おしまい定期便
第9回

新規ファン斉藤、再び

暮らし
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大自然に囲まれ、娯楽も何もない“おしまいの地”に生まれ育ったこだまさん。大好評「おしまいの地」シリーズの不定期連載。こだまさんの周りで起こる悲喜こもごもの不思議な出来事をお届けします。今回は、前回衝撃のラストで終った「せいちゃん」ライブの潜入記、続編です!

 なぜ私は好奇心に勝てないのだろう。痛い目に遭っても懲りないのだろう。今に始まったことではない。「前向き」や「立ち直りが早い」とも違う。単純に愚かなのだと思う。小心者のくせに壊れそうな橋をわざわざ選んで渡ろうとする。足場が揺らいで一瞬のうちに落下する姿が目に浮かぶ。心のどこかで落ちてしまってもかまわないと思っている。

 実際に落ちたことがある。大学時代、教授の地質調査に同行し、川沿いの崖をつたい一歩ずつ横歩きした。先を歩く教授が岩の出っ張りを掴みながら「絶対に手を離すなよ」と言った。足元の強度を確認し「私と同じところを必ず歩くように」とも言った。崖といってもそれほど高いものではなく、三メートルほど下に川が流れ、流域には木が茂っていた。落ちたところで死にはしないだろう。私は手を離してみた。教授が踏まなかった岩に足を掛けた。背筋がひやっとした直後、スローモーションで宙に浮き、茂みの枝をなぎ倒しながら川べりに転がった。上から「ばかやろう」と教授の怒鳴り声が聞こえた。泥だらけになったが大きな怪我はなかった。教授の言う通りにしなければどうなるんだろうと試してみたい気持ちがあった。要らぬ実験だった。いっときの感情で、ありえない方向に舵を切ってしまう。いま私は歯医者に通っているのだが、キーンと嫌な音を立てて歯を削られているとき「舌をめちゃくちゃ動かしたらどうなるのだろう」と想像してしまう。絶対にやらないよう右手と左手を爪が食い込むほど握る。間違いが起きないよう踏ん張っている。いつかやってしまうような気がする。自分の中にある衝動性をたびたび自覚する。

 従兄弟の「せいちゃん」の弾き語りライブに偽名で潜入したのも衝動だった。コミュケーション能力に長けた常連たちの質問攻めに遭い、逃げるように帰ったあの初夏の夜、彼からお礼のメールと写真が届いた。「初めてのお客さんが珍しかったので、嬉しくてみんなで一気に話しかけてしまい申し訳なかった。よかったらまた来てください」と締め括られていた。やはり私の混乱、困惑っぷりが伝わったらしい。顔見知り客ばかりが集まる十五人ほどのライブに、従兄弟にもバレないよう潜り込むなんて無謀だった。明らかに異質だったのだ。おまけに余計な気遣いまでさせてしまった。一悶着の末に撮った写真には、せいちゃんの隣で汗びっしょりになって硬い笑みを浮かべる私がいた。せいちゃんが私を新規ファン「斉藤」として見ていることだけが救いだった。

 冬に大きな会場で単独ライブを開催するという。その規模なら常連のお姉さま以外も来るだろう。気持ちが昂り、いったん萎んだはずの「斉藤」が息を吹き返した。よくない予兆だ。きっとまたやらかす。雪国で暮らす者にとって冬の遠出は天候に左右されやすい。チケットの予約はライブ直前まで待とう。売り切れることはないだろう。スケジュール帳に書き込み、せいちゃんのHPやSNSをこれまで以上にチェックする日々が続いた。

 ライブの感想を検索すると、せいちゃんを取り巻くファンの人となりが見えてきた。平面的だったアカウントの言葉が、具体的な容姿や声で再現される。巻き髪女性のアカウントもあった。いろんなアーティストのライブを観に行き、その素晴らしさを綴っていた。中でも、せいちゃんのライブレポは熱が込められている。その裏表のなさそうな投稿の数々を読み、再び後ろめたい思いに駆られた。

 私は巻き髪に嘘をついてしまった。第一部のステージを終えた休憩中のこと。緊張が解け、油断していたのがいけなかった。

「斉藤さんはどこに住んでいるの?」

 不意に聞かれた。初対面の人と交わす何てことのない問いである。私は動揺し、適切な答えを探した。都内でぎりぎり知っているのは浜松町だ。取材やイベントで上京する際は空港からモノレールに乗り、終点の浜松町に泊まることが多い。ホテルやビルはあるけれど、浜松町って人が住めるんだっけ。改めて文字にすると失礼極まりないが、本当にわからなかった。「あそこ誰も住んでないよ」と突っ込まれたらどうしよう。浜松町は危ない。東京はやめておこう。

