飯島愛のいた時代
第1回

“ノスタルジックで清楚な美少女”ー初期の飯島愛

飯島愛のいた時代
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『日本エロ本全史』『日本AV全史』など、この国の近現代史の重要な裏面を追った著書を多く持つアダルトメディア研究家・安田理央による最新連載。前世紀最後のディケイド:90年代、それは以前の80年代とも、また以後到来した21世紀とも明らかに何かが異なる時代。その真っ只中で突如「飯島愛」という名と共に現れ、当時の人々から圧倒的な支持を得ながら、21世紀になってほどなく世を去ったひとりの女性がいた。そんな彼女と、彼女が生きた時代に何が起きていたのか。彼女の衝撃的な登場から30年以上を経た今、安田理央が丹念に辿っていきます。(毎月第1、3月曜日配信予定)
※本連載では過去文献からの引用箇所に一部、現在では不適切と思われる表現も含みますが、当時の状況を歴史的に記録・検証するという目的から、初出当時のまま掲載しています。

「グラビア」と「AV」の狭間で

80年代から00年代にかけて日本のAV情報誌の代表的な存在であった『オレンジ通信』(東京三世社)の1992年4月号の巻頭グラビアを飾ったのは、笑顔が初々しい健康的な少女のヌードだった。南国で撮影したと思われるトロピカルなムードに、少し褐色を帯びた少女の肌はマッチしていた。

おおっと、身を乗り出すんじゃないよ。こんな凄いコ、今まで見たことない? 当然。本邦初公開、まだ誰も見たことのない極上ピカイチ五つ星の女の子を、オレンジ通信の読者だけにドワッと大公開! 春の陽気に浮かれたキミの下半身をズズーンと突き抜けるこの美貌、このカラダ、ケタ違いだろ? まいったろ? やったね、誰よりも先に、愛をひとり占め!

グラビアには過剰に興奮したこんな文章が添えられていた。そして次のページでは、こう続く。

このオレ通グラビアを皮切りに、これからあちこちで大活躍の予定。絞ればジュッと流れてきそうな愛の魅力たっぷりのイメージ・ビデオ&写真集も大陸書房から発売予定だ。もちろん僕たちとしてはその先の、モア・ハードな愛も期待したいところ。ああ、ふるい立つぜ!

さらに最終ページに掲載された彼女のプロフィールはこうなっている。

いいじま あい●昭和48年8月20日東京生まれ。趣味はマリンスポーツ・スキー・ドライブという行動派。肉体の「行動」については今のところ不明。大陸書房からのビデオと写真集が待ち遠しい! T163B86W56H85。

AV情報誌である『オレンジ通信』の巻頭グラビアを飾るこの「飯島愛」という少女がAV女優なのかどうかは、ここからは読み取れない。むしろヌードにもなるグラビア・アイドルというニュアンスが強い。
「本邦初公開」と書かれていることから、おそらくこの号が、「飯島愛」がヌードグラビアに登場した最初の媒体だと思われる。この号の発売日は1992年3月8日。2月には、もうテレビ東京の『ギルガメッシュないと』に出演していたはずだが、その記述はない。この号の入稿時には、まだ出演するという情報がなかったのだろうか。

また紹介文からすると、大陸書房から発売されるというイメージ・ビデオと写真集が最初の単独作品のようだが、実際には『オレンジ通信』発売の16日後の3月24日に英知出版から写真集『愛・MY・ME』、そしてその翌日の25日にイメージビデオ『美少女Hi-Fi写真館22 魅せてあげる 飯島愛』が先に発売されている。

では、飯島愛最初の写真集となる『愛・MY・ME』を見てみよう。

写真集『愛・MY・ME』(英知出版)

表紙では長い黒髪で制服姿の飯島愛が体育座りであどけない笑顔を見せている。ページをめくると通学中をイメージしたかのような制服姿で踏切の前にいる写真、そして山奥の温泉宿の和室で浴衣をはだけさせて裸身を見せている写真、雪の中で乳房をさらけ出している写真もある。後半にはバーでボディコン姿を見せ、アダルトなムードで撮られたショットもある。

冒頭に「18歳という年齢は曖昧な年齢である。大人でもないし、子供でもない。制服が似合うかと思えば、ボディコンだって似合う。この写真集は18歳の飯島愛の等身大の魅力をいろんなシチュエイションからとり出した、子供以上大人未満のアルバムとも言える」という文章が書かれているが、正にそうしたコンセプトの写真集だ。

