プロレスに専念したら、はじめての「自我」が芽生えた/『プロレスとアイドル』より

カルチャー
スポンサーリンク

東京女子プロレスで活躍する選手、SKE48・荒井優希、アップアップガールズ(プロレス)の伊藤麻希、瑞希、そして渡辺未詩の4名に密着取材した書籍『プロレスとアイドル 東京女子プロレスで交錯するドキュメント』が、1月25日(木)に太田出版より刊行されました。

現アイドル&元アイドルが、なぜレスラーになったのか……。「令和の女子プロレス」を象徴する4人の成長物語を、週刊プロレスで記者を務めていた小島和宏がとことん深掘りする1冊です。

OHTABOOKSTANDでは本書の発売を記念して、全5回にわたって本文の一部を試し読み公開します。第4回目は、本書より、第3章冒頭を特別にご紹介します。

第3章  瑞希

「なにもの」にもなれなかった少女がアイドルを諦めて、プロレスに専念したら、

はじめての「自我」が芽生えた

日本の女子プロレスラーの中でいちばん細い

「きっと私、日本の女子プロレスラーの中でいちばん細いですよね」

 ロングインタビューの収録のため、ちょこんと椅子に座った瑞希はそうつぶやいた。

 正直「えっ!」と声が出てしまった。

 たしかに瑞希はプロレスラーとして、かなり小さい部類だが、試合を見ていて、ポキッと折れてしまいそうだなと心配になったことはないし、2023年はチャンピオンとしての堂々たる闘いぶりを見てきたから、小ささが気になることはほとんどなかった。

 しょっちゅう試合を見ているのに、どうして気が付かないのか? と言われてしまいそうだが、他団体だと選手のコールのときに「〇〇パウンド」とか「〇〇㎏」とか紹介されるから、嫌でも意識するし、いまだにジャイアント馬場は300パウンドだと脳にこびりついている。だが、東京女子プロレスではコールされるのはキャッチフレーズとリングネームだけで、身長や体重のデータはいっさい出てこない。

 男子の場合、ヘビー級とジュニアヘビー級が明確にわかれているので、105㎏(あるいは102.5㎏)より上か下は、チャンピオンベルトの資格にも関わってくるから、なにげに重要なデータになってくるが、女子は特に階級がない。だから、コールする必要もない。

 もうひとつ、ぼくがプロレス会場よりもアイドルの現場に行く回数のほうが圧倒的に多くなり、どこかで縮尺の感覚がおかしくなっているのかもしれない。AKB48グループの取材で小学生まで取材していると、もうどれぐらい標準的な身長なのかもわからなくなってくる。

 そういえば荒井優希の取材のとき、身長の話になった。

 彼女の公式発表されている身長は164㎝なのだが、リングに立っている姿を見ていると、もうちょっと高く感じる。それはリングでの立ち居振る舞いがそう見せてくれているのかな? と話していたら、荒井優希はこんなことを言った。

「最近、本当に背が高くなっている気がするんですよね。試合や練習が続いて、しょっちゅう整体を受けていたら、あれっ、背が伸びた? って」

 なるほど。たしかにがっつり整体をやってもらうと、帰り道には背筋がシャンと伸びて、背が伸びたような気がする。もちろん、それは一時的なものなのだが、毎日のように整体を受けていたら、一時的な効果がずーっと続いて本当に背が伸びちゃう?

「いや、そんな気がするだけです(笑)。それに164㎝っていうのも、ちゃんと計ったわけではないので、もし、背が伸びたかもって身長を計って、164㎝なかったらみっともないから、計って確認しなくていいです(苦笑)」

 プロレスならではのファンタジーを守るためにも、このあたりは曖昧にしておいたほうがいい。すっかり話が逸れてしまったが、瑞希の体格については彼女のプロレスラー人生を語る上でかなり重要なカギになってくるので、あえて冒頭にこの話を持ってくることにした。どうか、頭の片隅に置いて、この章を読み進めていただきたい。

 さて、そもそもの話、である。

 なぜ、こんなに小さくて細い瑞希はプロレスラーになったのか? 

 いや、アイドルはわかる。正直、アイドルの中に入っても、瑞希は小柄な部類に入る。ものすごく適性があると思うのだが、プロレスラーになろうと思った理由がまったく想像できない。そのあたりを彼女の高校生時代にまで遡って紐解いていこう。

ふとしたきっかけで、いきなり二刀流!

