ミュージアムで迷子になる
第4回

テンプルでフォーラムだ! マンチェスターのコンビニでミュージアムをひらく

学び
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ミュージアム研究者・小森真樹さんが2024年5月から11ヶ月かけて、ヨーロッパとアメリカなど世界各地のミュージアムを対象に行うフィールドワークをもとにした連載「ミュージアムで迷子になる」。

古代から現代までの美術品、考古標本、動物や植物、はては人体など、さまざまなものが収集・展示されるミュージアムからは、思いがけない社会や歴史の姿が見えてくるかもしれません。マンチェスター二日目、思いもよらない出会いから地下のパブで飲みすぎた小森さんが出会ったミュージアムのお話。

 マンチェスター二日目である。二日酔いである。薬草酒のショットを3発もキメたからだ。記憶はある。

 昨日はライブラリとミュージアムで人々の労働運動のクールな歴史に触れてホットな気持ちになったあと、美味しいビールを飲もうと史跡のようなパブ「ペリルズ・オブ・ザ・ピーク」に繰り出した。いや、1900年改築後だから文字通り史跡だ。安い。ロンドンのおしゃれパブより数ポンド安いじゃないか。ロンドンビール高すぎ!って、酒場でもみんなこぼしてた。

前回の記事:マンチェスターって、オアシスだけじゃなくミュージアムでも労働者階級の英雄が生まれてるんだぜ

 イギリスに来ると、というか世界中どこに行ってもビールと酒場を探してしまう。別の街に住む友達を訪ねて「どこ行きたい?」と聞かれたときは、決まって「ブルワリーとミュージアム!」と答える。旧友は、だよねー、と苦笑する。

 イギリスだとやはりパブを巡ってしまう。ここまでのところの観測では、英パブには三種類あるような気がしている。さっき挙げたような「史跡パブ」、近所の人が使う「街角パブ」、そして、最近アメリカ・ブルックリン流のスタイルとして入ってきた「クラフトビールパブ」の三つ。観光客として、まずは史跡パブを巡って地図を黒塗りにつぶしてくのが癖になってる。人と話したり観察をするにはローカルユースな街角パブが面白い。そんで美味しいビールを飲みたくなったら、クラフト系へ。

 本日は二、三軒さらっと史跡パブを拝んだら最後はクラフト系のブリューパブへ。醸造タンクを眺めながら、スパイシーすぎる創作インド料理とビールでディナー。

コメディアンと地下に潜る

 お腹も落ち着いたしそろそろホテルへ帰るかな、と思って歩いてると、地下街へと続きそうな変な入り口が現れる。看板もついてて、テンプル、とある。なんだコリャと思いながら写真を撮ってると、目の前でタバコを吸ってる兄ちゃんが手招き。いいパブよ。カモン! 後に一緒に泥酔する友となるパウである。

テンプル入り口でお気に入りの愛車とポーズを決めるパウ

 地下室は飲み屋になっているのだ。ポスターやビラや作品がデコデコで、時代ごとの地層のように積み重なっていると思しき内装もすごい。観光客もたくさん来て飲んでいる。どうも有名らしい。

 これは楽しいなと一人で飲んで写真を撮っていると、お店のカウンターのなかにいるパウが、こっちで飲もうよと誘う。スタッフだったんかい。今日働いているのはヒゲもちゃのコナーで、パウは休みの日に飲みにきたらしい。

カウンターからこっちの”VIP席”で飲もうぜとの誘いは断れまい

 日本から? 自分はポーランドからで結構長いんだ。ここで働いてる人たちみんな才能があって、内装もアートやってるやつが作ったし、コナーはギター弾いて歌うし、みんな何かやってる。才能が集まる場所って素敵じゃん。パウはなんかやるの? 僕だけ何も才能ないかなあ……あ、コメディアン! 人を笑わせるのが好きなんだ。

 こっちに引っ越してから、若い人にけっこう振られるのがヒロシマの原爆の話。映画『オッペンハイマー』が公開された後だからかもしれない。パウは二十代までポーランドで過ごしているので、ホロコーストの話ともつなげているようだ。今どういうふうに日本の人は考えているの? 急に真面目な話になって、いろいろと真摯に答えたら、会話がシリアスなモードに変わった。ポーランドと日本の社会の戦後史について楽しく真剣な議論をする。

