モンシロチョウを棄てた街で

ここは、おしまいの地暮らし
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何もない“おしまいの地”に生まれた著者・こだまの、“ちょっと変わった”人生のかけらを集めた自伝的エッセイ集「おしまいの地」シリーズ。『ここは、おしまいの地』『いまだ、おしまいの地』に続く三部作の完結編『ずっと、おしまいの地』が、2022年8月23日に発売されました!
最新刊発売を記念して、「おしまいの地」シリーズ第1作目となる『ここは、おしまいの地』から珠玉のエピソード6作品を特別に公開します。
今回は、30代での再就職と仕事について。

いままでの自分を変えたくて、30代のはじめに未知の職種に就いた。変わらざるを得ない環境に身を置けば、違う人間になれるような気がしたのだ。

私の人生は20代でいったん幕を閉じている。

子供のころから憧れていた教職に就き、長く交際していた人と結婚もして、これ以上ないくらいの成就だったはずだったのに、元来の気の弱さが原因で両方ともこんがらがった。ついに精神を病み、幻聴や幻覚まで生じるようになって、すっかり力尽きてしまった。何も成し遂げないまま退職届けを出した。結婚生活のほうは、かろうじて細く静かに続いている。

引きこもり同然で30歳の誕生日を迎えた。昼ごろにもぞもぞと起き、暗くなるまでインターネットを貪る。そんな何も生み出さない生活。一週間があっという間に過ぎてゆき、次のひと月も同じように繰り返す。そうやって確実に歳だけを重ねていた。

一心に祈りながら大学受験した一八の私や、採用通知を手に涙をこぼした22の私は、こんな未来を一瞬でも想像しただろうか。そんなことを考えると胸が張り裂けそうになるけれど、ただ振り向いてみるだけで何もせず、ずるずると怠惰な生活を続けていた。
 

ある夏の終わり、車の助手席の足元でモンシロチョウが両の羽をぴたりと重ねて死んでいた。その存在を強く意識しつつ、かと言ってつまみ出すこともせず、常に視界の隅に置いたままハンドルを握っていた。

きょうこそどこかに棄てよう。そう思うが、何日も同乗させていると変に愛着が湧き、その辺りの灼熱したアスファルトの上に放り投げるのは忍びなかった。もう少し涼しくなったら、それなりの場所で。ぐずぐずしているうちに初雪が降った。雪の上に放るのはあんまりだ。チョウをつまみ出すくらい一瞬なのに、いつも先延ばしにし、季節が変わっていた。時間が経てば経つほど棄て場所にこだわった。

東京よりもふた月遅れで桜が満開を迎え、棄てるなら今だと思い立った。

公園の柔らかな芝生の新芽の上に、寝かせるようにして置いた。淡い檸檬色をした羽は古本のページのように乾いていた。なんということはない。あっけなく、簡単なことだった。

モンシロチョウを棄てた春、私の足は職安へと向かっていた。

私もこの数年間ずっと死んでいるようなものだった。動き出さなければいけないとわかっているのに、決断できずにいたのだ。

全身から光を発するように「変わりたい」と一歩踏み出したとき、視界にすっと入ったのが「ライター募集」の文字だった。私は運命や縁というものを信じてしまう。このときも、弧を描いて飛んできたボールを両手で受け取ったような気持ちになった。
 

ライターを募集していたのは、地域の情報誌を発行する小さな編集部だった。

迎えてくれたのは足元のおぼつかない高齢の男性。老人ホームで鶴を折っているほうがしっくりくる、暇を持て余すおじいさんに見えた。お茶を運んできた熟年女性はなぜか不機嫌そうだった。ほかのライターは取材に出て留守らしい。私は倦怠期の老夫婦宅に招かれたような気まずさを覚えた。

想像と違うな。あまりにも違う。編集部って情報の飛び交う、もっと活気に溢れた場所じゃないのか。ここには険悪な老いた身体がふたつあるだけだ。

老人は眼鏡をかけたり外したりしながら履歴書を一読し、ようやく口を開いた。

「あんた、子供はこれから産む気?」

それ最初に聞くんだ。いや最後でも身構えるけれども。

「子供は産みません」

「どうして」

「子供ができない身体なのです」

「ほう」

ぎりぎりを攻めてくる老人に、私もぎりぎりを返した。

本当にこれが平成の世のやりとりだろうか。この部屋だけが時代の進化から置き去りにされている。

「女の人を採用してもね、結婚だ育児だって言ってすぐ辞めちまうんだよ。こっちは時間をかけてせっかく仕事を教えたのにさ。そういうの一番困るの。そう、あなた、産まないの。いいねえ。そういう人が欲しかったんだよねえ。明日からすぐ来てよ」