 瑞希がプロレスの世界に足を踏み入れるきっかけとなったのは2011年のこと。いまから13年前、瑞希はまだ高校生だった。

「友達から連絡があったんですよ。東京でアイドルとプロレスを両方やるプロジェクトに参加しているんだけど、すごく面白いからオーディションを受けてみたら? って。それがきっかけですね」

 第2章で渡辺未詩が所属するアップアップガールズ(プロレス)をアイドルとプロレスの二刀流を貫く「唯一無二」の存在、と紹介したが、けっして「元祖」というわけではない。同じようなコンセプトの試みは過去にはいくつもあった。

 そもそも昭和の女子プロレスのスターシステムは期待の若手でタッグチームを結成→人気が出る→歌手デビュー→一般メディアで注目される、というのが王道だった。

 つまり、プロレスラーとして人気が出ればアイドル歌手になれたのだ。

 

 70年代のビューティーペア、80年代のクラッシュギャルズと爆発的なブームが起きたが、そこには要するにブームが起きるたびに女子プロレスラー志望の女の子が殺到し、次のスター候補がどんどん入ってくる、という好循環を生んでいた。だが、90年代の対抗戦ブームでは客層が男性メインになってしまったため、客席からリングに憧れる人材が激減。これが長い冬の時代へとつながっていってしまう。

 話がどんどん逸れていってしまうが、そういった土壌があったため、女子プロレスとアイドルの両立は定期的に浮上してくるテーマでもあった。それがなかなかうまくいかないのだが……プロジェクト自体は頓挫しても、必ず何人かはその後、プロレスラーとして大成しているので、人材発掘の手段としてはけっして間違ってはいない。

 瑞希もその中のひとり、である。

 おそらく、それまでの基準だったら、瑞希は体格的に書類審査で落とされていた可能性が高い。それ以前の問題としてプロレスにまったく興味のなかった瑞希がリングにあがることはまずなかっただろう。

「そうですね。プロレスのことはまったく知らずに入っちゃいました。アイドルも歌ったり踊ったりしてキラキラしているなって印象はあったけど、私はどうしてもなりたいっていうわけではなかったんですね。だからプロレスラーになりたいわけでも、アイドルになりたいわけでもない。なんになりたかったか? う〜ん……なにものかになりたかったけど、なにものでもないって感じですかね」

 友達の誘いに乗って、面白そうだな、と足を踏み入れたプロレスとアイドルの二刀流。

 その当時はそんなジャンルはなかったから、存在自体がなにものでもない。これがプロレスラーになりたい、アイドルになりたい、という話だったら、もう少し、周りも理解してくれたかもしれないが、当然のことながら家族からは猛反対されてしまう。

「その反対を押し切るようにして、神戸から東京に出てきちゃいました。まだ高校生だったので、わざわざ東京の通信制のところに転校までして。寮に入ることが条件だったから、そうするしかなかったんですよ」

 高校3年生になるのを待って、2012年の春に上京・入寮。

 二刀流は二刀流だったけれども、ちょっと想像していた生活とは違っていた。

「毎日がプロレスの練習でした。週末にアイドルとしてライブに出る。試合があるときは会場に行って、セコンドについたりもしましたけど、そこまで試合数が多かったわけではないので」

 このあたりは渡辺未詩と同じような環境である。どうしてもプロレスは基礎を身に着けるまでに時間がかかるから、アイドルのレッスンよりも優先せざるを得ない。さすがに週5日はどっぷりプロレス漬けというのは、もうほぼほぼプロレスラーだが、そんな日々に瑞希は「感謝している」という。

「最初はやっぱり辛かったですよ。みんな言っていると思うんですけど、やっぱり受け身ですよね。プロレスを知らないから、なんの練習かよくわからない(笑)。とにかく怖いじゃないですか? 普通に生活していて、なにかにつまずいて前に転ぶことはあっても、頭から後ろに倒れることなんてないし、もしあったら大変なことになる。それを毎日、やらなくちゃいけない、というのは辛かったですね。

 でも、いま考えてみたら、約5年かな? そういう毎日を送らせていただいたことで、受け身だけじゃなくて基礎をしっかり学ぶことができたと思うんですよ。こんな細い体なのに、どんな大きな選手と闘っても、どんなに高いところから叩きつけられるような技を食らっても、目立った怪我をしないでここまでやってこれたのは、あの日々があったからだと思います。それに辞めなかったのにもちょっと関係があって。受け身とか基礎体力とかを身につけるために、アザだらけにもなったし、頭も痛くなったし。大変だったから、辞めちゃったらこの努力も無駄になるのかなって思いました」

* * *

小島和宏著の『プロレスとアイドル』は東京女子プロレスで活躍する選手、荒井優希、伊藤麻希、瑞希、渡辺未詩のアイドル&プロレス人生をとことん深掘りした1冊になっています。現アイドル&元アイドルが、なぜレスラーになったのか……。令和の女子プロレス”を象徴する4人の成長物語をお楽しみください。

関連商品