2022年6月3日(金)に公開を控えた、映画『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』。本作の監督で漫画家・アニメーターの安彦良和がこれまでに手掛けてきた「全仕事」を、30時間を超えるロングインタビューで語り下ろした『安彦良和 マイ・バック・ページズ』(2020年11月発売)。ここでは、安彦良和作品のファン、そして最新作の公開を待つ方々にとっても永久保存版となる本書の中から、映画がもっと楽しみになるエピソードをご紹介します。なかなか進行しない『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』のアニメ化企画に安彦がとった行動と、その思いとは――。
『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』のアニメ化にかけた思い
2011年6月。『ガンダムエース』2011年8号の誌上にて『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』の最終回の掲載に合わせ、誌面に驚きの発表が掲載された。それは『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』のアニメ化決定の一報だったが、その誌面では、速報的に制作が決定したと伝えるだけに留まっていた。
その後、続報がないまま3年が経過し、次の進捗が伝えられたのは2014年3月。「機動戦士ガンダム35周年プロジェクト発表会」の会場にて、最初のプロモーションビデオが公開されると共に「2015年春にイベント上映決定」と伝えられた。
そして、ガンダム35周年記念作品という形で、過去編である「シャア・セイラ編」を全4話で制作するという形でスタートを切ることになる。
しかし、アニメ化の報から、実際に映像化が動き出すまでには3年もの時間がかかってしまった。その間にはどのような動きがあり、そして、どのように映像化に向けた企画が進められていったのだろうか?
連載中から少しずつアニメ化の話は出ていたんだけど、どんな経緯で連載の最終回に「アニメ化決定」と発表されたのか記憶が曖昧で。
でも、アニメ化に向けては、かなり難航した部分が多くて、決まったはいいけどなかなかスムーズに行かなかった。
相当の紆余曲折があって、最終的には「俺は『THE ORIGIN』のアニメをやりたいんだ」とサンライズに強く伝えて、それで作ることになったんだよね。
アニメ化の話が出はじめた頃は、奥ゆかしく「誰かがやってくれるんだったら」なんてお任せな気分で考えていたんだけど、決定したと言いながら、なかなか話が進まなくてね。
結構長いこと時間がかかるうちに、こっちがだんだん焦れてきちゃって。そのうち「俺がやる! だからやらせろ!」とかなり露骨に言うようになっていった。
アニメ化の直接のきっかけになったのは、2010年の『THE ORIGIN』の連載が終わりに差しかかった頃、7月にサンライズの元社長の山浦栄二さんが亡くなった時でね。その葬式の日に、改めて「俺は『THE ORIGIN』のアニメをやりたいんだ」とサンライズの役員に言った記憶がある。その後、『ガンダムエース』の企画で大河原さんとご自宅で対談することになって。その場に後からサンライズの前社長で、当時会長だった吉井孝幸さんと当時社長だった内田健二さんがやってきて、お酒を飲む機会ができた。そこで、大河原さんと現社長、前社長の間で「やろう!」という話になり、これでやっと決まったという感じになって。それで、漫画の連載の終わりに「アニメ化決定!」と発表されたんじゃないかな。その時は本当に嬉しかったね。
アニメ版『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』は、制作当初はテレビシリーズとして制作が検討され、原作と同じようにサイド7から物語が始まり、コミックスで描かれた一年戦争を追っていくという形で企画が進められていた。
そして、当初は「シャア・セイラ編」や「開戦編」は、その物語の途中に配置するような構成が考えられていたという。それは、ある意味『機動戦士ガンダム』をリライズするというものだったが、その企画は制作開始当初から難航しはじめてしまう。
当初は、テレビシリーズでやる予定だった。今西(隆志)さんが監督に決まって、隅沢(克之)さんがシナリオを書いて。でも、テレビシリーズでやるということに関しては、その後サンライズ側からストップがかかって。そこで、改めて企画を変更する中で、「とりあえず過去編をやりましょう」という形に変わっていって。それも、過去編全部ではなくて、「シャア・セイラ編」として描かれたパートを4本でやると。
