おしまい定期便
第2回

直角くん

暮らし
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大自然に囲まれ、娯楽も何もない“おしまいの地”で育ったこだま。人も自然もまっすぐ生きるこの場所で起きた、悲喜こもごもの出来事をお届けします。(短期連載:隔週月曜日更新)

指が奇形だ。膠原病をこじらせて二十代後半から右手が歪んでいる。特に中指の第二関節がコブのように隆起してきた。三十代の頃は変形したそれを「へへっ」と見せびらかしていたが、ここ十年くらいは直角を保ったまま死後硬直を起こしたようにほぼ動かなくなった。こちらが面白がって披露しても、動揺されることが増えた。私は気に入っていたのだが、そもそも笑うようなものではなかったのかもしれない。

私の中指はセンターに立ちながらどの指よりも腰が低い。取引先に詫びた姿勢のまま十年フリーズしている。血行が悪く、夏でもその指先だけひんやりしている。そこだけ曲がった木の枝を括りつけられているような感じで、意思疎通があまりうまくいかない。スマホでツイッターを見ていても、その曲がった詫び指が勝手に画面に触れ、知らない人同士の喧嘩に「いいね」を押していたり、怪しい投資系アカウントや差別主義者をフォローしていたりする。気が抜けない。

実質、右は四本でやりくりしている。パソコンのキーボードも中指は使わない。押せないこともないが、ぞわっとする。常に曲がっているので、物を掴むことはできる。ちゃんと力が入るのは四本だけど、傍からは中指も仕事をしているように見える。ちゃっかり擬態するのだ。

手を開く動作はちょっと難しい。例えば拍手。両手をそのまま合わせると曲がった中指が衝突するので、指先を斜めにずらし、互いの手のひらだけで鳴らす。痛みのない方法を探るうち、そんな貴族のような拍手に落ち着いた。この前ニュースを見ていたら金正恩も同じように手を叩いていた。

それから、じゃんけん。あれは相手を困惑させる。以前住んでいた街に、スタッフとじゃんけんをして勝ったら無料券をくれる銭湯があり、夫とふたりでよく通っていた。意味がわからないかもしれないが、私のチョキはほぼグーで、パーはほぼチョキだ。グーだけは正確にできる。いきなり常識の範囲外の手を出され、スタッフは一瞬固まる。念のため「これチョキです」などと言うが、無料券ほしさに中途半端な形を出して勝ちを主張する夫婦だと思われていたかもしれない。「店の人を困らせるな、グーを出しときゃいいだろ」「左手を使え」と夫に言われるが、じゃんけんを普通にできた年月のほうが長いから、掛け声とともにいつものように出してしまう。あとは、壁の隙間に物を落とした時、中指が邪魔して入らない。コロナの影響でビニールやナイロン製の手袋を着ける機会が増えたが、あれも詫び指に引っ掛かり手間取る。日常で不便な思いをするのはそれくらいかもしれない。

数年前のクリスマス、私は病院の外来で順番を待っていた。もうすぐ日が暮れる。この日にわざわざ通院の予約を入れる人は少ないのかもしれない。待合室から患者がひとり、またひとりと去っていく。見渡すと、顔に包帯を巻いた年配男性とふたりきりになっていた。

「こんな日に通院かい。どこが悪いのさ」しいんとした空間で急に大きな声で話しかけられた。初対面の相手に聞く内容ではない。だけど、その訛りのある口調はどこか温かかった。

「関節の病気なんです。指や手首が腫れて動かなくなるやつ」

特に症状が出ている右手を見せた。

「力を入れて引っ張ったらまっすぐに戻るんじゃないかね。どれどれ」

そう言うや否や男性は立ち上がった。包帯の隙間から見えたのは中指を掴もうとしているマジの目だった。私は慌てて「わ、だめです、折れます」と指を後ろにさっと隠した。油断していた。心の優しいじじいじゃなかったのかよ。