とはいえ、やはり前半の「少女」っぽいイメージの方が強烈だ。撮影した前場輝夫は当時の英知出版の看板カメラマンで、この写真集も80年代後半に一斉を風靡した英知出版とその兄弟会社であるAVメーカー宇宙企画のカラーである「ノスタルジックで清楚な美少女」像そのままなのだ。

後の飯島愛のイメージとは180度違うことに驚く人も多いだろう。
『プラトニック・セックス』を読めば、“実際の”飯島愛が中学生の頃から夜遊びを始め、15歳から水商売で働いていた少女だったことがわかる。『愛・MY・ME』での飯島愛は、“実像”からかなり離れていたのだ。
そもそもサブタイトルにまで「完熟した18歳Eカップ」と謳っていたが、本当は既に19歳であったし、胸もデビューに際して豊胸していたことが『プラトニック・セックス』には書かれている。

英知出版・宇宙企画が打ち出していた「ノスタルジックで清楚な美少女」像、通称・”宇宙少女”は、制作陣が入念に作り込んだものであり、そこで売り出された女の子たちの実像も違っていたことが多かった。つまり宇宙少女は「架空の少女」たちだったのだが、80年代にはそれが若い男性から絶大に支持された。

飯島愛も、その線で売り出そうと英知出版のスタッフたちが考えたのも無理はないだろう。しかしこの1カ月後の4月25日に発売された飯島愛のデビューAV『激射の女神 愛のベイサイドクラブ』(FOXY)のパッケージ写真は、もっと大人っぽく夜の街が似合いそうなムード、当時の言葉で言えば「ボディコンギャル」的なキャラクターで撮られている。こちらはかなり当時の”本当の”飯島愛に近いのだろう。

とはいえ『激射の女神』は、また微妙に違うニュアンスの作品だった。
愛は、嫉妬深い夫にありもしない浮気を疑われている若妻で、ある日「さがさないで下さい」と置き手紙を残して、姿を消す。その1カ月後、愛は道ですれ違った若いカメラマンに「僕に写真を撮らせてくれないか」と頼み込まれ、撮影した写真は誰にも見せないことを条件に引き受ける。
撮影されているうちに、二人は思いが高まり、スタジオでセックスしてしまう。その後、夫から頼まれたという興信所の男たちが愛の元を訪れる。
「あの嫉妬深い男とつらい日々を過ごすか。たった一度我慢するか、あなた次第ですよ」
夫に居場所を知らせないかわりに、愛は二人に肉体を提供することを選ぶ。さらにカメラマンは仕事を得るために、愛を編集者に差し出す。そして男たちに絶望した愛は再び姿を消した……。

「イヤ」と言えないために、男たちの欲望に翻弄されてしまう女というキャラクターは、これもまた「飯島愛」のイメージとも、大きくズレる。18才の女優のデビュー作で人妻役というのも違和感がある。特に彼女に合わせて書かれた台本ではないのだろう。
タイトルにある「ベイサイドクラブ」も全く登場しないが、この頃のAVにはよくあることである。

ビデオ『激射の女神』(大陸書房)

『オレンジ通信』1992年6月号に掲載された『激射の女神』のレビューは、こんな感じだった。

オレンジの巻頭グラビアで紹介され、テレビなどでも話題になっている飯島愛チャンのAVがリリースされた。『ギルガメッシュないと』のファンは喜べ(関東ローカルですいません)。遅れてきたAVアイドル、という感じがしないでもない彼女だが、本作の様なアナクロ・ドラマでもそのダイナミックすぎるボディ(笑)を惜しげもなく開いてみせてくれている。ボディコンやらハイレグといったコスチュームもお約束的にグラビア・ショットとして収められており、その辺も喜ばれるだろう。薄幸な女を演じる愛チャンなのだが、芝居はともかく何度も出てくる絡みは結構大胆で、いやらしく股を開いて指攻めを受けたり、唾液を垂らしたチ◯ポをフェラチオしたりと気合が入ってる。挿入はウソくさいが正常位で自然に男の背中で組まれている脚はいやらしいぞ。駅弁やらローション・ファックまであり、射精も顔にOK! で即戦力な愛チャンなのだ。アイドル派は必見。(岩尾)