サンライズの社内の事情はわからないけど、別の件でサンライズの幹部の人と話をした時に、当時は「業界的にテレビシリーズに関しては及び腰になっている、だから、テレビシリーズは厳しい」ということを言われるようになった。そのわりにはテレビシリーズのアニメはいまだに結構多いじゃないかと思うけど、昔のようにスポンサーが付いたから2クールだ4クールだとやるようなことはもうないと。
テレビシリーズでという話が出たのは、かれこれ10年も前の話だから、当時はそれほどシビアじゃなかったんだけど、それからどんどん制作する環境が厳しくなって。その結果、『THE ORIGIN』はOVAとしてアニメ化されることになったということなんだろうね。
『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』のアニメ化に関して、当初、安彦はそんなに深く関わる予定ではなかった。監督は『機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY』や『機動戦士ガンダム MS IGLOO』シリーズを手掛けてきた今西隆志が務めることが決定。安彦は、それらをチェックする立場で関わる予定だったが、作業が本格的に動き出すと状況は大きく変わっていった。
かなり後になるまで「今西監督でいいんじゃないか」と言って、俺はちょっと離れた場所から作品を見させてもらうつもりだった。メインの監督と、それを見るもうひとりの監督という、ふたり監督体制のような感じで。
ただ、実際に作業が進んでシナリオが上がってきたり、絵コンテに入るとなると、なかなか離れて見ているからというわけにはいかなくて。特にシナリオに関しては、「その解釈ではダメ」というのが出てくるんだよね。その解釈でやってしまうと伝えたい意味が変わってしまう。そうなると、「こうしなくちゃダメだ」とこちらも強く出るようになり、さらに絵的な部分でも気になるところが出てくる。
それを離れたところかいろいろと言うだけというのは、かえって現場から嫌われるなと思って。だったら、ちゃんと責任のあるポジションで現場に密着する方がいいし、自分で汗をかいた方いい。やっぱり、外側からゴチャゴチャと文句を言われた方は「じゃあ、自分でやってみろ」って言いたくなる。「じゃあ、やってやろうじゃないか」って言う方がいい。それで、ふたり監督という体制から、総監督というポジションに変わっていった。
現場に関わるのも、いきなり「俺が総監督をやる」という感じではなくて、徐々に関わり方が変化していったという感じだね。完全に自分が現場に入っちゃおうというところになるまで、プロセスは相当あった気がする。
やっぱり、そうした関わり方に関しては、具体的に問題が出てきて初めて考えるわけだからね。台詞の一字一句のチェックをしているうちにいろいろと考えることもあった。
総作画監督は西村博之さん、メカニカル総作画監督は鈴木卓也さんにお願いして、キャラクターデザインも当初は西村さんでいこうということだったんだけど、実際に描いてもらうとやっぱりタッチがちょっと違う。
西村さんの仕事を見せてもらって、力のある人だとは思ったんだけど、何といっても総作監は仕事量も多くなるし、キャラクターデザインは別の人にしてくれと。そこで、俺がキャラクターデザインに漫画家のことぶきつかささんを推薦するんだけど、最初の頃はサンライズ側から「何でアニメーターではなくて漫画家なの?」みたいな顔をされたんだよね。
テイスト的に彼の方が俺の絵に近いからキャラクターデザインを頼んだんだけど、実際に描いてもらったら案の定違和感がない。彼、今はすっかりサンライズに重宝がられちゃっているようだけどね。そんな感じで、気がつけば現場にいろいろと口を出していて、「何だ、俺、アニメ業界に戻ってきちゃったな」という感じでね。
1989年に公開された『ヴイナス戦記』を最後に、安彦はアニメーションの現場からは「引退」し、遠ざかってきた。当時のアニメ業界のトレンドも含め、アニメ業界に自分の居場所がないと自覚して身を引いたことに関しては、最後の監督作品となっていた『ヴイナス戦記』を封印作としていたことからもその決意の固さを読み取ることはできる。
そんなバックボーンがありながら、アニメーションの現場に復帰することに関しては、どのような思いがあったのだろうか?