コナーと「カンパイ!」

 空気を変えようとしたのかもしれない。飲む? 寡黙なコナーが、怪しいペットボトルを出してくる。ブルガリアの薬草酒らしい。マジックで手書きで何か書いてあって、怪しすぎってツッコむ。みんなで笑う。ショットでクイっといくがけっこうキツい。旨い。和んだあたりで、「この建物なんに使われてたと思う? さーて、なんでしょう」と、お茶目なパウがニヤニヤしながら謎かけする。

地下トイレの歴史と現在

 ここテンプルは、なんと地下につくられた公衆トイレだったのだ! 正式名称「ザ・テンプル・オブ・コンビニエンス」[*1]。コンビニエンスとはイギリス英語で「トイレ」のこと。「トイレの社」である。

 95年オープン、元地下トイレのお店として、このパブは重鎮だ。イギリスの地下トイレには、現役引退後に別の用途に使われているものも多い。ロンドンの大英博物館の近くには、最近「WC=Wine & Charcuterie」という冗談めいた名前がついた元地下トイレのワインバーがオープンした。他にもアートギャラリーやヘアサロン、なかにはフラット(アパートメント)として住まいとなったものも。元トイレと言っても高級で、映画『パラサイト』で描かれたような安フラットではないようだが[*2]。

WC=ワインとシャルキュトリー・バー。左手前の噴水も史跡保存の対象に先ごろ指定されたところ

 地下トイレは、19世紀のヴィクトリア朝時代にイギリスの町中に作られた。実はそのルーツは展覧会にある。配管工ジョージ・ジェニングスが発明した初の水洗公衆トイレは、1851年にハイドパークで開かれた世界初の万博「世界各国産業大博覧会(Great Exhibition of the Works of Industry of All Nations)」で発表されたものだ。

水晶宮=クリスタル・パレスの展示風景。ガラス張りの建築物自体が技術力の象徴で、左手には「インド」「シルク」など植民地貿易成功を顕彰する展示が目立つように描かれている(wikipedia commonsより)

 「水晶宮博覧会」のニックネームで知られる万博の巨大なガラスパビリオンの一角にジェニングスは公衆トイレを設置した。利用に1ペニーかかるこのトイレは、展示によって産業革命の技術の粋を見せつけるものでもあり、資本主義が生理現象を飲み込むトイレビジネスの黎明でもあった。827,280名の利用者だったというから、インフレ率から現在の価値に換算すると1,447,000ポンド(現在のレートなら約3億円)だ[*3]。

 公共空間で“慎み深くない”排泄行為をおこなうことに抵抗感を示した依頼主の王立芸術協会からは反対されていたものの、閉幕後シデナムに移転された水晶宮(現・水晶宮公園の場所)でもジェニングスはトイレを開設して、ちゃっかり年間1000ポンド(現在の約3500万円)を稼いでいる。なお、初期の公衆トイレは“慎み深くあるべき”という規範が強い社会で女性は入れないものとされていたが、これを女性に家庭に閉じ込める「尿の鎖」――家庭の外での行動や野心をコントロールする意図的な手段――と見るむきもある[*4]。街の景観を汚すのを最小限に抑えられる地下トイレは、こうして街中に公衆トイレが配備されるなかで普及したのである。

コンビニのテンプルでフォーラムだ

 しかし「テンプル=御堂・社」がトイレのことだとは。聖なるものと「下々」はつながっている。日本の厠には水や火の神が祠に住んでいる。ジョルジュ・バタイユは、俗世の反対にある「宗教」と「排泄」とは、ともに社会にとって非有用なものだと結びつけた。人類学や精神分析的にみれば、両者の関係には普遍性があるらしい。

 僕がここテンプルで飲みながら思い出していたのは、別のテンプルのことだ。それはミュージアムである。実は「テンプル」は、ミュージアムを説明する有名なメタファーである。ミュージアムはお宝をははぁと奉る「殿堂(テンプル)」だと思われているが、いろんな立場から、いろんな人々が忌憚なく意見を交わして運営する「公共の広場/フォーラム」になった方がいいのではないか。1970年代にブルックリン・ミュージアムの館長を務めていたダンカン・キャメロンが、ミュージアムの公共的役割について問うたものだ。

