来年1月の生誕100年を前に、三島由紀夫が愛した店や旅行先、執筆場所や作品の舞台などを紹介するガイドブック『三島由紀夫 街歩き手帖』が、8月20日(火)に刊行されます。全三部構成で、現在も営業中の飲食店やホテル、観光地、風景を手がかりに、三島とその作品に迫る本書(一部、休業・閉店中のものを含みます)。第三部では遺作となった大作『豊饒の海』四部作の謎解きも試みられています。
わたしは作品論や作家論を、このガイドブックに託そうとしているわけではない。三島由紀夫の作家論や評伝は膨大である。それらに感銘をうけ、新たな発見に愕かされることも少なくなかった。これほど評者たちに愛された作家は珍しい。だがその多くは、評者たちの思想や哲学のなかで加工され、あるいは観念化・独自化されたものだ。その理由も、三島の仕掛けた「謎」の大きさによるのだ。そこで本書は、ひたすら作品の解説につとめることで、「謎解き」のための「事実」のみを明らかにしよう。言うまでもなくそれは、三島が語った「事実」である。
刊行を記念して、OHTABOOKSTANDにて、本文の一部を全6回にわたって公開します。ゆかりの地に行き、思いをはせる三島作品の新しい読書ガイドブックをお楽しみください。
昭和二四年四月二十四日、三島由紀夫はこの店で「仮面の告白』の原稿を河出書房の坂本一亀(坂本龍一の父親)に手渡した。原稿を手渡したとき、三島は「何とかこれを書き上げて、寝不足の目をしょぼつかせて」という状態だった。
この店は若いころの三島由紀夫をはじめ、野間宏、椎名麒三、梅崎春生、植名雄高、武田泰淳ら戦後派の作家たちが溜まり場にしていた喫茶店である。
「戦後文学とこの店とは切っても切れない因縁があり、デコボコの煉瓦の床のところどころに植え木鉢があり、昼なお暗い店内に、評判の美少女がいた。そのころジャン・コクトーが台本を書いた『悲恋』という映画が封切られ、マドレエヌ・ソロオニュという神秘的なその主演女優の感じが、金髪と黒髪の差こそあれ、この美少女によく似ていた」(『私の遍歴時代』)。現在はコーヒーのほか、軽食や世界のビールが愉しめる。
「仮面の告白」について
『仮面の告白』は三島にとって、作家としての独り立ちを賭けた作品だった。坂本一亀から書下ろしを依頼されたとき、すでにその希望にあふれた心情が顕われている。ぜひ書きたい長編がある。自分はこの作品に賭けるつもりだ、と。四谷駅前にあった、木造の大蔵省仮庁舎でのことだ。この「賭ける」とは、大蔵省を辞めて作家として生計を立てるという決意である。
話が終わるころに、ちょうど正午のベルが鳴った。三島は机の上の書類を片付けると、坂本に「帰ろう!」と言って立ち上がる。前祝いだと言うのだ。そこから都竃に乗って、銀座四丁目に降り立ち、美味いハンバーグを食べさせる店に案内したという。店の名前はわからないが、ハンバーグステーキが家庭料理として普及する前のことだ。
この作品は三島由紀夫の私小説である。ただし、文壇的な私小説(自分に起きたことをそのまま作品化するもの)ではなく、「今まで仮想の人物に対して鋭いだ心理分析の刃を自分に向けて、自分で自分の生体解剖をしようといふ試み」であると、坂本に書き送っている。
相当な覚悟は、つぎの一文にも顕われている。
「自分が信じたと信じ、又読者の目にも私が信じてゐるとみえた美神を絞殺して、なほその上に美神がよみがへるかどうかを試めしたいと存じます。ずいぶん放埒な分析で、この作品を読んだあと、私の小説をもう読まぬといふ読者もあらはれようかと存じ、相当な決心でとりかゝる所存でごさいますが、この作品を『美しい』と言ってくれる人があつたら、その人こそ私の最も深い理解者であらうと思はれます」(「川端康成宛ての書簡」昭和二三年十一月二日付)。
血や露悪的な表現が頻出する作品を、単純に「美しい」とは思わなかったけれども、この作品を読んだのが十三歳だったわたしに、共感する部分は少なくなかった。思春期の性の悩みや自我の孤独が、おそらく身近に感ぜられたのだろう。自分のなかにこもらざるをえない主人公の切実さ、その反面の達観した思考にも親しみを感じたものだ。
誰しも少年期には、作品中の近江のような大人びた級友に、あこがれた経験があるのではないかと思う。少女においても、姉のように慕う同級生の存在があったはずだ(「学生時代」平岡精二)。
三島が影響をうけたトーマス・マンの『トニオ・クレエゲル』は、作家の芸術家像をえがいた衒学的な作品である。将来作家となる主人公トニオの少年期に、ハンス・ハンゼンという憧れの少年が登場する。成績優秀で活発なハンスとの会話に割って入ろうとする級友にたいして、トニオは地の中に吸い込まれてしまえ、とまで思うのだった。
やがてハンスとの違いを認識した主人公トニオは、インゲボルグという少女に恋をする。これもしかし、主人公の孤独な片思いにおわってしまう。『仮面の告白』の「私」もアプローチの違いはあれ、トニオと同じ脈略をたどっている。
恋をするのが少年期の特権であり、多感な時代のみずみずしい実感であればこそ、この作品は作家固有の性的煩悶をこえる。ヒリヒリするほどピュアなものを表象することで、少年の体験は普遍的なものとなる。あらためて読み返して、少年時代の甘酸っぱい想い出とともに、誰もがこの作品を「美しい」と言いたくなるのではないだろうか。
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文学には「住所」がある。
三島作品の舞台や執筆場となった、数々の店や場所、風景。
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