老人は目を細めた。

産めないことを絶賛されるのは初めてだった。

結局、質問と呼べるような質問はこれきり。その場で採用が決まった。

帰り際、最後まで自己紹介されることも名刺を渡されることもなく「おじいさん」と呼ぶしかなかったその人が編集長だと知った。

この編集部ほんとに大丈夫なのか。不安の針が極限まで振れた。
 

ペンと取材用のノートを購入し、翌日から張り切って出社したが、最初に教わったのはトイレ掃除の仕方だった。

「ここの男たちは全員ちんこが曲がってるからトイレを汚す。それはそれは汚す。最悪な男たちなんだよ」

きのう不機嫌だったおばさんは、さらに輪を掛けて虫の居どころが悪そうだった。ほぼ初対面の人間にそんな不満をこぼす彼女も、私には「最悪」の一味に映った。もとからこういう人なのか、それとも昭和の社風が生んだモンスターか。私もいずれおばさんと一緒に「ちんこが曲がってる」と悪態をつくようになるのだろうか。

そんなことを考えながら便器の黄ばみをブラシでこすった。汚れが何層にも重なっている。

不意に「家事はリズムだよ」という母の言葉を思い出した。

ここが(ゴシ)きょうから(ゴシ)私の職場(ゴシ)、ここが(ゴシ)きょうから(ゴシ)私の職場(ゴシ)。噛みしめるようにブラシを一定のリズムで動かした。

私とおばさん、社内でふたりきりの女が日替わりでトイレを掃除することになった。察していたが、ここに男女平等という考えはないらしい。
 

次に教わったのがコーヒーの淹れ方だ。ペンとノートの出番は永久にやってこない気がした。「きょうから変わる」と浮かれて家を出たときの自分はもういない。

「うちでは前日のうちにコーヒーを作っておくの」

言っている意味がまったくわからない。

呆気に取られる私を尻目に、彼女は台所の下からペットボトルを二本取り出した。中には真っ黒い液体がたっぷり入っていた。手慣れている。劇薬で亭主を殺すときの所作である。

黒々とした液体を鍋に注ぎ、ガスコンロの火にかけた。これが「前日に作ったコーヒーを本日のコーヒーとして飲ませる方法」らしい。ぐつぐつと煮たった鍋から、つんと焦げ臭さが漂う。狭い給湯室が毒素でいっぱいになった。

「あいつらなんかこれでいいんだ」

とうとうおばさんの本音がこぼれた。

コク、香り、酸味というコーヒー豆農園のこだわりが、コゲ、えぐみ、痺れに変わる。無慈悲な豆殺しの現場に立ち会ってしまった。これで終了かと思ったら、彼女は澄ました顔で戸棚から急須を出し、自分の湯飲み茶碗に緑茶を注いだ。自分だけは淹れたてのお茶を飲むのだ。根が深い。

男社会に対する反旗なのだろう。おばさんは長年虐げられてきたに違いない。

その気持ち、少しわかるような気がします。そう寄り添いかけたとき、毒素コーヒーが私のマグカップにもなみなみと注がれた。手順を見せておいて飲ませるのかよ。私もあっち側の人間であることが確定した。
 

トイレ掃除、お茶汲み、ゴミ回収を経て、この日ようやく教えてもらったのが電話番だった。

編集部には住民からの取材依頼や身近なおもしろ情報の提供のほか、記事へのクレーム、誤字脱字の指摘、社員の態度が悪い、もう絶対読まない、二度と取材に応じないからな、金返せ、こんな会社潰れちまえ、訴えてやる、ドロボー、恥さらし、死ね、何回も死ね、全員死ね、といった実にさまざまな電話がかかってくるらしい。