「〇〇です」と咄嗟に隣県を挙げた。

「私もです! 〇〇のどこですか?」

 彼女は目を大きく見開き、前のめりになった。見事に引き当ててしまった。根拠もなく彼女を都内在住だと思い込んでいた。次も一致したらどうしよう。私はそういう運を昔から持っている。不自然な沈黙が生じた。自分の住まいを答えるだけなのに口ごもる人間がいるだろうか。そう考えると余計に焦る。〇〇県の数少ない引き出しを必死にまさぐる。頭に浮かんだのは「病気で働けず家賃を滞納している、入院する」と金銭援助を求めてきた相手の住む街だった。疑うことなく振り込んでしまった私は知人らと結託して実家に突撃した。あの詐欺師生誕の地だ。

「△△です」

「わあ、私の親友もそこだよ。△△のどの辺?」

 福引きなら旅行券くらいの引きの強さ。もう限界だ。

「ごめんなさいっ! 言えませんっ!」

 そんな放り投げ方があるだろうか。いくらなんでも、だ。崖から茂みに転がり落ちるスピード感がよみがえる。突然の拒絶に彼女は驚いていたが、私も同じくらい己の計画性のなさに混乱した。こんなの絶対怪しまれる。気まずくなったまま休憩時間が終わった。

 斉藤はもう二度とあんなヘマをしない。人物設定を仕上げておく。あの恐怖を味わいたくない。もうライブに行かなきゃいいだけの話なのに、なぜか行く前提だった。頑張る場所を間違えている。

 せいちゃんはその冬のライブに賭けていた。長いあいだ活動を休んでいた彼にはかなり大きな会場だ。人数集めに苦戦している様子がSNSから伝わった。メールも届いた。「お友達を誘っていらしてください」と両手をついて頭を下げる絵文字が添えられていた。かなりまずいのではないか。あの日の十五人しか予約していないのでは。前回のこぢんまりとしたバーとは規模が違う。使用料だって高いだろう。今度はバンドでの出演だ。メンバーへの謝礼も必要になる。大損失が見えているからなりふり構っていられないのだ。メールのタイトルも「最後のお願い」になっていた。選挙かよと思わず笑ってしまったが、今後の活動の命運を左右する意味では同じかもしれない。失敗したら後がない。

 それにしても、と思う。せいちゃんは、かなり気さくにメールを送ってくる。チケットを予約する際に記入したアドレスが個人的なやりとりに使われるとは思わなかった。一斉送信の文面ではなく、ひとりひとりに宛てて書いているようだ。予約時に「応援コメントをお願いします!」と書いてあったので、てっきり別の誰かが管理しているのかと思っていたが、本人によるものらしい。それを自分で言えてしまうのがせいちゃんという人である。

「お友達を誘って」の一文には健康食品の勧誘みたいなにおいが漂う。覆面活動なんかしていなければ私もSNSで告知したかもしれない。従兄弟の歌を聴きに来てください。陽気な人です。かっこつけ方が見ていられないです。歌詞もちょっと恥ずかしいです。面白い話を披露する前に「こんな面白い話があるんだけど」と言ってしまう人です。そもそも面白い話じゃないことが多いです。でも、応援してるんです。会場を満員にしたいんです。最後の思いは巻き髪たちと同じである。

 開催の二週間前、斉藤はようやく予約フォームを開いた。応援メッセージの欄に「楽しみにしています」と本当に一言だけ書いて送信した。受付完了を知らせる自動返信を開くと私の整理番号が三桁になっていた。何かの間違いではないだろうか。失礼ながら、せいちゃんのファンがそんなにいるとは思えない。あの日の十五人が友達や家族を十人ずつ勧誘したのだろうか。これは絶対確かめに行かなきゃ。斉藤の楽しみがまたひとつ増えた。

 冬の東京は何度訪れても不思議だ。雪がない。氷が張っていない。普通に花が咲いている。地元の十月くらいの気温だ。日が暮れても尚、コートがいらない暖かさだった。開場の一時間前に場所を下見すると、既に二十人ほどの列ができていた。全席自由とはいえ、気合が感じられる。巻き髪をはじめ、前回の面々がそろっている。手作りのスピリチュアル商品を販売する女性(スピ姉)は今宵も声楽家のようなドレスをまとい、遠目に見ても独特なオーラを放っていた。彼女たちに見つからないようビルの陰から様子を窺い、開演ぎりぎりまで時間を潰した。

