「献身的」で、なくていい! 突然、働き盛りの夫を襲った脳卒中と半身の後遺症。何の知識もなかった私は、ゼロから手探りで夫の復帰までを「闘う」ことになる――。当事者だけがツラいんじゃない。家族にも個別のツラさがある。ここでは、ライター・三澤慶子が綴る、葛藤と失敗と発見の記録である『夫が脳で倒れたら』から一部ご紹介。正しいカタチなんてない、誰もがいつか経験するかもしれない、介護のリアルをお伝えしていく。 本書から、第一章を全11回にわたって公開。第3回目。
発症、麻痺の悪化とセカンドオピニオン~夫は『ゼロ・グラビティ』の境地へ③
サインの儀式をやっと終えて教えられた病室に行くと、トドロッキーはベッドで点滴を受けていた。観念したって感じの表情だ。
第一声、「ごめん」と私に言った。
こんなにも高密度の「ごめん」を渡されたのはこれまでなかったかもしれない。こうなるまで病院に行かなかったことに対してもあるだろうし、こうなってしまったことで迷惑をかける、すまない、って意味もあるだろうし、健康に対しての自己管理ができてなかったことだとか、中学生と小学生の二人の息子に向けても言っていたように思うし、「ごめん」の心当たりは生活の中にあちこち散らばっていて、いくらでもあった。
「ごめん」が重すぎて、どう反応すればいいのか分からない。
トドロッキーはトドロッキーで自分のMRI画像も見、医師からの説明も受けたという。朝の様子からは一転、気持ちの整理がついたようで思考がしっかりしていた。
「悪いんだけど電話してもらえるかな」
私が言う前に仕事のキャンセルについて指示を始めた。電話番号と担当者名、電話する順番……。この病院内では電話ができるエリアはエントランス周辺だったため、トドロッキーは自分で電話をかけることができない。
自力で点滴スタンドをコロコロ押してトイレに行くトドロッキーの様子を見れば、足取りもしっかりしていて朝の弱々しさが感じられない。医師からは悪化の可能性も示唆されたが、同時に大丈夫だと思うとも言われたわけで、これ以上の悪化はないように感じた。
大丈夫だ。
2週間、治療と一緒に休養すればまた仕事に復帰できる。そう思ったし、トドロッキーもそのつもりでいた。
私は指示された通り電話をかけまくった。担当編集者へはトドロッキーが脳梗塞を発症したこと、だけども歩けていて元気、2週間で退院できる見通しで、その後様子を見ながらになるだろうけれど仕事復帰もできそうだと伝えた。
電話をしているうちに、トドロッキーが想像を超えるものすごい量の仕事を抱えていたことが分かった。どうやったら終わらせられるんだ、この量。病気でもしなかったらケリはつかなかったんじゃないか、と思えるほどだった。
この日はトドロッキーの親族へも含めた大量の電話連絡のほか、自宅に一度戻ってトドロッキーのパソコンから書きかけの文字データをメールで送ったり、預かっていた資料を発送したり、入院生活用の備品類を揃えてベッドサイドにセットしたりと慌ただしかった。
自宅に戻ったときはすっかり夕食時を過ぎていた。
自宅はマンションなのだが、そのエントランスで管理人さんから声をかけられた。
「息子さん二人、家に入れなくてずっとお帰りを待ってましたよ」
おっと。
その管理人さんはありがたいことに子どもたちととても仲がいい。小学生の次男は学校の芋掘り遠足帰りに、掘ってきたサツマイモをお土産に渡したりしていたほどだ。
「学校に鍵持っていくのを忘れたと言ってました」
「二人ともですか!」
「さっきまでそこらへんにいたんですけどね、どうしたかなあ、学校の友達と話してたから友達の家に行ったのかなあ」
「そうだったんですかー。どの友達のトコだろ、心当たりを電話してみますね」