「圧倒的に嫌な内容が多いけど気にしないでね」

気にしているから私に押し付けようとしているのが丸わかりだった。

「いい? 受け流すのよ。気にしちゃだめだからね」

彼女は念を押した。
 

顔の見えない相手は、ときに思いもよらない事実を告げてくる。

「はい、編集部です」

「山羊座がないんだけど」

「えっ?」

「おたくの星占いのページだよ。見てみなよ」

まさか「占いが当たらない」というクレームだろうか。近年そういった理不尽なクレームがあると聞く。不穏な空気を感じつつ、ページをめくり「今週の運勢」に目を落とすと、12星座占いから山羊座の欄だけ跡形もなく消滅していた。まるで神隠しのようにさらわれていた。

「ずうっと山羊座だけなかったんだよ」

思いもよらぬ指摘だった。占い業者のミスで、しばらく11星座占いになっていたらしい。翌週から何事もなかったように山羊座がひょっこり復活した。

星座消滅のクレームはその一件だけだった。山羊座の人はかなり辛抱強いのだろうか。もしくは占いなんかに頼らない現実的な性格なのかもしれない。

編集部の回線は不思議な人物にも巡り合わせてくれた。

「はい、編集部です」

「……くるぞ」

「えっ?」

「アメリカが攻めてくるぞい。攻めてくるぞい。備えよ。今すぐ備えよ。準備はいいか?」

男性は高音でまくし立てた。

どういう意味だろう。戸惑っていると、隣の熟年ライターが「すぐ切れ」という身振りをした。背中をすっと撫でられたような感覚になり、あわてて受話器を置いた。

夜になると、この人物から同じ内容の電話が頻繁にかかってくるらしい。通称「アメリカさん」。影響力ゼロの編集部に日本の危機管理の甘さを訴える殊勝な存在だ。
 

夜に鳴る電話の大半はクレームだった。

私はコール音が響くたびに、ぎゅっと身構えるようになった。子供のころから電話が大の苦手だった。苦行といってもいい。仕事を変えたら性格も変わるような気がしていたけれど、現実はそう甘くない。苦手なものはやはり苦手なままだった。

どうか悪い報せではありませんように。いきなり怒られませんように。話の通じる相手でありますように。思いつく限りのお祈りをしても、受話器を取った瞬間に罵声が飛ぶ。

「はい、編集部です」

「どうなってんの? この時間になってもまだ届かないんだけど。契約切るぞ」

相手の怒りは、すでに頂点に達していた。私は配達に関して何もわからないが「知らない」で済む空気ではなかった。

「申し訳ないと思ってるんなら、いますぐ持って来いよ」

回線がブチンと切れた。

この街に引っ越してきて2年。住所を聞いてもまるでぴんとこない。しかし、行かねばなるまい。無事に辿り着けたとしても、ひどい言葉で罵られるだろう。
 

冊子を一部抱え、飛脚のように駆け出した。私の仕事ではないのに。配り忘れたやつ誰だ。許さない。焦りと理不尽さで喉がからからになった。

家が見つからないのではないか、という不安は杞憂に終わった。古びた一軒家の前で中年の男性が腕を組んで待ち構えていたのだ。車のライトを全身に浴びても、仁王立ちで微動だにしない。