 いきなり出会って酒を交わして、友達になって異文化交流をする。ここはテンプルでもフォーラムじゃないか、と心の中で洒落を考えてちょっと可笑しくなりながら、パウとコナーとショットでカンパイを続けた。テンプルを閉店して、遅くまで空いている近所の支店までタクって飲み明かした。

 テンプルでフォーラムした翌日、二日酔いの頭でそのフォーラムについて考えながら向かった先は、マンチェスター美術館。

動詞でみる「美術館の六つの役割」 マンチェスター美術館(Manchester Art Gallery)

 ここにもフォーラムがあった。美術館の展示をみながらそう思った。以下では常設展示の部屋を巡っていこう。ミュージアムがもつ六つの役割について説明してみよう。動詞でキーワードを与えて、ミュージアムの機能を見る。2024年初夏、ミュージアムがもつフォーラム的なありかたの現在形を見てみよう。

くつろぐ|ソファの部屋 Sofas in Gallery

 二日酔いで自転車をこいだら、美術館に到着した頃には疲れていた。ちょうど良いところにでっかいソファが並んでいる。展示室内である。

くつろぎ空間でおじさんもうたた寝。右手には「寝そべり」の絵画が

 こんな家具が家にあったら最高だなあ、と思う座り心地寝心地のソファで、そこでのんびりゆっくり鑑賞した。

 絵画を自宅に飾らなくても、美術館内に、家の外の公共空間に“素敵な自室”をもてる感じ。リラックスして鑑賞できる空間のアウトソーシング。このときはゆったりと見られたが、混んでない状態をつくるのも運営上大切になってくる。

 また、セレクトされた絵画のモチーフが「寝そべっているもの」となっていて、この空間設計コンセプトに合わせて緩やかに作品もキュレーションしてある。緑の壁紙はたぶんソファの色も合わせた展示デザインだろう。

 パネルの説明によれば、2023年の本館200周年リノベーションの際に整理待ちとなったコレクションを活用した試みだという。合理的なマッチングのアイデアも巧みだと唸った。

 僕のような(?)お客さんが疲れを取ったり、うたた寝したり。ミュージアムには、肩肘張らずに「くつろぐ」という使い方もあるのだ。

瞑想する|深呼吸の部屋 Room to Breathe

 ちょっと元気になったので、上階へ上がる。今度は暗く照明が落とされた部屋がある。「深呼吸の部屋」と書いてあって、瞑想しながら楽しむ部屋であるよう。たいへんありがたい。飲みすぎた罪を浄化しよう。

QRコードから音声をダウンロードしてソファに座って絵画を観ながら瞑想

 壁にはQRコードが掲げてあり、ネット上の音楽配信SNSのSoundCloudへのリンクが貼ってある。ここにもソファが置いてあって、そこでリンクから飛んで音楽を耳に、作品を観ながら、瞑想をすることで「鑑賞」が完成する。合掌。

 ちなみに、現代のアメリカやイギリスで瞑想は宗教的意味が薄れ、ヨガのようにちょっとしたカジュアルな生活習慣のようなものとして普及している。忙しい日々に立ち止まって考える時間をつくろう、といったセルフヘルプ(自己啓発)的な存在だ。

 「瞑想する」のもまたミュージアム空間には似合う。

遊ぶ|子供の部屋 Children’s Room

 次の部屋へ。え? ここは? たくさんのベビーカーを連れたお母さんが駄弁っている(全員女性だった)。ここは託児室ではない。なんと託児部屋・子供の遊び場そのものがギャラリーになっている。

 コレクション作品を使った展示が二種、それにフロアに寝転んだりできる遊び場、それにオムツ替えや着替えなどができるスペースで構成されている。

 二つの壁面展示。一つは共創用にセレクトされた作品群。展示ケースは分厚くしてあって安全。3、4歳くらいの子供がバンバン、ベタベタ触っている。大声も大きな音もなんのその。