「俺はさあ、職場の冷凍庫に閉じ込められちゃったんだよお。全身凍傷だよお」

よく見ると両手の指にも包帯が巻かれていた。襲われる心配はなかったらしい。中指が硬直した中年と解凍済みの高齢者。これも何かの縁。

「お互いクリスマスに苦しみますだな」

本来なら張り倒したくなるほどつまらないが、包帯ぐるぐる巻きの全身凍傷男が絞り出した一言だと思うとギリギリ許せた。きっと自分の話をしたかったんだな。できれば知らない誰かに。笑い話として。

それにしてもどういう状況で閉じ込められてしまったのだろう。つまらないことを言ったお仕置きだろうか。それを聞けぬまま私の名が呼ばれた。

ある域を超えると、ついふざけたくなるのか。そうでもしないとやっていられないのか。入院する機会も増え、病室でさまざまな患者と過ごしたけれど、病を自虐的に語る患者も少なくない。同情されたくないという気持ちが根底にあるのかもれいない。 

八十代のヒサエさんは糖尿病だった。ごはんが運ばれてくると「そっちはコロッケ? いいなあ。こっちなんか薄味の煮魚よ」とわざわざベッドのそばまで偵察に来て溜息をついた。

食べることだけが唯一の楽しみだったヒサエさんは入院初日から消灯後に怪しい動きを見せた。明らかに菓子の袋を開封する音。カーテン越しに咀嚼音が漏れる。「あっ」と声が出て、床に何かをばら撒く音。隠れて食べるお菓子は何歳になっても格別に違いない。食事制限があるはずなのに大丈夫なのか。そろそろ見回りが来るよ。私の心配をよそに、彼女は食べ続けた。

何事もなく数日が過ぎ、次第にヒサエさんの行動も大胆になった。「たこ焼きを買って来て。橋のところの店よ。チーズ入りのやつ。明日死ぬかもしれない。一生のお願い」と電話で誰かに頼む声が聞こえた。苦しげな演技が見事だった。死を前にした人間とは思えないくらい的確な指示だ。いや、死を前にしているからこそなのか。

しばらくすると、息子らしき大人しそうな男性がナイロン袋を手にやって来た。開封する前からソースの甘い匂いが病室に広がった。「早く食べないと看護師さんが来ちゃう」と丸飲みするように頬張っている。こんなのバレるに決まっている。もう早めに怒られてほしい。犯行の一部始終を見せられ、いつしか私まで共犯みたいな気持ちになっていた。

ヒサエさんは「窓を開けて空気を入れ替えたほうがいいわ」「ゴミは持って帰って」と息子に指示するなど証拠隠滅も妙に手馴れていた。何度もやってきた人間の動きである。

簡単に匂いが消えるわけもなく、すぐ看護師に気付かれ、担当医と二人がかりできつく叱られていた。ついでに深夜のおやつも見破られていた。ベッドの下にポップコーンがいくつも転がっていたらしい。落ち込んでいるかと思いきや「食べちまえばこっちのもんよ」と小悪党みたいに笑ったヒサエさんの顔が忘れられない。全然懲りてなかった。病気とか関係ない。欲望に忠実。惚れ惚れするような逞しさだった。

現在の病気との関連性はないと思うけれど、実は子供の頃から指が変だった。中学時代、同じバレーボール部の女子に手をまじまじと観察され「なんでこんなにしわしわでごつごつした指なの?」と言われた。その瞬間まで自分の指について特に感想を持ったことなどなかった。その子の指に目をやると、筋肉質な身体からは想像できないくらいほっそりとしていた。指にも綺麗とか不恰好とかあるんだ、と意識したのがその日だ。

円陣を組んで「ファイッ! オー!」と手を中央に伸ばしながら、みんなの指に目を走らせた。どれも女子中学生の指だった。その輪の中に肉体労働者のそれが交ざっていた。衝撃を受けた。なぜ齢十三、四にして手に苦労が滲んでいるのか。

