何もない“おしまいの地”に生まれた著者・こだまの、“ちょっと変わった”人生のかけらを集めた自伝的エッセイ集「おしまいの地」シリーズ。『ここは、おしまいの地』『いまだ、おしまいの地』に続く三部作の完結編『ずっと、おしまいの地』が、2022年8月23日に発売されました!
最新刊発売を記念して、「おしまいの地」シリーズ第1作目となる『ここは、おしまいの地』から珠玉のエピソード6作品を特別に公開します。
今回は、学生時代の彼氏について。
私の通っていた集落の中学校は『ごくせん』さながらの荒野だった。
ガラスが頻繁に割られ、掲示物は貼ったそばから無残に破られた。
私は中学に入って間もなく、同じクラスの100キロ以上ある金髪のヤンキーに「付き合おうぜ」と言われた。「帰ろうぜ」みたいなノリだった。相手は冗談で言ったのかもしれないが、私は本気と冗談の区別があまりつかない人間だったので、その言葉のとおり付き合うことになった。
当時好きだった男の子に嫌われた悲しみと、ヒステリックに怒鳴り散らす母への反抗心が募っていた私は「全然好きではないが付き合うしかない」と思ったのだ。0か100。昔からそういう極端なところがあった。
人生を変えるなら、これくらい思い切らなければ駄目だ。
どうせここは「おしまいの地」なのだから。
そのヤンキーは小学生を脅して金を巻き上げたり、平気で万引きをしたりする、ろくでもないところがあり、「豚」とか「金髪の豚」と呼ばれていた。「紅の豚」や「金髪豚野郎」よりもずっと前から、集落には「金髪の豚」が存在した。こっちが元祖だ。
金髪豚の素行の悪さは集落中に知れ渡っていた。母は豚のお母さんに「うちの子と関わらせないで」と直談判し、私には「あっちの家には二度と行くな。男と女が同じ部屋にいたら何をされるかわからない」と、ものすごい剣幕で怒鳴った。
母や豚のお母さんが心配するようなことは起きていなかった。そんなことは余計なお世話だった。なんて気持ちの悪いことを想像するのか。私は顔を真っ赤にして部屋に籠り、その後も母への当てつけのように豚の家に通った。
彼の家はスナックを経営していた。そこは焼肉屋を改装した店舗で、テーブルにコンロが残っていたり、お通しにキムチや焼肉が出てきたりする焼肉屋の名残が強すぎる店だった。
カラオケの機材を置いただけの、何をしたいのかよくわからない店内。都会の流行りに追いつこうとして、余計に引き離されてしまったような侘しさだけが漂っていた。集落の姿、そしてそこに居座る人間そのものを体現した店だ。
焼肉カラオケスナックはヤンキーたちの溜まり場になっており、私は先輩ヤンキーの歌う米米CLUBや徳永英明を聴かされていた。「尾崎豊は俺たちのレベルが歌っちゃいけない」。そう話していたのは眉毛のない先輩だった。「おしまいの地」のヤンキーたちはその妙な言いつけをきちんと守り、幸か不幸かポップで夢のある歌ばかり歌っていた。
自ら決めたこととはいえ、その店に連れて行かれることも、バイクを見せられることも、金髪豚の部屋で再放送ドラマを黙って観るだけの時間も、毎日定時にかかってくる電話も、想像以上の苦行だった。人と接するだけで息切れがするほど心身を消耗するのに、いきなりヤンキーが相手とはハードルが高すぎた。
日に日に胸が苦しくなってゆき、小5のときに発病したストレスによる過敏性大腸炎を悪化させていった。
学校でも変化があった。
私の机にガムテープで「豚」という文字を貼られるようになったのだ。カタカナじゃないところに執念を感じた。
朝、登校すると、まず机上のガムテープをびりびりと剥がすことから始まった。好きではないのに。クソ。全然好きではないのに。クソが。そう心の中で吐き捨てながら剥がす。
あるときは油性ペンで「豚」と落書きされた。嫌がらせが続けば続くほど「絶対に犯行現場を押さえてやる」という使命感に駆られ、それが生きがいとなった。
誰よりも早く登校し、部活帰りに教室を見回る。好きではないヤンキーと付き合い、不本意な嫌がらせを受け、パトロールに全神経を使う。身から出た汚物を全力で回収しにいくような毎日だった。
パトロールに恐れをなしたのか、嫌がらせはいったん止んだが、安堵して通常の生活に戻すと、またすぐに机上の落書きが始まった。
傷ついた顔を見せてはいけない。それを確認したくてうずうずしている人間がいるのだから。
私は落書きに気付かぬ振りをして着席し、しばらく俯いた。そして心の中の「せーの」のタイミングでパッと顔を上げた。すると教室にいた男女十数人が私の反応を愉しむように薄ら笑いを浮かべていた。
全員かよ。
呆気にとられた。
ひとりで闘うということは、こんなにも神経を消耗するのだ。ヤンキー疲れにパトロール疲れ。まったくもって、しなくていいことばかりだった。ひとつひとつやめていこう。
金髪豚に「別れたい」と申し出たところ、「今後誰とも付き合いません」と一筆書かされた。
私のささやかな暴走は昭和と共に終焉し、再び静かな生活に戻った。
平成は平静の始まりとなった。
偏差値5の中学を出て、偏差値7くらいの地元の高校へ行き、「進学するなんてすごいね」ともてはやされながら、それほどでもない大学に入学した。
あれは大学に入って最初の夏休みだった。
都会の食べ物の代表格「ミスタードーナツ」の箱を手に、地元のバス停に降り立った。何者かになったような気分でシャッターだらけの商店街を歩いていると、車高の低い車が一台、ずんずんと重低音を響かせながら、こちらに向かってきた。
すれ違いざま、その運転手と私は同時に「あっ」と口を開いた。
忘れもしない、金髪豚だった。
いったん通過した豚車が、小学校の校門前でタイヤを鳴らし、Uターンするのが視界に入った。私は反射的に走り出していた。大事に抱えてきた都会の食べ物「ミスタードーナツ」の箱を大きく振りながら、車の進入できない細道に向かって全速力で走った。後方から重低音が追ってくる。
ずっと昔に終わったことなのに。念書も書いたのに。
私は変わった。ちゃんと変わろうとしている。そのために集落を出たのだ。ぐらつかないよう自分に言い聞かせた。
では、なぜ逃げているのか。過去と向き合えばいいじゃないか。矛盾した気持ちを抱えながら走った。豚にまつわるすべてを払い落とすように走り続けた。
都会のドーナツは箱の片側でぐしゃりと潰れ、クリームが飛び出していた。
これはいまの私の姿かもしれない。
(初出:「ここは、おしまいの地」(2015年)より一部抜粋し、加筆修正)
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本書では他にも、中学の卒業文集で「早死しそうな人」「秘密の多そうな人」ランキングで1位を獲得したこと、「臭すぎる新居」での夫との生活についてなど、クスッと笑えたり、心にじんわりと染みるエピソードが多数掲載されています。
また、こだまさんの最新刊『ずっと、おしまいの地』は絶賛発売中! ぽつんといる白鳥が目印です。
筆者について
エッセイスト、作家。デビュー作『夫のちんぽが入らない』でYahoo!検索大賞を2年連続で受賞(第3回、第4回)、『ここは、おしまいの地』は第34回講談社エッセイ賞を受賞。ほか『いまだ、おしまいの地』、『縁もゆかりもあったのだ』など。