新日本プロレス恒例の東京ドーム大会「イッテンヨン」が、今年も1月4日に開催され、およそ4万人の観客が熱いファイトに酔いしれた。新日本プロレスが初めて東京ドームで興行を行なったのは1989年のことだが、30年の歴史の中でも“プロレス冬の時代”と呼ばれた時期にメインイベンターとして新日本プロレスを守り続けた永田裕志にとって、東京ドームとはどんな場所なのか? 『ケトルVOL.46』で、永田はこう語っている。
「東京ドームはプロレスラーとして大きく成長させてくれた場所です。僕がメインを張っていた2000年代の前半っていうのは、プロレス人気が衰退して、新日本も世間から厳しい目で見られていました。そういう中で興行の重要な役割を担ってきた経験は、僕の財産になっています」
2000年代前半と言えば、プロレスが格闘技ブームに押され、全日本への大量移籍もあった時期。そんな状況でも東京ドーム大会は続けられたが、リングに立つ彼らには常に“見せる努力”が要求されていたという。
「最初に東京ドームのリングに上がったときの印象は、とにかく広い。『プロレスラーは会場の隅のお客さんに向けてメッセージを送らないといけない』と僕らは教わってきましたから、どうすればいいのかって考えましたよね。
僕が『ナガタロック』という技を日本で初披露したのも東京ドームです。遠征先のWCW(アメリカのプロレス団体)から一時帰国した1998年1月4日のことでしたが、このときは観客がうんともすんとも言わなかったことを覚えています。アメリカならどの会場でも技の体勢に入った瞬間に大歓声でしたから、非常に戸惑いました。
なので、お客さんに向けて敬礼してから技に入る流れを作ったんです。会場中に『これからナガタロックをやるぞ!』というメッセージを送るようにしたんですね。僕のトレードマークになった敬礼ポーズは、ここから生まれました」
そしてその後、IWGPヘビー級王座に輝き、当時の歴代最多防衛記録「V10」を達成した永田。新日本プロレスと言えば、アントニオ猪木が提唱した「ストロングスタイル」が信条だが、今ひとつ定義がはっきりしないストロングスタイルとはいったい何なのか?
「僕らは若い頃から、『新日本の真髄とはストロングスタイルのことであり、それは闘いである』と教えられてきました。でも、それだけでは何のことかわからなかったんです。今の僕が思うのは、ストロングスタイルとは、闘いにおける感情をストレートに出すってことではないか。
そもそも新日本のストロングスタイルは、アントニオ猪木さんのジャイアント馬場さんに対する対抗心から生まれたものだと思います。馬場さんは外国人の有名選手を呼べるルートがあったけど、猪木さんは持ってなかった。その代りに試合内容では絶対負けないっていうパワーが生まれ、それが新日本の個性になった。
ストロングスタイルとは、競争に対する意識であり、嫉妬や悔しさも巻き込んで自分自身を高めていく姿勢のこと。それが時に大きな力を発揮する──。東京ドームで棚橋(弘至)や中邑(真輔)といった後輩たちと競った時代を経て、僕はそう解釈していますね」
2016年5月にはNEVER無差別級王座にも輝くなど、今なおトップ戦線で闘い続ける永田。熱い発言を聞く限り、まだまだ彼が白目を剥いて闘う姿を見せてくれそうだ。
◆ケトルVOL.46(2018年12月15日発売)
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