『かわいそ笑』『6』に続く、新進ホラー作家・梨の単著第3作目となる『自由慄』が1月26日に太田出版より刊行されました。294の短文と、5つの掌編から構成される本書は、本書に込められたメッセージを読み解くことで、恐怖だけではなく、思春期に多くの人が味わったであろう苦痛を味わうことができます。OHTABOOKSTANDでは本書の発売を記念して、全3回にわたって本文の一部を試し読み公開します。
第2回目は、本書CHAPTER4より、短文と掌編を特別にご紹介します。
CHAPTER4「あなたの世界から失われるもの」
イートインスペースを秘密基地として、A4のルーズリーフをひらく
スクールバスの最終停車地点にほど近い場所にあるショッピングモール。その一階で私は、飲みかけのメロンソーダを隅に置き、がりがりとシャーペンを走らせていた。一階にファストフードのイートインスペースが、二階と三階に婦人服や紳士服売り場が、四階には有名アニメや邦画しか上映しない家族向け映画館がある、典型的な地方の複合施設。その一階は平日になると多くの学生が屯して課題を終わらせるのが定番なのだが、休日は主に家族連れや近所の老人らが多く訪れる。あくまでも学生たちにとって、ここは学校帰りのちょっとした時間を潰すための場所であって、週末などに本腰を入れて遊ぶための場所ではないのだろう。
そんなイートインスペースの隅で、私はかれこれ二時間ほど過ごしていた。この時間帯はそれほど席が一杯になるわけでもないから、追い出されないのは事前に予習済みである。
ビニールの包装紙に入ったたくさんのルーズリーフを一枚ずつ広げて、ただ只管にシャーペンを走らせる。長くても一枚につき二行くらいであろうその文章の書かれた紙は、書きあがるたびに特殊な形に成形されていった。真ん中に折り目を付けた後、その中心線に沿ってふたつの角を互い違いに折っていく。授業中にクラスで回される手紙の、典型的な折り方である。
それを回していた人は、中学時代から私のクラスにもたくさんいた。私はただ別の人から別の人に回すだけの役割だったが、それを書いている多くの人は、今日あったことを綴る日記のように他愛のない手紙としてそれを使っていたように思う。
ただ回すだけだったその手紙を私は、休日のイートインスペースで、大量に生産していた。今になって。
は、一部の生徒とよくその手紙を回していた。多くの場合で、あの手紙文化は中学三年にもなればいつの間にか廃れていたような気がするのだけれど、彼女たちは内輪ネタのような距離感で、今になってもそれを続けていた。さながら、今でもレトロゲームを遊ぶことを自虐気味に話す中年の親戚のような感覚だったろうか。じゆうりつ、という言葉の(この場合における)精確な意味を私は終ぞ理解することができなかったのだが、要は互いが互いに渡し合う短文の日記帳ということだろう。
それを送ればいいのだろうか、と思ったのだ。
いまからでもそれを送れば、今からでも は私を目に留めるのではないかと。
だってそうだろう。短歌に返歌があるように、メールに:Reが付くように、発信があれば応答がある。まして、あいつによれば に纏わる霊体験はあの手紙とともに訪れるというのだ。ならば猶更、これを送付するのは今後にとっても大事な過程であろう。
私は、繰り返し繰り返し、その手紙(或いは、じゆうりつ、だろうか)を成形する。最初はセオリー通り、今日あったことをただ綴る日記のような手紙として書いていたそれは、いつしか彼女を買収するための散文に変わっていった。
嘘でもいいから、ただ自由に、自らの恐怖体験を書き綴るための手紙。ただ自由に書き綴られる戦慄。私はこんな非現実的な体験をした。だから翻って、私には の幽霊を見るだけの理由と権利がある。これらは自ら由とする戦慄である。そう間接的に主張するために、 に宛てて出す手紙。
これは呪詛だろうか。
たとえば、木に固定した藁人形に向けて釘を打つような。
でも、これが呪詛だとしたら、誰の誰に対する呪詛なのだろうか。
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