コンドームをつけた上でセックスをすれば、妊娠の可能性は下げられる。ただ、射精する以上、その可能性はゼロとはならない。体内に精子が存在し続ければ、「予期せぬこと」が起こる可能性があり、それにより時に、他人の身体や人生までを大きく変えてしまうこともある。そのことを私は、決して望んでいない――そう考えて、パイプカット(精管結紮術)に臨むことになった評論家の荻上チキさん。しかしそこに至るの道のりは決して平坦ではなかったようで……?
男らしさ、孤独、性愛、セルフケア……中年男性として新たな親密圏とアイデンティティの構築に七転八倒する、新感覚の社会評論エッセイ連載がスタートです!
第3回は、不穏な術後のチキさんの経過。最後の一行をお見逃しなく。
【Day 1】
目が醒める。
体を動かそうとすると、痛みが走る。
そうだった。私は手術のために、手足を拘束されていたのだった。
麻酔を打ってから1時間ほどの時間が経過していた。1時間だけの身体拘束でも、ここまで体に負荷がかかるのかと驚く。
苦悶の表情を浮かべていると、看護師がその様子に気がつく。拘束が解かれ、関節の痛みが緩和される。
同時に、鈍い痛みを下腹部に感じる。しびれを伴うジンジンとした重み。
睾丸(キンタマ)をぶつけた経験があるという人は、「うずくまってから少し経ち、立ち上がれるようになったくらいの痛み」だと捉えてほしい。
睾丸(キンタマ)をぶつけた経験がない人には……どう説明したらいいのだろう。足が痺れた時や、肘をぶつけた時など、電流が走るような感触があるじゃない? それに、ドスンとした重みが加わるような。そんな感覚がずっと続いている。
看護師が「膿盆」と呼ばれる医療用のステンレスプレートを差し出す。
「取ったものが、こちらになります」
赤くぬらぬらした、カタツムリのツノのような管。それが2本並んでいる。なるほどこれが、摘出された精管か。しげしげと眺め、目に焼き付ける。
転ばないように気を付けながら、ゆっくりとベッドから降りる。
手術室の端っこに丸めて置いてあった服を着る。
慌てることなく服を着た頃、「では、荻上さん」と、看護師が言う。
「1週間、入浴とマスタベーションを禁止。その後、30回射精したうえで、31回目の精液を持ってくること。その際、手術が成功し、精液に精子が含まれていないことの確認を行う。消毒液と化膿止めの薬を出すので、必要に応じて使うこと。お疲れ様でした」
一挙に説明を受けた後、帰宅するように促される。
あ、手術室で現地解散なんですね。なんとまあスピーディ。
そういえば私の前にいた患者も、その前の患者も、すぐに帰途に付いていたっけ。医師からさらなる説明を受ける機会はなさそうだ。手術は上手くいったのか。術後に気をつけるべきことは何か。
詳細に聞く機会はなかったが、説明がないということは、無事に手術が終わったのだろう。足を引きずり、帰路につく。
病院を出た後もずっと、下腹部の痛みが続く。移動中、ずっと何事もないような表情を保っていた。ずっと股間が痛いが、そんなそぶりを見せるまい。
帰宅をし、部屋着に着替える際に、自分の陰嚢を確かめる。注射を打った後に貼るような、正方形の絆創膏。それが、両方の袋に張り付いている。
シールを剥がすわけにはいかないので、縫合の細部はわからない。下手に触らないほうがいいと考え、部屋着に着替えた後に痛み止めを飲み、安静にする。
【Day 2】
かゆい。シールを貼っている部分が蒸れる。
うまくいったはずの手術であるが、今日も今日とてタマが痛い。
いや、正確にはタマではなく、切った管が痛いのだろう。
初日から比べると少しだけ緩和されたものの、股を閉じると睾丸その他が圧迫され、痛みが増す。立っていてもジンジンするので、歩く時は気持ち、ガニ股になっている。
街をガニ股で歩いている人や、足を開いて座席に座っている人の中には、股間が圧迫されて辛いという人もいるのだろう。威張っているように見えるが、実はしんどい思いをしているのかもしれない。