 もう一つはライオンをテーマにした作品群。巨大な絵画からコンセプチュアルアートまで、著名なアーティストも含めて充実している。

 遊び場は、ライオンの巣窟Lion’s Denという名で、大きなライオンのぬいぐるみに寝転がって遊ぶことができる。

 当然ベビーカーも入館可で、子供連れで、お母さん同士でおしゃべりしながらくつろいでいるのを見かけた。理想的な美術館の使い方ではないか。

ベビーカーも展示室内脇に置いて、子供は寝そべって遊ぶ、お母さんたちはおしゃべりする、おばちゃんは一人でだらける

 昨日訪れた「一般人の歴史のミュージアム」では、民衆による権利運動の歴史が紹介されていた。エンタメ化して徹底したユニバーサル対応したりした展示を見ながら色々な館のことを考えた。ううむ、ミュージアムは誰にひらかれているのだろうか。ユニバーサル化を謳うミュージアムは増えてきたが、本当はどこまでユニバーサルなのか。「ユニバーサル化」はスローガンとして掲げられるだけで“やってる感”になっていないか……などと考えていたのだが、マンチェスター美術館は、この展示が常設展に「当たり前にある感じ」がよい。

 「日本にはいつ行くの?」と急に日本の話が聴こえる。会話していたお母さんは子供とは日本語をしゃべっていた。急に日本に頭が持っていかれる。

 2023年、水戸芸術館でとても面白い試みがあった。「ケアリング/マザーフッド:『母』から『他者』のケアを考える現代美術」の企画はマンチェスター美術館の「子供の部屋」にもよく似ている。「子供連れ」や「幼年期」という対象に焦点をあて、彼らの展示室での体験をキュレーションにうまく取り入れ、「特別展」という枠組みで実施していた[*5]。

 今年3月に上野の国立西洋美術館で開かれた「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」では、同館が実現できていない提案を問いかける田中功起の作品《いくつかの提案: 美術館のインフラストラクチャー》が行われた。提案のうち、「臨時託児室」、「展示の高さを車椅子/子ども目線にする」、「言語表記の選択を増やす」が実際に導入されたことも話題になった。

 日本を代表する美術館といえるその場所の「普通」の水準を問いかけた作品だ。それが果たして誰を取りこぼしているのか、弱い立場の人ではないか、どれほどにユニバーサルなものなのか。ミュージアム制度の現在を問うたのでもあるが、これは問いかけ自体をいわば「作品」とみなすもので、そのこと自体が通用してしまうというところに、制度や常識のたち遅れを炙り出し、観客に感じさせるものでもあった。

 子供と「遊ぶ」ために美術館を使いたい。そんなニーズは日本には山ほどあるはずだ。日本は子供の情操教育、とくにアートをつかったものにはかなり関心が高い国なのだという。先日ロンドンのデザイン・ミュージアムで開かれたエンツォ・マリ展でも、展示されていた情操教育のおもちゃにイタリア語・英語・スペイン語に並んで日本語が採用されていたのを見た。しかし、その高いニーズへ答えているミュージアムはどれくらいあるだろうか。

 マンチェスター美術館は、展示室のデザイン、キュレーションまで親子連れに合わせたユニバーサルな常設展を展開していた。

訴える|気候正義 Climate Justice

 部屋に入るとイギリス国旗が見える。近づいて目を凝らすと、青い部分の“波止場”に貨物船が停泊し、赤い“帝国”へと荷下ろしされている。各線が伸びた周縁には「インド」「ニュージーランド」「オーストラリア」……と大英帝国コモンウェルス諸国の名前が。これはクリティカルなコンテンポラリーアートではない。1926年に設立の英国政府・帝国マーケティング委員会がつくった宣伝ポスターなのだ。この美術館は充実した宣伝ポスターコレクションを持っているが、興味深いのはわざわざこの部屋に展示したキュレーションだ。

 「気候正義」と名づけられたこのセクションの多くは、各種気候変動にまつわる作品で占められている。そうすると上記の「歴史資料」の意味がまったく変わってくることはおわかりだろう。

 「気候変動」ではなく「気候危機」と最近では言い換えられることも多い。その喫緊性を示すという用法だ。さらにここで使われる「正義」という表現は、その“正しさ”を非常にストレートに示すものだ。こうしたキュレーションによって、展示が正義を語っている。

 気候危機への訴えとミュージアムといえば、モナリザなど有名絵画にインクをぶちまけるパフォーマンスを行なうJust Stop Oilなどのエンバイロメント・アクティヴィズムの印象が強いかもしれない。ミュージアムは、パブリック=人々であり公式だ――の側からでも、作品や展覧会によって社会的なメッセージを発信できるのだ。これが「訴える」というミュージアムの使い方。