と家に入ると、なんと二人とも中にいてくつろいでいた。
「何でいる? どうやって入った」
「何で入れなかったって、知ってるの?」
「親の情報網をあなどるなよ」
ベランダの窓の鍵が一つかかってなかったそうで、よじ登ってそこから入ったのだという。俺たちやるだろう的な自慢げな顔だ。
私は戸締りに関しては几帳面な方だが窓の鍵をかけ忘れていたらしい。朝、落ち着いて家を出たつもりがそうじゃなかったようだ。
二人には父親の病名と病状、入院期間の見通しを伝え、しばらく病院通いとなるからよろしくと伝えた。
「ふぇい」
いつも通りの気の抜けた返事。まあいいか、なるべく深刻に受け止めないように話したつもりだ。2週間後には帰ってくる。
このときは、そう信じていた。
入院した坂の上脳神経外科病院を出たのは結局、5週間後だった。しかも退院ではなく、そのままリハビリテーション病院に転院することになったのだが、このときは想像だにしなかった。
入院翌日、面会時間に病室に行くと、トドロッキーは自分の体に点々と入っていく薬剤についてスマホで調べていた。
「これ一袋1万円だって」
驚いた。入院時に、入院費がひと月で軽く10万円を超えるくらい高額になることは聞いていた。でも高額療養費制度で上限以上は支払わなくていいと説明を受けていたから、負担面を心配したわけではない。ただ単に小さなビニールバッグに入って目の前にぶら下がっている透明の液体が1万円もするってことに驚いたわけなんだけども。
この高額療養費制度とは、病院や薬局でかかった医療費の自己負担額が、ひと月(月の初めから終わりまで)で一定額を超えた場合に、その超えた金額が加入している健康保険から支給される制度。年齢や所得などに応じて支払う医療費の上限が決まっている。トドロッキーの場合、当時の制度で最初の3カ月が月額8万円ちょっと。4カ月目からは4万4400円。ただし、個室利用の差額ベッド代や、入院中の食事代などは自己負担。
制度を利用するには、加入している健康保険の窓口で「限度額適用の認定証」を発行してもらう必要があり、手続きは家族でも可。入院先に提出しておくと、病院は上限額を超える分を健康保険に直接請求するから、患者は会計窓口でそれ以外の額を支払えばいい。
「医療費ってすごいんだねえ」
日頃、健康保険料ってバカ高いなあと思っていたけれど、こうなってみるとものすごくありがたい制度だ。自費なら破産ペースで点滴が流れ落ちていく。
* * *
この続きは『夫が脳で倒れたら』本書にてお読みいただけます。
*本文中に出てくる病院、医療関係者、患者などの固有名詞は仮名です。
筆者について
みさわ・けいこ。北海道生まれ。ライター。
(株)SSコミュニケーションズ(現(株)KADDKAWA)にてエンタテインメン卜誌や金融情報誌などの雑誌編集に携わった後、映像製作会社を経てフリーランスに。手がけた脚本に映画『ココニイルコト」『夜のピクニック』『天国はまだ遠く』など。半身に麻痺を負った夫・轟夕起夫の仕事復帰の際、片手で出し入れできるビジネスリュックが見つけられなかったことから、片手仕様リュック「TOKYO BACKTOTE」を考案。
轟夕起夫
とどろき・ゆきお。東京都生まれ。映画評論家・インタビュアー。『夫が脳で倒れたら』著者・三澤慶子の夫。2014年2月に脳梗塞を発症し、利き手側の右半身が完全麻痺。左手のみのキーボード操作で仕事復帰し、現在もリハビリを継続しつつ主に雑誌やWEB媒体にて執筆を続けている。近著(編著・執筆協力)に「好き勝手夏木陽介スタアの時代」(講談社)J伝説の映画美術監督たちX種田陽平」(スペースシャワーブックス)、「寅さん語録」(ぴあ)、「冒険監督塚本晋也」(ぱる出版)など。