タモリが振り返る「俺の人生で最も楽しかった時期」はいつ?

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12月14日発売の雑誌『ケトル』は、特集のテーマとして“タモリ”をピックアップ。「やっぱりタモリが大好き!」と題し、「タモリ年表」「タモリに学ぶ人生訓」「タモリ流料理レシピ」「タモリがわかる本45冊」など、タモリにまつわるありとあらゆる情報を紹介している。今回取り上げるのは、“タモリの下積み時代”について。伝説のバーでの乱痴気騒ぎの実態とは?

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タモリが福岡でジャズピアニストの山下洋輔と出会い、東京に呼ばれて芸を披露したのが、新宿コマ劇場の裏にあった小さなバー『ジャックの豆の木』。ここには様々な文化人や業界人が集まっており、その面子は山下のほか、筒井康隆、赤塚不二夫、高平哲郎など、そうそうたる顔ぶれだった。

タモリは赤塚宅に居候しながら、夜な夜なこのバーに通い、デビューのきっかけとなる密室芸に磨きをかけていったが、当時の口癖が「連日そりゃあもう大騒ぎさ」だったことからも、彼らのパワフルなお酒の飲み方は想像可能。仲間内で作り上げたハナモゲラ語で会話するのは当たり前、赤塚不二夫に至っては、半裸でロウソクを垂らして悶えてみたり……といったこともあったそうだ。

そんな密室の馬鹿騒ぎが世間を巻き込んだのが、「全日本冷し中華愛好会」(全冷中)だ。山下洋輔が「なぜ冷し中華は冬に喰えないのか!」と理不尽に怒り、それに賛同する常連たちにより結成されたこの会は、最終的に2000人以上も集めた『第1回冷し中華祭り』にまで発展。馬鹿なことを本気でやる笑い(ハナモゲラ文化)は、すべてこの『ジャックの豆の木』で生まれ、醸成された文化だった。

その後『ジャックの豆の木』は閉店してしまったが、ここでタモリは後のタレント活動に繋がる人脈と、“恐怖の密室芸人”というキャラクターを確立した。下積みがないと言われている彼にとって、この1年が唯一の下積み的な時期といえるかもしれないが、本人によれば「俺の人生で最も楽しかった時期」だそうだ。(文中敬称略)

◆ケトル VOL.16(2013年12月14日発売)

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ケトル VOL.16

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※この記事は、「太田出版ケトルニュース」に当時掲載した内容を当サイトに移設したものです。