 注意深く周囲を確認しながら入場した。移動するのがやっとの混み具合だった。二階席の一番後ろでいいやと思っていたが、それさえ甘かった。壁際は既に埋まっている。三桁の客は嘘じゃなかった。二時間立ちっぱなしでいられる体力はない。壁を求めて場内を彷徨っていると、最前列ではしゃぐ彼女らが目に入った。そうだよね、そこだよね。巻き髪もスピ姉も大勢の客を見渡し、スマホを向けている。満員を伝える動画を撮っているのだろう。油断してはいけない。私は背を向けながら横歩きでドリンクを取に行き、隅の階段に腰かけた。目の前に太い柱があり、常連からは死角になる。そのかわりステージの中央も見えない。

 せいちゃんが登場するとドラムの振動と相まって歓声が全身に響いた。照れ臭くなる歌詞も重低音に乗るとそれらしく聴こえてきた。せいちゃんが自作した曲は弾き語りよりもバンドのほうが断然合っていた。恥ずかしい要素をうまく揉み消してくれる。

 これは、いい! 恥ずかしくならない! 二時間聴いていられる!

 思わぬ発見だった。とんでもなく失礼であるが、真実だった。柱でせいちゃんの顔がちょうど隠れるのも私にはよかった。自分と似た顔立ちの人が激しく身体をくねらせて歌う姿は羞恥心でいっぱいになり、つい奥歯に力が入る。せいちゃんの滑り気味のトークも、どっとウケている。なんなの、この会場。少人数だった前回は笑わなくてはいけないという義務感を抱いた。私以外は心から楽しそうで、涙を拭いながら笑っている人もいた。私も盛り上げる一員にならないと。そんな焦りがあったが、今回は違う。私は自由だった。踊りたい人は踊り、笑いたい人は笑っている。私は階段に座り、せいちゃんと観客を交互に眺めながら「普通に聴けるぞ」「ちゃんとウケてるぞ」と頭の中でせわしなく実況した。数合わせで連れ出された客ではなく、ライブをともにしてきた仲間やファン、二十数年で交流した人たちの集合体なのだと知った。どうしてもこのライブを成功させたかった理由も語られ、会場全体が熱の膜に包まれ、しんみりとする時間もあった。

 満員にできてすごいね。雪深い地で暮らす、せいちゃんのお父さんとお母さんにも見せてあげたかった。テレビにも音楽雑誌にも取り上げられないけど、それがすべてではないと教えてあげたかった。帰り際にアルバムを二枚購入した。前回はその場から早く離れたくて買い損ねたのだ。部屋で冷静に聴いたらやっぱり猛烈な恥ずかしさに襲われるかもしれない。それが怖くてまだ開封できない。斉藤は今回の成功体験が忘れられず、また予約するに違いない。失敗しても、成功しても斉藤は行ってしまうのだ。

筆者について

こだま

エッセイスト、作家。デビュー作『夫のちんぽが入らない』でYahoo!検索大賞を2年連続で受賞(第3回、第4回)、『ここは、おしまいの地』は第34回講談社エッセイ賞を受賞。ほか『いまだ、おしまいの地』、『縁もゆかりもあったのだ』など。

  1. 第1回 : 父の終活
  2. 第2回 : 直角くん
  3. 第3回 : あの時の私です
  4. 第4回 : ぺら草
  5. 第5回 : ほのぼの喫茶店
  6. 第6回 : 私の特殊能力
  7. 第7回 : せいちゃんの下北沢
  8. 第8回 : 父と母の文明開化
  9. 第8回 : 新規ファンの斉藤
  10. 第9回 : 新規ファン斉藤、再び
  11. 第10回 : 祖父母の銭湯を求めて
連載「おしまい定期便」
  1. 第1回 : 父の終活
  2. 第2回 : 直角くん
  3. 第3回 : あの時の私です
  4. 第4回 : ぺら草
  5. 第5回 : ほのぼの喫茶店
  6. 第6回 : 私の特殊能力
  7. 第7回 : せいちゃんの下北沢
  8. 第8回 : 父と母の文明開化
  9. 第8回 : 新規ファンの斉藤
  10. 第9回 : 新規ファン斉藤、再び
  11. 第10回 : 祖父母の銭湯を求めて
  12. 連載「おしまい定期便」記事一覧
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