ミュージアムでなければ担えない機能への着目 小森真樹『歴史修正ミュージアム』書評

学び

評者:川上幸之介

 本書は、気鋭のミュージアム研究者が世界を巡り、そこで出会った展示空間の声を拾い集めたフィールドワーク・エッセイである。 世界各地で歴史観や記憶の継承をめぐるイデオロギー的な分岐が深まりつつある今、「歴史をいかに語り継ぐか」は喫緊の課題である。著者はミュージアムがどのようにこの問題に応答しているのかを追っていく。

 今日のミュージアムは文化の保存や展示にとどまらず、語り直しを可能にする知的な実践の場として機能しつつあるという。試みられているのは、複数の言説の力関係を空間化し、誰もがアクセスできる形に開くことだ。

 その文脈において、記憶の偏差を正し、語りを編み直す制度的な介入の先駆的事例が次々に取り上げられる。歴史からこぼれ落ちてきた人びとを再び位置づけ、包摂・共存・多様性を重視し、社会認識そのものを更新しようとする「修正」の可能性が示されていく。

 はじめに、ミュージアムを国家が自らを語る制度として捉え、展示が国民国家の自己像をどのように視覚化し、その正統性を支えてきたのかが検証される。キュレーションの介入により、国家の物語がいかに修正され、別の語りが割り込む余地が生まれてきたのかが探られる。

 続いて、帝国主義と植民地主義を支えた文化装置としてのミュージアムに焦点が移る。収奪の上に築かれた帝国のコレクションは、返還要求や展示の再構成によって揺らぎ、かつて「展示される側」だった主体がキュレーションに参画することで、語りの主導権が移行しつつある現状が浮かび上がる。

 ジェンダー、クィア、セクシュアリティといった不可視化されてきた領域に言葉を与える実践も追っていく。ブラック・クィア・アーカイブがアートを通じて資料空間を開き、アムステルダムの売春博物館が観光と性産業の倫理を提示し、ヴァギナ博物館がタブー視されてきた身体にユーモアで向き合う。「語ることのできなかった経験」へのアクセスが整えられる。

 さらに視線は労働者階級の生活史へと向けられる。マンチェスターの図書館や博物館に残る「街をつくった人びと」の抵抗の歴史、フィラデルフィアのロッキー像論争で露呈する文化資本と階級の分断など、ラグジュアリーな美術館とは異なる公共史の回路が開かれる。

 終盤では、ミュージアムという制度そのものの刷新が取り上げられる。マンチェスター博物館やヤングV&Aのように、鑑賞する場から「つくり、使い、開く」能動的なプロセスへの移行が紹介される。市民参加や教育的実践と結びつきながら、文化装置をつくり変えていく試みが明らかになる。キュレーター中心の展示モデルを越えた空間を立ち上げる探求だ。

 本書の特筆すべき点は、ミュージアムでなければ担えない機能への着目である。周縁化された経験は、資料や写真、証言といった手がかりが失われやすく、散逸もしやすい。だがミュージアムは、SNSや言説空間では代替できない、物理的な保存と共有の仕組みを持っている。しかも、実物を前に他者とともに思考を深めることも可能だ。

 経験が共有されることで、記憶のあり方は国家やメディアだけが支配しうるものではなくなる。こうした公共性を持続させるには、公費や寄付といった制度的な支えが欠かせない。公的な基盤があることで、ミュージアムは教育プログラムや受け入れ体制を整えることができ、学校や地域団体は正式な活動として参加できる。そこに、周縁の人びとが公共の議論へ加わるための回路が開かれていくのである。

 周縁の声に向き合うことは、同情や代弁ではない。これまで一部の経験だけが普遍化されてきた条件を見直し、異なる立場が発言し、交渉し、修正できる場を整えることにほかならない。排除の仕組みが固定化し、修正の余地が奪われることを避けるための社会的要請なのだ。ミュージアムが持つ制度的な強みが、なぜ意味を持つのか。本書はその理由を多角的に明らかにしている。

 一方で、主に欧米の実践が取り上げられており、日本のミュージアムの状況と照らし合わせながら読む余地は大きい。著者自身のキュレーションと国内の動向が往復することで、どんな展示モデルが立ち上がるのだろうか。読後、次作への期待は、いっそう膨らむばかりだ。

川上幸之介
倉敷芸術科学大学教員。KAGアートディレクター(https://gallerykag.jp/)。専門は現代アート、ポピュラー音楽、キュレーション。著書に『パンクの系譜学』(書肆侃侃房)、共著に『思想としてのアナキズム』(以文社)『表現文化論講義』(ナカニシヤ出版)。キュレーションに「Punk! The Revolution of Everyday Life」「Bedtime for Democracy」など。

イベントのお知らせ

歴史をつくるのは誰か?ーーアメリカのミュージアムと政治の現在地

日時:2025年12月26日(金)18:00~
登壇:小森真樹
司会:川上幸之介
場所:Gallery KAG https://gallerykag.jp/
   倉敷市阿知3丁目1-2 3階
予約不要/ワンドリンクオーダー/学生無料
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