぐである。

猪熊弦一郎美術館のホールでコンサートが行われる

美術館のなかでは入場を待つ人たちがすでに列を作っていて、私もそこに並んで、ひとつの塊になった。100人ほどの規模だろうか、それほど大きくはない、演奏が身近に聞こえそうなホールで、舞台上にピアノが置かれている。

時間になると壇上に寺尾紗穂が現れ、ピアノの前に座ってすぐに演奏が始まる。(記憶違いかもしれないが)「光のたましい」という曲と、「たよりないもののために」という曲を立て続けに歌った。2曲ともすごく好きで、よく聴いている歌だったのだが、その歌の意味が今、ずっと鮮明にわかった気がした。

「光のたましい」という曲の、

わたしたち/みんな/孤独なたましい

わたしたち/みんな/光のたましい

作詞/作曲=寺尾紗穂

という詞も、

「たよりないもののために」という曲の、

たよりないもののために/人は何度も夢を見る/ボロボロになりながら/美しいものをうむ

見えなくなった/ものたちの/ダンスは続いている

作詞/作曲=寺尾紗穂

という詞も、私が勝手に結びつけているだけだと知りつつも、豊島美術館で見たあの水滴たちのことを歌っているようにしか思えないのだった。

今日見てきたものと、今こうして聴いている歌が互いに共鳴し、自分の中にうわんうわんと響き渡るような気がして、こんな旅ができてよかったと思った。

靴磨きをして生き抜こうとした戦災孤児たちのことを歌った「しゅー・しゃいん」という曲、父の葬式の日にコンサートの予定があり、飛び乗った電車の中で生まれたという「北へ向かう」という曲など、聴いているうちに涙がじわじわ溢れて困った。鼻をすする声が会場のあちこちで聞こえ、それもまた、別々の水滴たちがゆっくりと水たまりに向かって下りていくあの動きを連想させた。

買ったCDにサインをいただき、外に出るといつの間にか雨が降って路面が輝いている。大阪へ向かう特急列車にしっかりと間に合い、リュックを開き、買ったCDや、ポストカードや、鮮やかなレモンがちゃんとそこにあることをもう一度確かめる。

翌朝、検索してみると豊島行きの高速船は本当に運休になっていた。レストランの店主は、お米を炊き過ぎずに済んだだろうか。そんなとき、あの美術館は開館しているのだろうか。あの空間で、水滴たちは今も動いているのだろうか。黄色いレモンは手元にある。私は寺尾紗穂の歌を聴いている。

レモンサワーにするのがまだ惜しいレモン

*       *       *

スズキナオ『今日までやらずに生きてきた』は毎月第2木曜日公開。次回第20回は1月8日(木)17時配信予定

筆者について

スズキナオ

1979年東京生まれ、大阪在住のフリーライター。WEBサイト『デイリーポータルZ』を中心に執筆中。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』、『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』、『「それから」の大阪』など。パリッコとの共著に『ご自由にお持ちくださいを見つけるまで家に帰れない一日』、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』、『“よむ”お酒』、『酒の穴』などがある。

  1. 第1回 : 疲労の果ての酵素浴
  2. 第2回 : 薬草風呂でヒリヒリした日
  3. 第3回 : ジムに2回行った
  4. 第4回 : ホテルの40階でアフタヌーンティーを
  5. 第5回 : 打ちっぱなしから始まる知らないことだらけの一日
  6. 第6回 : ずっと放置してきた足の痛みと向き合ってみる
  7. 第7回 : 太極拳教室で膝がガクガクした
  8. 第8回 : 初めて貼る冷えピタ、初めて飲む龍角散ダイレクト
  9. 第9回 : 泣いて食べたイノシシ鍋、自分のために一輪挿しを買う
  10. 第10回 : 流浪の4日間、たどり着いた生ビール
  11. 第11回 : 春のモルックに誘われて
  12. 第12回 : 一本の桜を見に行く旅
  13. 第13回 : どうしても行ってみたかった店
  14. 第14回 : サインをもらうために東京へ行く
  15. 第15回 : 20年後、やっと加計呂麻島へ行く
  16. 第16回 : 姫路の穴子、家島のじゃこ鍋
  17. 第17回 : 双葉町に住んでいる山根さんと一緒に街を歩く
  18. 第18回 : 日が沈んで夜になるまでずっと見る
  19. 第19回 : 豊島美術館とたよりないもののために
連載「今日までやらずに生きてきた」
  1. 第1回 : 疲労の果ての酵素浴
  2. 第2回 : 薬草風呂でヒリヒリした日
  3. 第3回 : ジムに2回行った
  4. 第4回 : ホテルの40階でアフタヌーンティーを
  5. 第5回 : 打ちっぱなしから始まる知らないことだらけの一日
  6. 第6回 : ずっと放置してきた足の痛みと向き合ってみる
  7. 第7回 : 太極拳教室で膝がガクガクした
  8. 第8回 : 初めて貼る冷えピタ、初めて飲む龍角散ダイレクト
  9. 第9回 : 泣いて食べたイノシシ鍋、自分のために一輪挿しを買う
  10. 第10回 : 流浪の4日間、たどり着いた生ビール
  11. 第11回 : 春のモルックに誘われて
  12. 第12回 : 一本の桜を見に行く旅
  13. 第13回 : どうしても行ってみたかった店
  14. 第14回 : サインをもらうために東京へ行く
  15. 第15回 : 20年後、やっと加計呂麻島へ行く
  16. 第16回 : 姫路の穴子、家島のじゃこ鍋
  17. 第17回 : 双葉町に住んでいる山根さんと一緒に街を歩く
  18. 第18回 : 日が沈んで夜になるまでずっと見る
  19. 第19回 : 豊島美術館とたよりないもののために
  20. 連載「今日までやらずに生きてきた」記事一覧
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