沈み始めた業界での大ヒットデビュー 

当時の飯島愛は、“芸能人的な活動をしている女の子がAVにもデビューした”という受け取られ方をしていたことがわかるだろう。 
それでも、この原稿にもあるように、疑似本番であるものの、全部で5回ある濡れ場は、なかなか見応えがある。飯島愛の反応も、意外なほどに色っぽいし、薄褐色肌のボディもセクシーだ(明らかに豊胸だとわかる綺麗すぎる形状の乳房は好みがわかれるところだが)。この時期の単体女優のデビュー作としては、それなりに期待を裏切らない作品だったと言えるだろう。

興信所員役のベテラン男優・島袋浩が、カラミ中にわざとドラマでの役を無視したような態度を取って、愛を笑わせるシーンがあるのだが、そこでは彼女の素の表情を垣間見ることができる。それは18才の女の子そのもののあどけない笑顔だ。

やはり『ギルガメッシュないと』効果は高かったのだろう。デビュー作『激射の女神』は、いきなり大ヒットを記録する。

AV専門誌『ビデオ・ザ・ワールド』(白夜書房)1992年7月号に掲載されているレンタルショップの5月レンタルランキングを見ると、9店中4店で『激射の女神』が1位となっている。「パノラマ 小岩店」では『激射の女神』は2位だが、それは1位が飯島愛デビュー2作目にあたる『同級生は甘ずっぱく濡れて』(VIP)だったためである。またその他の4店のランキングでは10位内にも入っていないので、もしかしたら入荷されていなかったのかもしれない。

「後藤えり子、白石ひとみに続いてテレビ東京のギルガメッシュナイトに出演で人気の飯島愛が1位で、これからしばらく彼女の人気は続くんじゃないでしょうか」(ロフトタック)、「飯島愛は久々の大ヒット」(EVE)、「飯島愛、浅倉舞など有力な新人が出てきているので、これからの動きにも注目したいですね」(ビデオレンタルステップインヤナイ)など、各店のコメントでも、飯島愛の強さは見て取れる。

そんな大ヒットとなるデビュー作をリリースしたメーカーFOXYは、1967年に設立され、ジェームズ・チャーチワードの『失われたムー大陸』などのオカルト系の書籍で多くのベストセラーを放った出版社、大陸書房のAV部門である。
『激射の女神』の大ヒットで、大いに儲かったかと思いきや、大陸書房はその年の8月に自己破産を申請し、倒産してしまう。
その理由は、1987年から手がけていた廉価ビデオの事業が行き詰まったことだった。負債額は97億円以上にものぼり、出版業界においては当時最大級の経営破綻となった。『激射の女神』による利益も、既に焼け石に水だったのだ。

この1992年は、1981年に産声を上げて以来、拡大を続けてきたAV業界の行く手に初めて暗雲が立ち込めた年だった。
未曾有の快進撃を見せていた村西とおる監督率いるダイヤモンド映像が業績悪化により、事実上倒産。AV評論家・奥出哲雄が立ち上げたことで話題となったAROXも活動停止。バブル崩壊の影響がAV業界にも忍び寄ってきたのだ。

そんな中で、飯島愛という超人気女優の登場は、明るいニュースだった。
大陸書房にとっては、その歴史を締めくくる最後の輝きとなった『激射の女神』だったが、AV女優・飯島愛にとっては、快進撃のスタートだった。
5月9日にVIPから第ニ作「同級生は甘ずっぱく濡れて』、5月26日にクリスタル映像から第三作『レイプされた女学生 季節はずれの快感物語』を発売。以降、月に2本のペースで新作をリリースしていき、そのいずれもがヒットしたのである。

筆者について

安田理央

やすだ・りお 。1967年埼玉県生まれ。ライター、アダルトメディア研究家。美学校考現学研究室卒。主にアダルト産業をテーマに執筆。特にエロとデジタルメディアの関わりや、アダルトメディアの歴史の研究をライフワークとしている。 AV監督やカメラマン、漫画原作者、イベント司会者などとしても活動。主な著書に『痴女の誕生―アダルトメディアは女性をどう描いてきたのか』『巨乳の誕 生―大きなおっぱいはどう呼ばれてきたのか』、『日本エロ本全史』 (以上、太田出版)、『AV女優、のち』(KADOKAWA)、『ヘアヌードの誕生 芸術と猥褻のはざまで陰毛は揺れる』(イーストプレス)、『日本AV全史』(ケンエレブックス)、『エロメディア大全』(三才ブックス)などがある。

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