「献身的」で、なくていい! 突然、働き盛りの夫を襲った脳卒中と半身の後遺症。何の知識もなかった私は、ゼロから手探りで夫の復帰までを「闘う」ことになる――。当事者だけがツラいんじゃない。家族にも個別のツラさがある。ここでは、ライター・三澤慶子が綴る、葛藤と失敗と発見の記録である『夫が脳で倒れたら』から一部ご紹介。正しいカタチなんてない、誰もがいつか経験するかもしれない、介護のリアルをお伝えしていく。 本書から、第一章を全11回にわたって公開。第8回目。
発症、麻痺の悪化とセカンドオピニオン~夫は『ゼロ・グラビティ』の境地へ⑧
入院5日目。
「尿瓶?」
ベッドサイドのワイヤーラックに、それまでなかった尿瓶がかかっていた。
「自分で行けるって言ったんだけどさ、夜はこれ使えって」
そう言うトドロッキーの顔面右側の麻痺は進んでいた。笑っても右側の口角がまったく引きあがらない。
「自分で? 難しいでしょ、扱い」
尿をこぼさないようにしながら左手だけで全部やるのは大変そうだ。
「難しいよ。毛布も右手も邪魔だし」
転院しよう、とトドロッキーを誘ってみた。調べて見当をつけた病院も提案した。
「結果はここと同じかもしれないけど、ここよりいいかもしれないじゃない? やってみない?」
「転院できるのかな。できればいいけど」
「だよね。病院に聞いてみるけどいい?」
「いいよ」
誰に言えばいいんだろう。分からないのでスタッフステーションにいた看護師に言ってみた。
「転院したいんです」
看護師は、今日はソーシャルワーカーが休みだから明日相談してくれと言う。どんどん病状が悪化していること、別の病院に移っても同じかもしれないけれどチャレンジしてみたいことを伝えた。そして刻々と体の機能が落ちているトドロッキーにはもう猶予がない、だから明日ではなく今日転院したいと伝えた。きっと無茶なことを私は言っている。看護師も訴えをやめない私に困惑していた。
看護師は医師に確認してくれたものの、やはり答えは同じだった。
「やはり明日、ソーシャルワーカーを通してください」
明日じゃだめだ。行動するなら今日じゃなきゃ。ならばとその日、自宅に一度戻っていくつか見繕った大きな病院に直接電話をして転院を願い出てみた。異口同音、こちらがどんなに説明しても転院の可不可どころか、今入院している病院のソーシャルワーカーを通してくれとしか言わない。なぜ今日私が直接電話しているのかを説明してもだめだった。
病院ってそうなのか。決められたルートじゃないとだめなんだ。
諦めきれない私は、ならばとセカンドオピニオンを求めることにして病院に戻り、セカンドオピニオン用の資料を作ってもらった。これもすぐに作って欲しい、今日セカンドオピニオンを受けるために出向きたいと無茶を言った。できあがったのは2時間後で、セカンドオピニオン先に考えていたいくつかの病院の受付時間がちょうど終わった時間だった。
もっと早く対応してよ!とは思ったものの、医師にも手術が入っていたのだ。終わってすぐに資料作りに対応してくれたことになる。分かってはいるけど私は焦っていた。結果的に今日1日、状況を何も変えられなかったのだ。
ベッドではトドロッキーが顔を歪めていた。
「どした」
「便が出ない」
「下剤飲んでなかったっけ?」
「飲んだけど」
便のことは前日から腹に痛みがあって看護師に相談していた。薬で対策してもらったがまだ解決しておらず、かなり苦しいようだ。右側の舌が動かなくなったように、きっと右側の腸も動かなくなったんだろう。看護師に相談すると、結局摘便してくれ、トドロッキーは痛みから解放された。
トドロッキーにとっては生まれて初めての摘便だった。痛みは消えたが屈辱感があったのか精神的ダメージを負ったようで肩を落としていた。鎧を剥がされた人みたいに丸まって、またベッドに収まった。
夕食では、舌の右側が動かなくなったことで口内の右側にある食べ物を喉に送ることも吐き出すこともできなくなった。食事中に食べ物が右側に溜まっていくため、ときどき食べ物を指で掻き出さなければならなかった。
帰り際、トドロッキーは言った。
「殺してくれ。もういい」
同室の患者で、体を動かすことも話すこともできなくなった高齢男性のおしめから便が漏れていた。パジャマに茶色く染み出していて一眼で何が起きているか分かるのだが、ずいぶん長い時間取り替えることもされず放置されている。
「明日も会いたい」
トドロッキーにそう言ったが、トドロッキーから返事はなかった。
セカンドオピニオン用の資料を手に、「明日朝一で行ってくるから」とトドロッキーに伝えて帰宅の途についた。これがトドロッキーと交わす最後の会話にならないよう祈りながら。
帰宅は下り坂を徒歩でゆく。下り坂なのに上り坂に思えるほど息が上がった。
数日前からときどき息が苦しくなっていた。手持ちの中で一番体が楽な下着を選んでつけていたが、それでも締め付けられている感覚が消えない。深呼吸ができない。家にいる間は病院からの電話が今にも鳴るんじゃないかと電話が怖くなり、視界に入れないようにした。
トドロッキーの病室の窓に鉄格子がはめられていることに感謝した。少なくとも、ベッド横の窓から飛び降りることはできないようになっているのだから。
翌日の朝の「おはよう」のメールをもらうまで、まんじりともしない夜を過ごした。
* * *
この続きは『夫が脳で倒れたら』本書にてお読みいただけます。
*本文中に出てくる病院、医療関係者、患者などの個有名は仮名です。
筆者について
みさわ・けいこ。北海道生まれ。ライター。
(株)SSコミュニケーションズ(現(株)KADDKAWA)にてエンタテインメン卜誌や金融情報誌などの雑誌編集に携わった後、映像製作会社を経てフリーランスに。手がけた脚本に映画『ココニイルコト」『夜のピクニック』『天国はまだ遠く』など。半身に麻痺を負った夫・轟夕起夫の仕事復帰の際、片手で出し入れできるビジネスリュックが見つけられなかったことから、片手仕様リュック「TOKYO BACKTOTE」を考案。
轟夕起夫
とどろき・ゆきお。東京都生まれ。映画評論家・インタビュアー。『夫が脳で倒れたら』著者・三澤慶子の夫。2014年2月に脳梗塞を発症し、利き手側の右半身が完全麻痺。左手のみのキーボード操作で仕事復帰し、現在もリハビリを継続しつつ主に雑誌やWEB媒体にて執筆を続けている。近著(編著・執筆協力)に「好き勝手夏木陽介スタアの時代」(講談社)J伝説の映画美術監督たちX種田陽平」(スペースシャワーブックス)、「寅さん語録」(ぴあ)、「冒険監督塚本晋也」(ぱる出版)など。