「馬鹿野郎、どいつもこいつもいい加減な仕事ばかりしやがって」

謝罪する間もなく、手の中の冊子を力ずくで奪い、大股で去っていった。執拗に責められる覚悟をしていた私は拍子抜けした。

会社に戻ると、私を待っていたかのように電話が鳴った。仁王立ち男かもしれない。おそるおそる受話器に手を伸ばした。

「アメリカが攻めてくるぞいっ! 備えは良いかっ!」

アメリカさんであった。今夜も飛ばしている。張りつめていたものが一気に緩んだ。

「せんと~う~! じゅんび~! 来るぞ来るぞ来るぞーいっ!」

いまの私には朗報以外の何ものでもない。

3カ月の研修期間を終え、ひとりで取材に出るようになった。

その人からの電話は夜遅くにかかってきた。

「はい、編集部です」

「明日うちで楽しい集会があるんだけれど、取材に来ていただけるかしら」

話し方に品のある婦人だった。彼女の家でホームステイをしている留学生たちが着付けや生け花、餅つきなどをして日本文化に触れるという。

指定された場所は高齢者が多く住んでいそうな団地だった。しんとしていた。人の営みが感じられない。本当に留学生が何人も身を寄せているのだろうか。

不審に思いながら呼び鈴を押すと、オレンジ色のエプロンをした中年女性が顔を出した。怪訝な顔でこちらを見ている。

「留学生がお餅つきをすると伺ったのですが」

「はあ? 何かの間違いじゃないですか。ここはおばあちゃんのひとり住まいですよ。最近、ボケ始めちゃったんだけど」

彼女は身の回りの世話を任されているホームヘルパーだった。おばあさんは突如やってきた私に目もくれず、再放送のドラマを見ている。その目にちゃんと映っているのか、内容が耳に入っているのか定かではない。

私の耳の奥には「あなたもご一緒にどうぞ」と誘う、昨夜の艶っぽい声がまだ残っていた。とても滑らかな口調だった。遠い昔、そんな賑やかな一日が確かに存在したのだろう。広い家で暮らしていたのかもしれない。そこで繰り広げられる異国の少女らの餅つきや着物姿を想像した。

こちらの世界と向こうの世界を行ったり来たりしているおばあさん。彼女の浮遊する空間に手招きされた嬉しさと、祭りのあとの侘しさを覚えながら、静かに団地を離れた。
 

「来るぞ来るぞ来るぞーい」

アメリカさんは今夜も威勢が良い。絶好調だ。

いつしかアメリカさんの電話が19時の時報がわりになっていた。普段は先輩の言いつけ通りすぐ切るようにしていたけれど、その日はひとりで残業していたこともあり、つい呼びかけてしまった。

「アメリカさん、今夜は月食ですよ。月が赤いんです」

「マジで?」

思いがけず素の反応が返ってきた。

「ちょっと窓を開けてみてください」

「ああ、本当だ」

「きょう仕事で大きな失敗をして、めちゃくちゃ怒られてしまいました」

約束の日時を勘違いし、取材相手に「もう二度と引き受けない」と宣告されたのだ。老いた編集長が直々に謝罪して事なきを得たが、社に戻ってから老人の恨み言がねちねちと続いた。その昼間の失敗を引き摺っていた。

「そんなこともあるよ。気にしないで」

あの一方通行のアメリカさんから予想もしない言葉が放たれた。

なんて温かい響きだろう。神の言葉が降りてきたのかと思った。心を打ち震わせながら家路についた。夜風が心地よかった。

翌日、19時ちょうどに電話が鳴ったけれど、アメリカさんは通常通り「来るぞい」を連呼し、一方的にガチャンと切った。心が通じ合ったような気がしたのは幻か。月食が引き起こした一夜限りの奇跡だったのかもしれない。
 

師走に入り、社内の廊下に見慣れぬ大きな紙が貼られた。読者拡張月間と書いてある。販売や事務の人たちに向けた呼びかけだろう。私には関係ない話だ。そう気に留めることなく数週間が過ぎたころ「達成していないのは君だけだよ」と編集長に咎められた。どういう意味だろう。貼り紙をよくよく読むと、新規の読者を3人以上つかまえてこい、という命令だった。その表には社員全員の名前があり、すでにたくさんの星マークが付いていた。星は獲得した人数だった。

私の名前のところだけ見事に空白だ。客の取り合いになるから誰も教えてくれなかったらしい。
 

ツテもコネもない私は一軒ずつ訪問し、勧誘するしかないのだろうか。忌み嫌っていた訪問販売まがいのことを自分もやる日が来るなんて夢にも思わなかった。そもそも胸を張れるほど魅力あふれる情報誌とは言えない。嘘を押し付けるようで気が進まなかった。

「生ぬるいことをしてないで読者を見つけて来い」

その日も編集長に叱られたばかりだった。

すっかり途方に暮れていた。適当に記事を書いているわけではない。ちゃんと取材をし、提出期限ぎりぎりまで考えて書いている。それなのに自分の文章を人に勧められる自信がない。本当にお金を払ってもらえる価値があるのかと常に迷いながら書いていた。

年金世帯が多いこの街で、定期購読する余裕のある家が果たしてどれだけあるのか。できる限り探してみるが、最終的に「お金は結構なので半年だけ購読してもらえませんか」とお願いするつもりだった。もちろん自腹だ。けれど、それを頼める相手すら見つけられないまま時間が過ぎていった。
 