完全にアニメーション業界に戻るのではなくて、「俺は漫画家なんだ」というところに軸足は置き続けている。
ただ、現場に対してはお客さんにならないっていうことで戻るので、抵抗はなくて、むしろ作品に貢献はできる、戦力になれるという方が大きかった。たとえば、絵コンテを切るということに関してはずっとブランクがあったわけだから、「今やっても、絵コンテをちゃんと切れるのかな?」と最初は思う部分もあったんだけど、コンテ用紙も当時とはそんなに変わっていないし、タイムシートも同じ。これならできるかなと思ったという感じだったね。
実際に、やりはじめてみるとわりとスイスイとコンテ切れるし、現場から「速いですね」なんて言われて調子に乗って、「当たり前だよ! これが普通だよ!」「もう上がっちゃった。作打ち(作画打ち合わせ)まだ?」なんて、逆にせっついたりしてね。
これなら足手まといにはならずに、むしろ貢献できるかなって自信を持てた。
現場を見ていると、俺が現役だった頃に比べるといろいろとチェック関係とかが遅くてね。自慢じゃないけど、進行さんが上がったカットを持ってくると、基本的にはチェックは翌日に渡すようにしていた。預かったらひと晩で目を通して指示を出す感じで。
持って来たカット袋が目の前にあると、気になって本業の漫画を描くのに集中できない。だから、チェック関係を最優先でやっていった。それこそ、「安彦のところにチェックを持って行くと、戻りが遅い」なんて言われると鬱陶しいし、スケジュールの遅れた理由にされるのも嫌なので、とにかくチェックの戻しは早く持っていってくれと。そんな感じでやっていた。
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※続きは本書『安彦良和 マイ・バック・ページズ』にてお読みいただけます。
本書では、アニメ『機動戦士ガンダム』のほか、『クラッシャージョウ』『巨神ゴーグ』『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』、漫画『アリオン』『虹色のトロツキー』『天の血脈』『乾と巽-ザバイカル戦記-』などの作品についてのインタビューや、単行本発収録となる漫画『南蛮西遊記序章』(オールカラー24ページ)も収録。安彦良和の「マイ・バック・ページズ=歩んできた長き道のり」、その軌跡のすべてが詰まった一冊。書籍・電子書籍ともに好評発売中です。
また、ゲーム&カルチャー誌『CONTINUE』では、『安彦良和 マイ・バック・ページズ』が特別編として復活! Vol.76から全3回の予定で、待望の監督最新作となる映画『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』の公開を控える安彦良和氏に再びロングインタビューを敢行。こちらも併せてチェックしてみてください。
筆者について
1947年生まれ。北海道出身。1970年からアニメーターとして活躍。『宇宙戦艦ヤマト』(74年)、『勇者ライディーン』(76年)、『無敵超人ザンボット3』(77年)などに関わる。『機動戦士ガンダム』(79年)では、アニメーションディレクターとキャラクターデザインを担当し、画作りの中心として活躍。劇場用アニメ『クラッシャージョウ』(83年)で監督デビューする。その後89年から専業漫画家として活動を開始し、『ナムジ』『神武』などの日本の古代史や神話をベースにした作品から、『虹色のトロツキー』『王道の狗』など日本の近代史をもとにしたものなど、歴史を題材にした作品を多く手掛けている。2001年から『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』の連載をスタート。10年にわたる連載終了後、アニメ化。現在『月刊アフタヌーン』にて『乾と巽-ザバイカル戦記-』を連載中。2022年6月には待望の監督作『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』が公開された。
1971年生まれ。茨城県出身。アニメ、映画、特撮、ホビー、ミリタリーなどのジャンルで活動中のフリーライター・編集者。アニメ作品のパッケージ用ブックレット、映画パンフレット、ムック本などの執筆や編集・構成。雑誌などで、映画レビューや映画解説、模型解説、インタビュー記事などを手掛けている。著書に『マスターグレード ガンプラのイズム』(太田出版)、『機動戦士ガンダムの演説から学ぶ人心掌握術』(集英社・共著)、『不肖・秋山優花里の戦車映画講座』(廣済堂出版・共著)などがある。