現在、全国の映画館で『X-MEN』の最新作『X-MEN:ダーク・フェニックス』が公開中ですが、2003年に日本人として初めてマーベル・コミックスで『X-MEN』の作画を担当したアーティストが麻宮騎亜さんです。
麻宮さんは、アニメーターとして『風の谷のナウシカ』『機動戦士Zガンダム』などに動画スタッフとして参加し、『超音戦士ボーグマン』ではキャラクターデザインを手がけた後、1987 年に漫画家デビュー。『サイレントメビウス』『快傑蒸気探偵団』といったヒット漫画を手がけましたが、もともと日本のアニメや漫画が好きで上京した青年は、なぜアメコミにハマったのでしょうか? 『ケトルVOL.49』で、麻宮さんはこう語っています。
「作風が似ていた寺沢武一先生が好きだったことが影響しているのかもしれません。学校が終わったら神保町をうろうろして、絶対タトル商会(洋書専門店)に寄り、ネタになるようなものを研究したり人が知らないものを探したりしていました。僕らは人と違うことをやってなんぼの世界なので、僕にとっては新しいヒントがゴロゴロあるのがアメコミだったんです。逆になんでみんなアメコミを買ったり、もっと好きにならないのかと不思議なくらいでした」
特に影響を受けたアーティストとして、『ゴッサム・バイ・ガスライト』や『バットマン・ヴァンパイア』を手がけたマイク・ミニョーラの名前を挙げた麻宮さん。影響を受けたのは彼だけではなかったようです。
「ミニョーラのショックは大きかったですね。日本のすごい漫画家さんたちも海外の作家をモチーフにしていた人が多かったように思います。大友克洋さんはメビウスですし、安彦良和さんはプラセッタですよね。僕もプロになってからも毎週のように洋書を買って参考にしていました。変な作品も多かったけど(笑)」
漫画家デビュー以降、積極的にアメコミの要素を取り入れた作品で有名になっていき、海外へのプロモーションも展開。憧れのマイク・ミニョーラやジム・リーといったアメコミのアーティストたちに出会い、感動したそうですが、『X-MEN』に携わることになったのは、どのような経緯だったのでしょうか。
「サンディエゴのコミコンで今はマーベル・コミックスの編集長になったC・B・セブルスキーと出会いました。その頃、彼はセントラルパークメディアという、日本の漫画を仕入れて紹介する出版社にいました。そこで彼から僕の『遊撃機動戦艦ナデシコ』をウチでやらせてほしいというオファーがあって知り合ったんです。
その後、彼はアメコミの脚本なんかもやるようになり、マーベルから仕事がもらえるようになりました。そうしたらある日、『麻宮先生、X-MENやりたくない?』と言われて。二つ返事で『そりゃ、やりたいよ!』という話になったんです(笑)」
その直前にはDCコミックスで『バットマン』(『バットマン・チャイルド・オブ・ドリームス』)も描き始め、アメコミの2大出版社を股にかける売れっ子作家となった麻宮さん。マーベル・コミックス80周年の企画にも参加されるとのことで、ファンの楽しみはまだまだ尽きないようです。
◆ケトルVOL.49(2019年6月15日発売)
【関連リンク】
・ケトル VOL.49-太田出版
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