肩身が狭くなっていた私に思わぬ人物が手を差し伸べてくれた。

社内で記事を必死に仕上げていると、背後から声がした。

「あなただけまだ契約ひとつも取れてないじゃないの」

振り返ると、取材で知り合ったおじいさんが立っていた。坂本さんだ。

雑用にばかり回される私は、彼の飼う亀の取材をしたのだ。漬物石のような大きな緑亀で「名前を呼ぶと膝の上で丸くなる」と言っていたのに、小一時間粘ってもそんな愉快なことは一切起こらなかった。坂本さんは「こりゃあ駄目だ」と笑い、私もつられて吹き出し、茶菓子を食べて帰ってきたのだった。

亀と猫の区別すらつかないほどボケているんじゃないか。つい私は疑ってしまったが、それ以降ボランティアや趣味の場にたびたび呼ばれ、たくましく活動するお年寄りの記事をいくつも書かせてもらった。彼は地域の高齢者のまとめ役だった。
 

坂本さんは廊下の貼り紙を見たのだ。

「この辺に知り合い誰もいないんじゃないの?」

彼は鋭い。

「はい、毎日嫌味を言われております」

私は苦笑いをした。

「じゃあ私が契約しましょう。あなたの書いたもの、これからも読みたいんです」

坂本さんが社交辞令を言っているようには見えなかった。

これまで「年寄りの活動なんて誰もまともに書いてくれなかったんだよ」と、わざわざ会社まで足を運び、掲載誌を何部も買ってくれたのだ。

坂本さんは私の記事に自らお金を出してくれた最初の人物だった。私にもこの街に知り合いがいたのだ。思わず目頭が熱くなった。

そこから話は嘘みたいに進んでいった。

坂本さんが知り合いのおじいさんに呼びかけ、そのおじいさんがまた知り合いに呼びかけて、ねずみ算式にみるみる契約希望者が現れたのだ。長年その街に暮らす坂本さんは会社の事情を熟知しており「勧誘は年に2回あるから、次回のために人員を残しておこう」と入れ知恵までしてくれた。なんて頼もしい味方だ。じじいの結束力を舐めてはいけない。

しかし、強力な後ろ盾を得たにもかかわらず、私は体調を崩し、3年で職場を去ることになった。
 

この春、私は懐かしい街に引っ越す。

坂本さんを筆頭に守護霊みたいな集団が暮らす、モンシロチョウを棄てた街だ。

この数年で私自身に大きな転機が訪れ、全国を相手にする商業誌に連載してもらえるようになった。思うように書けなくて落ち込むことが多いけれど、そんなときは「読みたいんです」と真っ直ぐに言ってくれた坂本さんの顔を思い出す。それだけではない。私のバックには猛烈に息の臭い、死にかけの集団が付いている。あれから数年経っているから何人生き残っているかわからないけれど。

書くことを始めた場所で、これから何を書いてゆくのか。あの街や自分自身の変化を肌で感じることができるのか。私は荷造りをしながら少し浮き立っている。

(初出:「モンシロチョウを棄てた街で」(2016年)『クイック・ジャパン』連載)

* * *

本書では他にも、中学の卒業文集で「早死しそうな人」「秘密の多そうな人」ランキングで1位を獲得したこと、「臭すぎる新居」での夫との生活についてなど、クスッと笑えたり、心にじんわりと染みるエピソードが多数掲載されています。
また、こだまさんの最新刊『ずっと、おしまいの地』は絶賛発売中! ぽつんといる白鳥が目印です。

筆者について

こだま

エッセイスト、作家。デビュー作『夫のちんぽが入らない』でYahoo!検索大賞を2年連続で受賞(第3回、第4回)、『ここは、おしまいの地』は第34回講談社エッセイ賞を受賞。ほか『いまだ、おしまいの地』、『縁もゆかりもあったのだ』など。

  1. 父、はじめてのおつかい
  2. ここは、おしまいの地
  3. 金髪の豚
  4. モンシロチョウを棄てた街で
  5. 穂先メンマの墓の下で
『ここは、おしまいの地』試し読み記事
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