描く・学ぶ|ファッション・ギャラリー Fashion Gallery

 ファッション展示のセクションに向かう。ヴィクトリア妃の深紅のドレスに光が当たっている。展示には、完成した色とりどりの華やかなドレスやジャケットが……というだけではない。ほぼ同じか、それ以上のボリュームで、それらの服飾品が作られた際のスケッチ画や図面など設計図が展示されている。

「描く」を「学ぶ」ファッション展。イーゼルには「深呼吸して/よく見て、もう一度よく見て/細部を観察して…」とドローイングのアドバイスがプリントされている

 これらの設計につかったものは、「資料」として壁にかけられているのではない。スケッチをする様子が再現され、そこには少しずつ時間の経過がわかるようになっていて、制作のプロセスが見えるようになっている。これらは、“展覧会のつくりかた”の展示なのである。

 「描く・学ぶ」を見せることは、アートのつくり方を教育することである。つまりは、「訴える」武器となるツールを人々に与えるということだ。こうしたミュージアムの役割を強調する姿勢が見て取れる。

舞台裏を見る|木箱から抜け出して Out of the Crate

 入ってみると、華やかでもない事務室に置いてあるようなベニヤ板やスチールに、大きな彫刻作品が無造作に並んでいる。展示室のようだ。「木箱から出す」というタイトルの展示。キャプションには、大型のため他のメディアと比較してもあまり表に出されることがない彫刻作品の展示率を上げるため、保管している状態でそれを見せる展示だと書かれている。しかしこの見せ方の意味はいったい……?

 それは、ミュージアムの「舞台裏を見せる」ことである。展示は、第一室と第二室に分かれている。

ストレージを見せる第一室。箱詰めされたりテープで固定された彫像が並ぶ

 第一室は、保管の方法の意義を解説しつつ、どのように保管されているのか視覚的に見せるセクションである。

 ちょっとカジュアルに書かれたキャプションは、「どれを見せるべき、見せないべきかを教えてね」とのコメントでくくってある。ここには、来館者の意見を保管・公開の指針へと取り入れようとする姿勢が表れている。

 2020年に入ってコロナ禍で進んだミュージアムのデジタル化によって、マンチェスター美術館の彫刻コレクションも無料のオンライン展示を作成し公開するに至った。コロナ後の新しい展示で公開率がまた充実化したようで、コロナ前の六倍もの割合となった。つまり、「持っていても見られなかったもの」が「市民が目で見て利用できる」状態になった作品が、六倍に増えたということである。

「未解決事件 no.1」コレクションがいつどのようにこのミュージアムにやってきたのか、壊されたり売られたりと履歴も解説される。「どのように私たちはコレクションを未来へと守っていけばよいのでしょう?」

 第二室は「未解決事件簿」と、これまたちょっとおちゃらけた名前。こちらは、研究のしかた、美術館の作品調査プロセスを見せるセクションである。コレクションの来歴や身元を調べてもわからなかった事例が紹介されており、「探偵」が推理した過程が手書きでコミカルに示されている。ミュージアムやキュレーターはコレクションのことをなんでもわかっているわけではない、わかるためにミュージアムやキュレーターがいるのである、とその役割や意義を示しているようだ。キャプションには「この目的は、調査のプロセスをもっとパブリックなものにすることです。どうやってパブリックギャラリーとその利用者が一緒になって、コレクションをケアしていけるのかについて考えます」とあり、リサーチ資料のコピーなどが公開されている。

 「描く・学ぶ」はつくり方の学びであった。こちらは、コレクションを守ったり調べたり、研究機関としての美術館について学ぶものである。ここでもまた、人々をともに行う姿勢が強調されている。パブリックの声を展示にいかに取り込んでいくのか、それにはミュージアムの「舞台裏を見せる」ことが教育なのであり、これは社会科見学ツアーならぬ、社会科見学“展示”なのである。

***

 ミュージアムをひらき、様々な立場の人が意見を交わすフォーラムにすること。マンチェスター美術館はフォーラムとしてのミュージアムの一つの現代的なありかただ。人々は求めるものをミュージアムに伝える。それに対してミュージアム側は、展覧会という方法でアンサーを出す。この記事で各展示に「動詞」でタイトルをつけて解説をしたのは、人々がミュージアムをどう使うのかに焦点を当てるためである。

