黒柳徹子 駆け出し時代の彼女を支えた恩師の言葉

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毎回1人のゲストを招くトーク番組『徹子の部屋』は、今年で放送40周年。「黒柳徹子さんといえば司会者」というイメージが強いですが、彼女のキャリアのスタートはNHK放送劇団専属の女優でした。駆け出し時代は苦労も多かった黒柳さんですが、それを支えた恩師の言葉があったそうです。

当時、6000名以上の応募者の中から合格を勝ち取った黒柳さん。しかし入団後は順風満帆とはいかず、「声も話し方もヘン」「個性が邪魔」と、エキストラを降ろされまくる日々でした。それでもすぐに投げ出さずに、仕事やオーディションがあればサボらず出向いていたことが、黒柳さんにチャンスをもたらします。

ラジオドラマ『ヤン坊ニン坊トン坊』のオーディションで、トン坊役に大抜擢。作家の飯沢匡先生は、「あなたの個性が必要なんです。あなたのそのままが、いいんです」とアドバイス。黒柳さんは、この言葉がなかったら女優を辞めていたかもしれないと、当時を振り返っています。

そして飯沢先生はその後、黒柳さんが執筆の仕事で相談すると、「子どもの頃の作文のように書けばいい」、芝居の相談をしたときは「元気にやりなさい」。しきりに「そのままでいて」と言い続け、黒柳さんを支える師となります。NHKの面接では、「この世界には騙す人がいるから」と、正直に答えてしまった黒柳さん。しかし、そんな世界でスレることなく「そのまま」でい続けたからこそ、テレビで彼女を見られる今があるのでしょう。

◆ケトル VOL.31(2016年6月14日発売)

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※この記事は、「太田出版ケトルニュース」に当時掲載した内容を当サイトに移設したものです。