さがさないよ さようなら/裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち

学び
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虐待、売春、強姦、ネグレクト……沖縄の夜の街で働く少女たちの足跡は、彼女たちを取り巻くざまざまな問題を示している。『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』は、沖縄出身の教育学研修者・上間陽子が、2012年夏から2016年夏まで、沖縄独自の問題や、身近な誰かにも起こりうる問題、それらから受けた傷や苦悩を背負いながらも懸命に立ち上がり、自分の居場所を作り上げるため歩み続ける少女たちに、自ら寄り添った4年間の記録である。ここでは各エピソードの冒頭を一部ご紹介する。

さがさないよ さようなら

春菜が車の助手席に乗り込んだとき、ふんわり音がするような感じがした。車を出して、「ここ、左でいい?」と家の方角を尋ねると、助手席にすとんとおさまった春菜は、もうくつろいだような顔をして「うん、左」といった。

インタビューが終わってからは、たいていそのひとの暮らす家まで車で送っていた。帰り道の車内から街なみを見ていると、この景色のなかで大きくなったんだと、その直前まで語られていた話に納得することがあった。そして子どものころの景色のなかでは時間が戻るのか、あらためて語りなおされる話もあった。

ある時期から、車内で話されることに集中したくてICレコーダーをまわしてもいいか尋ね、店でのインタビューが終わってからも録音を続けるようになった。だから春菜とのインタビューも、そんなふうに車で話したことが録音されている。

春菜は、15歳のときに家を出てから4年間、客の車に乗ってどこかのホテルに出かけてセックスをする日々を送っていた。春菜はそうやってお金を稼ぎ、恋人の和樹と一緒に暮らしてきた。半年前に和樹と別れて自分の家に帰ってから、春菜はいままでとはちがう仕事をはじめていた。

あらためて録音を聞き返すと、車に乗り込むまでのなめらかさに、春菜のこれまでの暮らしがうかがえるように思う。

ああそうか。4年間、途切れることなく客をとる日々とは、こうやって知らないひとの車に乗り込んで、そのひとの目の前でくつろいでいるような顔をして、その実、相手のほうをリラックスさせる日々だったことを了解する。

雨を弾くワイパーの音のなかで、もう少し話していたくなって、「少し遠回りしてもいい?」と尋ねたのは私で、「いいよー」と柔らかく答えているのはやっぱり春菜のほうだ。

ヘッドフォンのなかの春菜は、いまも優しい声で話している。

初めて春菜に会った日は、小雨が降っていた。
 
待ち合わせした駐車場で春菜に、インタビューの前にご飯食べない、どこがいい?と尋ねると、春菜は、どこでもいいですよといった。それから近くの店に入ったら、春菜はあまり高くない料理を注文して、小さなサイズの飲み物を注文した。
 
ご飯を食べながら、どこでインタビューしようかな、カラオケボックスはどう?と、春菜に尋ねると、やっぱり春菜は、どこでもいいですよといった。
 
柔らかいクッションみたいなかんじ、ちょうどそんなかんじ。だから、今日のインタビューはうまくいかないかもしれないなぁとぼんやり考えた。こういうやりとりをするときって居心地はいいけれど、インタビューはするりと抜けてしまうことがある。
 
それでもご飯を食べ終わって席を立ち上がるときに、カラオケボックスにしようかな、まわりが気になるんじゃない?と春菜にいうと、今度は春菜のほうも、うんうん、いいですねと答えた。それを聞いて、春菜は今日、話そうと思ってやってきているんだとわかって少しだけ驚く。それから、相手の決定を引き出すような柔らかい応答の仕方が、この子の持ち味なんだなと思いかえす。
 
音のもれないカラオケボックスに入るとすぐに、春菜は自分のこれまでの生活のことを話しはじめた。なぜ自分は15歳のときに家出をしたのか、それから4年間、どう過ごしてきたのか。その日、私が春菜に尋ねたのは、4年間の生活や仕事の話だった。でも語られていたのは、何度も家族が変わるなかで暮らしていた女の子が、自分の「おうち」にいられなくなって、ひとりでそこを出て行って、恋人と一緒に生活するために「援助交際」をし続けて、そしてもう一度自分の「おうち」に帰っていった話だった。

春菜は、場所を転々としながら暮らしてきた。春菜がそうやって暮らしてきたのには理由がある。子どものころから大人の都合で家族が何度も変わり、思春期になってからは、友だちや恋人と暮らしてきたからだ。

春菜が生まれてすぐに、春菜の両親は別れることになり、春菜の兄は父親に、春菜は母親に引き取られることが決まった。
 
春菜の父親は養育費を送り続ける約束をして、ふたりは離婚し、春菜の母親は、自分の実家がある東京に春菜を連れて帰った。だが東京に連れて行かれた春菜は、何週間も夜間保育所に放置されるなどして育ち、やがて父親との連絡は途切れてしまった。
 
春菜と父親がふたたびつながったのは、春菜の小学校の入学の手続きのために、春菜の祖母が父親に連絡をとったときだ。そのころ春菜は、祖母の家に住んでいた。

たぶん、小学校あがる前で、この、なんか連絡みたいのが来るっていって。そのときおばあちゃんの家にいて、おばあちゃんがお父さんに連絡して。おばあちゃんが、「春菜が、こんな、こんななんだけど、小学校の入学手続きがあるんだけど」っていって、「お母さん、いま、旅行でいないわけさー」みたいな。お父さんこれ聞いてブチ切れて。たぶん、そのとき自分、東京にいたんじゃないかな、東京まで探しに来て(中略)。

――春菜はひとりでいたわけ?
 
ひとりでおばあちゃんのところに行かされて。

――東京のおばあちゃんのところに行かされて。
 
そうそうそう。でも(おばあちゃんは)仕事とかでいないから。自分が小さいときは。

――そうか、東京にいるおばあちゃんがお父さんに連絡をくれたんだけど。

そうそうそう。

――お父さんもそれ聞いて、置いとけないっていって、探しに来たけど、住所が結局。

もう、団地ってことしか、わからなくて。

この続きは『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』本書にてお読みいただけます。上間陽子『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』特設サイト

筆者について

うえま・ようこ。1972年、沖縄県生まれ。琉球大学教育学研究科教授。 1990年代から2014年にかけて東京で、以降は沖縄で未成年の少女たちの支援・調査に携わる。『海をあげる』(筑摩書房)で「Yahoo!ニュース|本屋大賞2021ノンフィクション本大賞」他受賞。ほかに「貧困問題と女性」『女性の生きづらさ その痛みを語る』(信田さよ子編、日本評論社)、「排除II――ひとりで生きる」『地元を生きる 沖縄的共同性の社会学』(岸政彦、打越正行、上原健太郎、上間陽子、ナカニシヤ出版)、『言葉を失ったあとで』(信田さよ子と共著、筑摩書房)など。2021年10月から若年ママの出産を支えるシェルター「おにわ」を開設、共同代表、現場統括を務める。おにわのブログは、https://oniwaok.blogspot.com。『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』(太田出版)が初めての単著となる。

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