全盛期は40誌が乱立した素人投稿誌 過激さで群を抜いた『投稿ニャン2倶楽部』

スポンサーリンク

複数の大手コンビニエチェーンが、8月いっぱいで成人誌の取り扱いを止め、ほぼすべてのコンビニから成人誌が消えた。そこで、アダルトメディア研究家の安田理央氏が、消えゆくエロ本への感謝と惜別の意を込めて上梓したのが、7月に発売された『日本エロ本全史』だ。

同書は1946年から2018年まで、日本のアダルト誌の歴史を創刊号でたどったもの。日本最大級のアダルト誌コレクターの安田氏が、アダルト誌創刊号コレクションから、エポックメイキングな雑誌100冊をピックアップし、オールカラーで紹介している。同書から1989年創刊の『投稿ニャン2倶楽部』(白夜書房)を紹介しよう。

成人誌の歴史を大まかにたどれば、当初は“プロ”で形成された世界に素人が参入し、AVの誕生、ジャンルの細分化などで黄金期が到来。その後、ネットの登場により、衰退の時代へ……という流れだが、成人誌がもっとも元気だった時代に一大勢力だったのだ“投稿モノ”だ。今回取り上げる『ニャンニャン2倶楽部』は、その中でも過激なことで有名だった。

 * * *
1981年に発売された『アクション・カメラ術』のベストセラー以降、『投稿写真』に代表されるアイドルのパンチラ写真を中心とした投稿写真誌が数多く創刊されたが、もうひとつの投稿写真の流れとして、自分の彼女や妻のヌードや性行為を撮影するというジャンルもあった。こうした投稿写真の受け皿としてはSM 雑誌やスワッピング雑誌があったが、それで一冊作ってしまったのが「ニャンニャン雑誌」である。

その先駆けとなったのは1987年の『投稿ニャンニャン写真』(サン出版)であり、その翌年に創刊された『ニャン2 PRESS』(少年出版社)がリニューアルしたのが、『投稿ニャン2倶楽部』である。ちなみに「ニャンニャン」は当時セックスを意味するキーワードとして使われており、こうした写真は「ニャンニャン写真」と呼ばれていた。素人投稿誌は90年代後半に全盛期を迎え、約40誌が乱立した時期もあった。

だが素人投稿誌の中でもその過激さで群を抜いた存在感を示していたのが『ニャン2』であった。SM色の強い投稿が多いのが特色で、そのムードをさらに煽るサディスティックなキャッチコピーのセンスは編集長の名前を取って「夏岡文体」として親しまれた。

2013年に摘発され休刊となるも、すぐに『DVDニャン2倶楽部』として復活。2016年からはマイウェイ出版に移って『新生ニャン2倶楽部』として発行されている。

 * * *
同誌は野外露出も定番で、次第にその内容はエスカレート。最後は編集長が猥褻図画頒布容疑で逮捕されて休刊となるなど、最後まで“闘う成人誌”だった。成人誌は基本的に「編集サイドが読者にエロを提供するもの」だが、「読者がエロを提供し、それをみんなで共有する」というのは、何とも画期的。“見てもらいたい”という欲求によって成立した、エポックメイキングな一冊だった。

『日本エロ本全史』(安田理央・著/太田出版)は2019年7月2日発売。3700円+税。

【関連リンク】
日本エロ本全史-太田出版

【関連記事】
最盛期の売り上げは39万部 成人誌のイメージを決定づけた『デラべっぴん』
「ベスト10」は業界で最も権威ある賞に アダルトメディアの案内人だった『オレンジ通信』
SM雑誌戦国時代を牽引した『S&Mスナイパー』 時代のニーズにマッチした編集方針
年に4回も不健全図書指定 80年代の過激雑誌『ビリー』の中身

※この記事は、「太田出版ケトルニュース」に当時掲載した内容を当サイトに移設したものです。

関連商品