 「ミュージアムをフォーラムにする」というのは、ワークショップをしたり、話し合う場所をつくるという方法だけではない。いろいろなや立場の人々やニーズに合わせて、作品やミュージアム施設を楽しむ方法について提案するやりかたもある。

 ミュージアムを誰に、どうひらくのか。キャメロンが、ミュージアムは「テンプルかフォーラムか」と問うたのは、仮にミュージアムが民主的なものであるならば、金持ちが宝物を置いてブルジョワ文化や貴族文化が祀られる神殿(テンプル)であることと、農民や労働者たちという社会の“99%”である「一般人」の文化を展示で民主化するフォーラムであることが、両立し得るのか否かという問いだったのだ――「文化の機会の平等を実現するために、美術館は改革されなくてはならない」という言葉を彼は残している[*6]。

 ミュージアムは、今よりもっと大胆になれる。ミュージアムは美術品の殿堂で、展示室は物を置く場所だと思われているけど、そこでもミュージアムは人々の声をすくい取れる。テンプルだって、フォーラムになれるのだ。コンビニエンスの仲間たちが一人で飲んでた僕を誘ってくれたようにね。

[*1] 室内外の見やすい写真は以下。“Temple Bar: The public toilet that became a drinking den for Manchester’s musicians,” The Manc ( July 30, 2020).
[*2] “London Loos to Luxury Living: Before & After,” MESSYNESSY: Cabinet of Curiosities (April 29, 2018).
[*3] インフレ率計算サイトでの計算。大まかな参考程度に。
[*4] “Spending a Penny: A Photographic Exploration of England’s Public Toilets,”Historic England.
[*5] 同館には盛期に開かれる高校生ウィークというイベントもある。当初高校生をターゲットにしていたためこの名だが、誰でも入れるこの特別企画室には、印刷装置や編機や作画用具、図書室やソファにテーブル、ちょっとしたカフェなどがある。ミュージアムを「つかう」ための企画。20年を超えて長年実施されていてここで「育った」アーティストやアートやミュージアム関係者も多い。以下の水戸芸術館高校生ウィーク「アーカイ部」は、その活動を振り返る部活動である。豊富なインタビューが掲載されている。https://hssw-archive.jp/
[*6] Duncan Cameron, “The Museum, a Temple or the Forum,” Curator: The Museum Journal, 14, 1971. pp.11-24.

筆者について

こもり・まさき 1982年岡山生まれ。武蔵大学人文学部准教授、立教大学アメリカ研究所所員、ウェルカムコレクション(ロンドン)及びテンプル大学歴史学部(フィラデルフィア)客員研究員。専門はアメリカ文化研究、ミュージアム研究。美術・映画批評、雑誌・展覧会・オルタナティブスペースなどの企画にも携わる。著書に、『楽しい政治』(講談社、近刊)、「『パブリック』ミュージアムから歴史を裏返す、美術品をポチって戦争の記憶に参加する──藤井光〈日本の戦争画〉展にみる『再演』と『販売』」(artscape、2024)、「ミュージアムで『キャンセルカルチャー』は起こったのか?」(『人文学会雑誌』武蔵大学人文学部、2024)、「共時間とコモンズ」(『広告』博報堂、2023)、「美術館の近代を〈遊び〉で逆なでする」(『あいちトリエンナーレ2019 ラーニング記録集』)。企画に、『かじこ|旅する場所の108日の記録』(2010)、「美大じゃない大学で美術展をつくる vol.1|藤井光〈日本の戦争美術 1946〉展を再演する」(2024)、ウェブマガジン〈-oid〉(2022-)など。連載「包摂するミュージアム」(しんぶん赤旗)も併せてどうぞ。https://masakikomori.com

  1. 第1回 : アートが代わりに戦争する 「美術のオリンピック」ヴェネツィア・ビエンナーレの歴史をたどる 
  2. 第2回 : かえりみるキュレーション 「属性」と「物語」が芸術祭をケアして治す
  3. 第3回 : マンチェスターって、オアシスだけじゃなくミュージアムでも労働者階級の英雄が生まれてるんだぜ
  4. 第4回 : テンプルでフォーラムだ! マンチェスターのコンビニでミュージアムをひらく
連載「ミュージアムで迷子になる」
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  5. 連載「ミュージアムで迷子になる」記事一覧
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