虐待、売春、強姦、ネグレクト…沖縄の夜の街で働く少女たちの足跡は、彼女たちを取り巻くざまざまな問題を示している。『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』は、沖縄出身の教育学研修者・上間陽子が、2012年夏から2016年夏まで、沖縄独自の問題や、身近な誰かにも起こりうる問題、それらから受けた傷や苦悩を背負いながらも懸命に立ち上がり、自分の居場所を作り上げるため歩み続ける少女たちに、自ら寄り添った4年間の記録である。ここでは各エピソードの冒頭を一部ご紹介する。
カバンにドレスをつめこんで
鈴乃と私は、2012年の秋に初めて会った。
そのころ鈴乃は、昼は看護専門学校に通い、夜はキャバクラで働きながら、理央という子どもをひとりで育てるシングルマザーだった。
私たちは一度会ったきりだったのだけど、専門学校の長期のお休みや実習が終わるころになると、鈴乃からは手紙が届くようになった。
鈴乃の手紙には、週末に理央を連れてどこに行ったのか、実習先でどのようなことがあったのかが美しい手書きの文字で記されていて、そこには数枚の写真やプリクラが同封されていた。
写真のなかで、鈴乃は理央を抱きかかえるようにして笑っている。鈴乃と理央が行く先々で写したプリクラには、「ずっとずっといっしょだよ」とか、「大好き」という言葉が添えられていて、やっぱり鈴乃は理央と頰を寄せるようにして笑っている。
理央には、重い脳性麻痺があった。だから理央は、歩いたり、ひとりでご飯を食べたりすることができない。
鈴乃は、理央と一緒に暮らしながら、昼間は学校に通い、夜はキャバクラに出勤する。週末になると、ショッピングセンターにも海にもどこへでも、理央を車椅子に乗せて連れて行く。それでも鈴乃がそうした毎日のことを、つらいとも、大変だとも書いたことは一度もない。
私は鈴乃から手紙が届くと、しばらくそれを持ち歩く。そして、雨が降ったり風が強かったりする週末は、ふたりは雨に降られなかったかなぁとか、理央は風邪を引かなかったかなぁとか考えながら、ゆっくり返事を書く。
返信の手紙に、たいしたことを書いた記憶はない。
実習の写真、どれも鈴乃はみんなの真ん中にいるので笑ってしまいましたとかそういうこと。戴帽式おめでとう。キャンドルの光がきれいでびっくりしましたとかそういうこと。理央を連れて海に行ったんだね、ああ、そういえば海が夏の色になったねとかそういうこと。
鈴乃と手紙のやりとりをしていると、慌ただしい日常の速度が少しだけゆっくりになるようなかんじがした。たぶん鈴乃は、私よりも忙しい日々を過ごしている。それでも鈴乃の手紙には、どこかゆったりした時間が流れている。それは、鈴乃が日々の繰り返しを大切にするひとだからだろう。毎日の生活を綴る鈴乃からの手紙には、すとんと風がやむような気配があった。
2016年の夏に、4年ぶりに鈴乃に会った。
4年前は夜会巻きがよく似合っていた鈴乃は、髪を短くしていてショートカットになっていた。あのころは、自分のことを「鈴乃」って呼んでいたよね、幼かったよねと鈴乃は恥ずかしそうにしていた。
その日、ICレコーダーをまわしながら、鈴乃のこれまでの生活のことを聞かせてもらった。
*
鈴乃は、4人きょうだいの長女として生まれている。鈴乃には両親がいたが、鈴乃の父親は仕事をしておらず、家にもめったに帰ってこなかった。応募していた団地の抽選にあたったあとに鈴乃の両親は離婚して、鈴乃の母親は、喫茶店のウェイトレスとホステスのダブルワークをしながら4人の子どもを育ててきた。
鈴乃の母親は、ホステスの仕事が終わると家に帰って、子どもたちに朝ごはんをつくり、それからモーニングセットを出す喫茶店に出勤する。子どもたちはみんな自分で起きて、母親がつくってくれた朝ごはんを食べて、それから学校に通う。鈴乃たちのきょうだいは、みんなそうやって大きくなった。
鈴乃が高校2年生になったころ、妊娠していることがわかった。
妊娠の相手は、鈴乃が中学生のときに付き合いはじめた同級生だった。鈴乃は子どもを産みたいと思ったが、鈴乃の家族や友だちは、みんなそれに反対した。鈴乃の母親は、ふたりの年齢が若すぎることを不安に思っていた。友だちは鈴乃の恋人が暴力的なことを知っていて、それを不安に思っていた。
鈴乃は、恋人からずっとDVを受けていた。交際のはじめのころは、きれいにしていると浮気をするんじゃないかといって化粧を禁じ、髪型を変えると前のほうがいいと干渉してきた。それは次第にエスカレートし、携帯電話のチェックや行動の制限をするようになった。やがて鈴乃はなぐられるようになった。
鈴乃が妊娠に気がついたのは、恋人から暴力をふるわれるようになったあとだった。でも鈴乃は子どもが生まれたら、恋人の暴力はおさまるのではないかと考えていた。
鈴乃と恋人は、周囲の反対を押し切って出産することを決める。
お金がなくてアパートを借りることはできなかったので、両方の親と相談して、最初は恋人の実家で暮らし、その次は鈴乃の実家で暮らすかたちでお互いの実家を行き来しながら生活していくことになった。
一緒に暮らすようになってからも、恋人からの暴力がやむことはなかった。
鈴乃は働くことができなかったので、恋人が仕事をすることにしたのだが、その仕事を続けることができずに、よく諍いになった。諍いになると、鈴乃は「おなかを蹴られるとかはなかったけど、首を絞められたり」するなどの暴行を受けてしまう。でも、同じ家に住んでいる恋人の父親は、鈴乃がなぐられていても助けに来ることはなかったし、恋人の母親は、鈴乃が暴力をふるわれるのは両方の責任であるかのような発言をした。
――相手の親とかも気づいてるでしょ、なんで出てこないの?
親が出てきたときもありましたよ。
――お義母さん?
うん。(お義母さんは)あったけど、出てこないときも。朝、翌朝とかに、「なんか? こっち田舎だからまわりに聞こえるのに、あんたよ!」みたいなかんじで。そのときは、一応、私も「ひどいな」って思ったんだけど。
――これは彼氏に、自分の息子にいうんじゃなくて、鈴乃に?
ふたりいるときにとか。………(でも)お姉ちゃんがいたときは、お姉ちゃんがもう入ってきて、お姉ちゃんとこいつとふたりで、ケンカなったりとか。壁穴空いたりとか、扇風機壊れたりとか。
*
この続きは『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』本書にてお読みいただけます。上間陽子『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』特設サイト
筆者について
うえま・ようこ。1972年、沖縄県生まれ。琉球大学教育学研究科教授。 1990年代から2014年にかけて東京で、以降は沖縄で未成年の少女たちの支援・調査に携わる。『海をあげる』(筑摩書房)で「Yahoo!ニュース|本屋大賞2021ノンフィクション本大賞」他受賞。ほかに「貧困問題と女性」『女性の生きづらさ その痛みを語る』(信田さよ子編、日本評論社)、「排除II――ひとりで生きる」『地元を生きる 沖縄的共同性の社会学』(岸政彦、打越正行、上原健太郎、上間陽子、ナカニシヤ出版)、『言葉を失ったあとで』(信田さよ子と共著、筑摩書房)など。2021年10月から若年ママの出産を支えるシェルター「おにわ」を開設、共同代表、現場統括を務める。おにわのブログは、https://oniwaok.blogspot.com。『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』(太田出版)が初めての単著となる。