急に恥ずかしさを覚え、それ以来、できるだけ人目に晒さないようにした。写真の時は後ろに隠した。自信なさげな表情と相まって、後ろ手に縛られた人質みたいに写っていた。人との違いを個性だと胸を張れる人間ではなかった。

時は流れ、ひょんなことから、顔出しをしない覆面の作家として本を出している。顔を写せない分、どうしても手元の写真が増える。新刊を持つ手、サインをする手。かつて隠していた手を、指を、いまは何の躊躇もなくカメラの前に晒している。昔なんかと比べものにならないくらい不恰好に腫れたり折れ曲がったりしているけれど、いまのこの手は気に入っている。中途半端なごつごつではなく、行くところまで行ったごつごつだから。

自分で撮る時は「曲がりの映え」を多少意識するが、無意識のうちに撮られた写真には、ありのままが写る。客観的に見ると、思った以上に酷くて笑ってしまう。ある時、寝坊をして待ち合わせ場所に駆け込み、サインをしたことがあった。病気の特性上、起床後の数時間は全関節が最大限まで膨張している。そこに写る手は、蟹のロボットみたいに角張っていた。ぎこちない手つきでがっちりペンを握っていた。ああ、素の私の手ってここまで進化していたのだ。絶望とは全く別の清々しさだった。

同じく関節の病によって、頸椎の手術を受けた。首の後ろに縦長の縫い目が残った。スッと一本走るファスナーのようだ。ちょっと着ぐるみ感がある。背中にファスナーのあるワンピースなんかを着た日はファスナーのサービス盛りみたいになる。が、それは別によかった。面白いから。

よくないのは、首の可動域が狭まり、筋力が衰え、皮膚が急速にしわしわになってしまったことだ。こちらはあまり面白くない。思ったことを何でも口に出す母は「凧糸で縛られたような跡だね」と言った。以後、チャーシューを見ると苦い思いが込み上げる。

サイトには「手と首のお手入れ大丈夫?」といった写真付きの広告が出てくる。「ばかぼけくそが」と思いながら「表示しない」をクリックする。忘れた頃にまた出てくる。やはり「ばかぼけくそが」と消す。こんな気持ちになるのは中途半端なしわしわ具合だからかもしれない。もっと突き抜けたほうがいいんじゃないか。いっそ気が済むまで凧糸で縛ってみるか。

長いあいだ自分のすべてが嫌いで仕方なかった私には個性とか美しさとかありのままの自分を好きになるとかいう言葉はしっくりこない。自分にとって面白い部位になっているかどうか。そういう視点なら病や老いと付き合えそうな気がする。

小学校で働いていた二十代の頃、教科書に出てくる単語に絡めたキャラクターを自作していた。算数の授業では「直角くん」が角度を教えた。直角くんの体は九十度に折れ曲がり、愛嬌のある丸い顔が付いている。画用紙で作った直角くんはたちまち人気者になった。「直角くんにピタッとはまるものを探してみよう」と呼び掛けていた私は、いま指に彼を寄生させている。

筆者について

こだま

エッセイスト、作家。デビュー作『夫のちんぽが入らない』でYahoo!検索大賞を2年連続で受賞(第3回、第4回)、『ここは、おしまいの地』は第34回講談社エッセイ賞を受賞。ほか『いまだ、おしまいの地』、『縁もゆかりもあったのだ』など。

  1. 第1回 : 父の終活
  2. 第2回 : 直角くん
  3. 第3回 : あの時の私です
  4. 第4回 : ぺら草
  5. 第5回(最終回) : ほのぼの喫茶店
連載「おしまい定期便」
  1. 第1回 : 父の終活
  2. 第2回 : 直角くん
  3. 第3回 : あの時の私です
  4. 第4回 : ぺら草
  5. 第5回(最終回) : ほのぼの喫茶店
  6. 連載「おしまい定期便」記事一覧
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