12月22日、ジャッキー・チェンの主演最新作『カンフー・ヨガ』の全国公開が始まりました。ジャッキーが憧れたスターと言えば、ブルース・リーですが、リーが出演を熱望したことで知られるのがキン・フー。リーやジャッキーが世界に広めたカンフー映画につらなる「武侠映画」の名作を数々生み出した香港・台湾映画界の伝説的巨匠です。
武侠映画とは、いわば中国のチャンバラ映画。キン・フーは大衆的な娯楽作品と見られていたこのジャンルに芸術的な表現を持ち込み、国際的な評価を得ました。日本から世界に絶賛されるサムライ映画を作り上げた黒澤明にならって、「香港のクロサワ」とも称されています。
そんなキン・フーの映画に、ジャッキーは子役時代に出演しています。実はキン・フーはジャッキーが通っていた京劇学校(中国戯劇学院)の理事を務めており、そこで勉強をしていた少年たちをエキストラとして自身の映画に出演させていたのです。インタビュー集『キン・フー 武侠電影作法』によると、みんなあまりにも貧乏だったので少しでも稼がせてあげようという意図があったようです。
キン・フーは中国語圏の映画人たちに、大衆映画であっても妥協せずに作れば、世界に通用すると初めて証明した人でもあります。実際、代表作のひとつ『侠女』は、アクション映画でありながら1975 年のカンヌ映画祭に招かれ、高等技術委員会グランプリを受賞しています。今や当たり前のものとなったワイヤーアクションをいち早く取り入れたことでも知られ、2001年にアカデミー賞を受賞した『グリーン・ディスティニー』にも絶大な影響を与えました。
キン・フーは美術出身ということもあり、特に衣装やセットに並々ならぬこだわりを見せました。そのせいで「セットに自然な感じで苔が生えるまで1年間待った」という噂を流されたほど。しかし実際の映像を観れば、「本当にそのくらいやりかねないのではないか……」と圧倒されるからすごい!
若き日のジャッキーも、その仕事ぶりを間近で見て、大いに影響されたのではないでしょうか。ただ、ジャッキーはキン・フーのような「大衆映画の芸術化」には進みませんでした。というのも、ジャッキーは『忠烈図』(1975年)という映画にエキストラで出演した際、「フーおじさん、もっと金を稼ごうよ」と言っていたそうです。この言葉が表すように、ジャッキーの“徹底したこだわり”は、映像的な美学よりも、あくまで観客を楽しませるエンターテインメント性に注がれていったのです。
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