小学生の頃、「椅子に座る時には、膝と膝をくっつけるのが正しい姿勢なのだ」と言われ続けた。「正しい姿勢」をするたびに、睾丸や陰茎が太ももに挟まれて圧迫され、心地悪かったのを思い出す。あれは誰にとっての「正しさ」であったのだろう。
毎日、電車に乗って移動している。股を少しでも楽にしたくて、席が空いているなら、オープンスタンスで着座したい。しかし、側から見たら迷惑な人に見えてしまうだろう。
見えない事情があるんですと説明するため、ヘルプマークをもらいにいくかを真剣に悩んだ。調べてみたが、もらえる場所が存外遠かったのもあって、諦めた。ヘルプマークそのものへのアクセシビリティ向上。そのような課題を、身をもって知った。これはこれで、一つの社会問題である。
股間がこれほど痛いのはいつぶりだろうか。そういえば子供の頃、股部白癬(いんきんたむし)という病気になったことがあったな。玉袋とその周辺が赤くジュクジュクした状態となり、激しいかゆみが続いた。
素人療法として、家の救急箱にあったムヒを塗ったが、激しい痛みに襲われ、悶え苦しんだ。ああ、ムヒは塗ってはいけなかったんだと気づき、風呂場にいって洗い流そうとしたら、ムヒのスースー成分が股間全体に広がり、余計に苦しむこととなった。
絶対にこれはエッチな病気に違いない思い込み、あれこれと躊躇したが、意を決して父親に、「キンタマが痛くて…」と相談したら、「インキンだな、オロナインを塗りなさい」と助言された。「ムヒを塗ったんだけど…」と打ち明けたら、「股間にムヒを塗ってはいけない」と言われた。
翌日、病院に行くようにとのことだが、その夜はかゆみでどうかなりそうだった。あの時は辛かったな。記憶の扉が開く。
そう考えると、術後の痛みは、あれよりは全然マシだ。ムヒを塗った時は「ギャーーッ!」という感じの痛みであったが、いまの痛みは「ウーン……」という感じの痛みである。
【Day 3】
今日も管が痛い。
痛みはどれくらい続くのだろう。調べても、「個人差がある」としか出てこない。
精管結紮術について、色々と調べていると、この手術を可能とする根拠法にたどり着いた。その法律はなんと、母体保護法。同法には、次のように書かれている。
第二章 不妊手術
第三条 医師は、次の各号の一に該当する者に対して、本人の同意及び配偶者(届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様な事情にある者を含む。以下同じ。)があるときはその同意を得て、不妊手術を行うことができる。ただし、未成年者については、この限りでない。
一 妊娠又は分娩が、母体の生命に危険を及ぼすおそれのあるもの
二 現に数人の子を有し、かつ、分娩ごとに、母体の健康度を著しく低下するおそれのあるもの
2 前項各号に掲げる場合には、その配偶者についても同項の規定による不妊手術を行うことができる。
また、母体保護法施行規則には、次のようにある。
第一条 母体保護法(以下「法」という。)第二条第一項に規定する不妊手術は、次に掲げる術式によるものとする。
一 精管切除結さつ法(精管を陰のう根部で精索からはく離して、二センチメートル以上を切除し、各断端を焼しやくし、結さつするものをいう。)
え、そうなの?
精管結紮術は、不妊手術項目の最初に書かれているの?
多くの病院が求めていた、「配偶者の同意がある」「現に数人の子を有する」「婚姻している」という項目は、法律で定められていたの?
パートナーがいない人や子どもを求めない人はどうするの?
この条文は、主語が医師となっているけど、本来なら個人の権利として位置付けるべきじゃないの?
中絶の際の「配偶者同意要件」については知っていたが、男性の不妊手術においてもそうだったとは。不勉強だった。「私の体は、私のもの」という、性と生殖に関する権利は、男性器を持つ者にも行き届いていないように思えた。
なお、母体保護法には、次のような条文もあった。
第二十六条 不妊手術を受けた者は、婚姻しようとするときは、その相手方に対して、不妊手術を受けた旨を通知しなければならない。
え、え?
そうなの?
婚姻相手に伝えることが法律上の責務にされてるの?
