2月15日発売の雑誌「ケトル」は、特集のテーマとして昨年12月に亡くなった“大瀧詠一”をピックアップ。「大瀧詠一『モノ』図鑑」「大瀧詠一のCMソング」「著名人が語る大瀧詠一」など、彼にまつわる様々な情報を紹介している。今回取り上げるのは、“大瀧詠一の音楽的影響”について。ラジオから流れたスターが、遠い地に住む一人の少年の人生を決めました。
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どんなに偉大な音楽家にも、必ず憧れのスターが存在します。「1962年から66年までのヒットパレードの曲で知らない曲はない」というほどロックやポップスを掘り下げていた大瀧詠一が、最初に熱を上げたのは、エルヴィス・プレスリーでした。
大瀧がポップスに出会ったのは、10歳の時にラジオで聞いたコニー・フランシスの「カラーに口紅」が最初。それ以来、ラジオでポップスを聴き漁り、中学生になってお小遣いをもらい始めたことで、レコード収集を開始します。特に好きなアーティストがいたわけでもなく、曲中心に買っていたそうですが、ついにラジオで運命的な出会いが待っていました。
中学2年生の時、学校の先生にステレオで短波のラジオを作ってもらった大瀧。短波で拾ったFEN(=Far East Network=極東放送網。現AFN=American Forces Network=米軍放送網)から偶然流れたエルヴィス・プレスリーが、大瀧少年を一瞬で虜にしました。この時聴いたのが「ハウンド・ドッグ」と「ドント・ビー・クルーエル」。この2曲が収録されたシングル盤が日本で再発売され、チャートインしていたのでした。
こうしてエルヴィスにハマった大瀧の“勉強家魂”はこの頃から健在。すぐに学校で友達の兄がエルヴィスのレコードを持っているとつきとめ、当時発売されていたレコードを1年半で全て集めてしまったそうです。
◆ケトル VOL.17(2014年2月15日発売)
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