近年では、芸能人が海外留学を理由に休業することは珍しくありませんが、それを40年以上前に実行したのが黒柳徹子さん。1971年、休養と演技の勉強のため、ニューヨークに留学しました。
黒柳さんの長い芸能生活でターニングポイントを挙げるなら、NYへの留学がそのひとつ。〈朝起きて、今日は何しようかなとワクワクしながら考える。そんな小学生みたいな生活をしたい。じゃないと自分がすり減っちゃいそうだと思って〉(『日経ウーマン』2008年10月号)。留学前の心境をこう振り返ります。
黒柳さんは自身の半生のなかで、20代から30代前半までが一番ツラかったといいます。仕事に忙殺される日々には、それこで「今日は何をしよう」なんて考えられる朝は一度もなかったから。仕事が忙しくなるにつれ悩みも増えていき、自分の演技力や恵まれた環境に疑問を抱くようになりました。そこで出した結論が、1年間の休養。NYで本格的に演技を学ぶことを決意します。このとき黒柳さんは38歳でした。
当時はネットもメールもない時代。人気タレントが仕事を手放し、芸能界を遮断してしまうのは勇気のいる行為なはず。しかし黒柳さんは、「15年もテレビの仕事を続けてきて、1年離れたくらいで仕事がなくなるようなら、それは実力がなかったということ。別の仕事を探せばいい」と覚悟を決めたのです。仕事の心配よりも、学びたいという気持ちが強かったのでしょう。
◆ケトル VOL.31(2016年6月14日発売)
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