そりゃ、事前に様々な話し合いをしておいた方が良いとは思うけど、結婚前の通知義務まで法で規定される必要があるとは思えないのだが。はて。
母体保護法は、優生保護法を改正して作られた法律だ。専門家や当事者団体などからは、改正してなお、優生思想と国家管理の構造を維持していると批判されてきた歴史を持つ。また、個人の「性と生殖の権利」として明記してもおらず、子を希望しない男性のことも想定されていない。
その上に、この通知義務である。たとえ家族であったとしても、自分の身体状態を知らせる義務を設けるというのは、親密な関係の築き方に国が関与しすぎではないか。
条文に目を通し、さんざん首を傾げたあと、はたと思い至る。
違和感のある法律とはいえ、現状では様々な規定が存在する。
他方で、あの病院では、さしたる確認もなく手術可能であった。
んー……?
私の判断は、いろいろと、大丈夫だったのだろうか。
【Day 4】
今日も管が痛い。
管が痛いという愚痴を、友人KちゃんにLINEで送る。Kちゃんはストリートで過ごした時間が長く、これまで山ほど怪我をしてきたので、縫合やら麻酔やらに詳しい。体に刻んだ知識をもとに、具体的に励ましてくれる。優しく、心強い。
Kちゃんは、傷の縫合箇所が大好きな欠損フェチである。そのため、玉袋の傷に興味津々で、「オカズにするから」と写真をクレクレする。もちろん写真は送らないが、記録のために撮影しておくのは悪くないと考え、何枚か陰嚢の写真を撮る。写真は、間違って人に見られないような場所に保存してある。
Kちゃんはまた、なんでも食べてみたいというグルメハンターである。「取った管ないの? くにゃくにゃして美味しそう」と聞かれたので、「いやさ、持って帰れないか聞いてみたんだけど、ダメって言われた。医療廃棄物だからね」と伝えた。心底がっかりしていた。可哀想なKちゃんである。
【Day 5】
今日も管が痛い。
小さいとはいえ、臓器を切除して、そこが回復途中にあるわけで。致し方がないが、不快である。
痛みを感じなかったという体験談を読むと、羨ましいなと思う。しかし、それは全体の何%くらいなのだろう。いや、そもそも精管を取る手術をした人はどれくらいいるのだろう。
気になったので、厚生労働省のデータ「衛生行政報告例」をたどり、推移をExcelにまとめてみる。2003年から2022年の20年で、精管結紮手が行われたのは968件。年の平均は48.4件。少なっ!
どうりで、体験談が少ないわけである。なにせ「体験」そのものが少ないのだから。
では、卵管を取る方の不妊手術はどうか。こちらは20年間で7万2221件。年平均では3611件である。数字を比べると、統計分類上の女性の方が不妊手術の割合が高い。
卵管摘出などは、精管摘出よりもはるかに負担が大きく、数日間の入院が必要である。手術経験のある知り合いは、ひどい痛みが数日続いたという。
それと比べれば、この管の痛みは大したことないともいえる。
なお、この20年の中絶件数は、410万9983件。年平均では20万件を超えている。
妊娠をめぐり、誰が身体的負荷を追うのか。そのジェンダーギャップは、想像以上に大きい。
【Day 6】
今日も管が痛い。
今日は打ち合わせ2本。締め切り1本。痛みを抱えながらも、平静を装い、淡々と仕事をこなしている。
打ち合わせ相手も、メディア経由で私のことを見るひとも、「この人、股間が痛いんだろうな」とは思わないだろう。痛み止めを飲みつつ、日常を過ごす。
【Day 7】
一週間目なので、手持ちの薬が切れた。
それでも今日も、管が痛い。
しかしおかしい。左右で痛みの種類が違う気がする。左は重たい痛みだが、右は鋭い痛みである。
ジンジン痛い左と、ズキズキ痛い右。
昨日とは違う、新しい痛み。
どうなっているのかと思い、下着を脱ぎ、患部を見る。
陰嚢(玉袋)に穴が空き、流血している。
筆者について
おぎうえ・ちき 1981年、兵庫県生まれ。評論家。「荻上チキ・Session」(TBSラジオ)メインパーソナリティ。著書に『災害支援手帖』(木楽舎)、『いじめを生む教室 子どもを守るために知っておきたいデータと知識』(PHP新書)、『宗教2世』(編著、太田出版)、『もう一人、誰かを好きになったとき:ポリアモリーのリアル』(新潮社)など多数。