大阪・新世界のカラオケスナックで、70代の常連さんらしき方が歌う安全地帯の『恋の予感』を聴いた。衝撃を受けるほどに素晴らしかった。翌朝、昨日の歌を反芻し、玉置浩二が歌っているオリジナルバージョンを何度も再生した。頭の中に常に『恋の予感』が流れている状況が1週間も続いた。どうしても自分で歌ってみずにはいられなくなり、カラオケボックスに行った。まったくうまく歌えなかった。そんなとき、太極拳教室に行くことになった。
腹筋で歌う歌、玉置浩二の歌とは、もしかしたらそういうものなのかもしれない
最近、大阪環状線というJRの路線の、新今宮という駅で友人と待ち合わせて飲みに行ったことがあった。新今宮駅の近くには大阪の観光名所のひとつである通天閣があって、賑わっている。新世界と呼ばれるその周辺エリアは、かつては歩くのに緊張するほど荒い雰囲気だったと、関西出身の友人に聞いたことがあるが(その友人は私より少し年上で、その人がこの辺りをよく歩いたのはおそらく30年以上も前のことだろう)、少なくとも通天閣の周りのあたりは今やすっかり観光地である。コロナ禍の頃に行ってみたことがあったが、その一時期は通行人を見つけるのが難しいほど静かになっていた。それが、最近では海外からの観光客の姿も多いし、国内の旅行客らしき人々もいて、混み合って歩くのが困難な一画もあるほどだ。
「ビリケンさん」の立体看板がド派手な串カツ店や射的場などが並ぶそのあたりを少し歩き、私と友人たちは動物園前一番街というアーケードの商店街へと向かった。その商店街沿いに「ぶんぷく」という酒場があって、そこで飲むことにした。親子で営んでおられるコの字カウンターの名店で、安くて美味しいおつまみをあれこれ注文し、何杯か飲んで、もう一軒行くことになった。
その商店街沿いにはカラオケスナックがたくさんある。その多くでは中国から日本に来て働いている女性がスタッフを務めていて、一杯500円か600円から飲めるドリンク類と、ちょっとしたおつまみがあって、カラオケは1曲歌うと100円というのが相場のようだ。
私は何度かこのあたりのそういう店に行ったことがあって、割と高齢のお客さん(60代、70代ぐらいの方々に見えた)が元気に盛り上がっていた。「ぶんぷく」のあと、この日もそういったカラオケスナックのひとつに行くことになった(正確には同じような店をそのあとさらにもう一軒ハシゴした)。
気さくなお店の方に「どうぞどうぞ」と勧めてもらうままに私が歌って、カラオケが好きな友人も、逆にカラオケには普段ほとんど行くことがないというもうひとりの友人も歌い、最後のほうは酔って記憶もぼんやりしているが、楽しい時間になった気がする。ひとつ、しっかり記憶しているのは、我々と同じカウンターの端のほうに座っていた常連さんらしき方(お歳はなんとなく70代あたりかと思われた)が、安全地帯の『恋の予感』という曲を歌って、それがガーンと衝撃を受けるほどに素晴らしかったことだ。
アンビエントふうな響きのシンセ音から始まって、静かな歌い出し。低いトーンからゆったりと持ち上げていくような、じわじわ駆け上がっていくような、艶っぽく抒情的なメロディ。バックの演奏は抑制が効いていて無駄がない。切ない余韻を残して終わるサビが何度か繰り返されると、危うく涙が出そうだった。もちろん、そのご常連さんの歌声が渋くて素敵だったのも、大いにある。
翌朝、二日酔い状態で目を覚ましたとき、頭の中で『恋の予感』が鳴っていた。布団の中に潜って、昨日の歌を反芻し、スマホで検索して玉置浩二が歌っているオリジナルバージョンを何度も再生し、眠り、また目が覚めて『恋の予感』。そんなふうにして、頭の中に常に『恋の予感』が流れている状況が1週間も続いた。さすがに耐えがたくなり、「まねきねこ」というカラオケチェーンに行くことにした。自分で歌ってみずにはいられなくなったのだ。
そして歌ってみて驚いたことに、全然思うようにいかないのだ。単に私の歌が下手なのもあるだろう。キーが低いのか高いのか、そういうことが私はまったくわからないのだが、設定を変更すべきだったのか、とにかく、めちゃくちゃ腹筋に力を入れ続けないと、歌い出しも、あの素晴らしいサビも、まったく歌えないのである。腹筋で歌う歌、玉置浩二の歌とは、もしかしたらそういうものなのかもしれない。「これを必死に何度も歌うダイエット方法があってもおかしくない」と思った。それぐらい、ひ弱な腹筋ではものにできない曲なのだ。あのご常連、ただ者じゃなかったんだな。
うまく歌えたら『恋の予感』は卒業して玉置浩二の別の歌へと興味を移すことができたのかもしれないが、不本意な結果に終わったものだから、また引き続き、『恋の予感』が頭の中に流れ続ける日々が過ぎた。そして太極拳教室に、体験に行くことになった。
邪念が入った私の息は途切れ、溺れかけたかのように荒くなる
「今度、太極拳の体験に行こうと思ってるんだ」と友人が言っていて、この連載の題材にいつも飢えている私は、「え! もし今からでも間に合うなら一緒に行ってもいいかな」と頼み込んだ。幸い、予約は問題なくできて、平日の午前中、梅田にあるその教室へ向かうことになった。
太極拳についての知識を、私はまったく持っていない。「公園でたまに何人かでやっている人がいる、あれでしょう」という程度だ。やけにゆっくり動いて、中国の拳法っぽい型はあるようで、あとはわからない。ああやって集まってやっている人がいるということは、体にいいんだろうか。それとも何か、スピリチュアルな影響力があったりするのだろうか。
相変わらず左足のかかと、そして膝の痛みが引いてくれない状態なので、こんな自分が体験しても問題ないのか、不安があった。「動きやすい服装で」と予約メールの注意書きにあったので、寝るときに履くルームウェアのズボンと、長袖のTシャツを持っていった。雑居ビルの地下にその教室はあるという。これが初めての体験なのは友人も同じで、「どんなもんなのか、全然わかんないな」「だよね」と言い合いながら階段を降りていく。
廊下の奥のドアには鍵がかかっていて、「あれ?」と困っていたらあとから「すみません!今開けます。おはようございます」と、この教室の先生らしき女性が現れた。鍵が開けられ、うながされて室内へ。蛍光灯の明かりが照らす白い空間だ。ピカピカに磨かれた床には二重の円が描かれている。壁の一面が鏡になっていて、ダンススタジオのようでもあるが、天井近くには、この道の創始者だろうか、誰かの肖像写真が額に入って置かれており、鏡張りでないほうの壁には太極拳の型の名前を細かく書いた表などがいくつも貼ってある。
「今日はよろしくお願いします。男性はそちらでお着替えを済ませてください」と、カーテンのかかった小さな空間を先生は指差した。あるお寺のお坊さんで、今回が2回目の体験だという男性と一緒に、私は急いで着替えを済ませた。体験料を先生に手渡し、自分の体の状態などに関するアンケートに記入する。
先生がひとりいて、私と友人以外に3名の参加者がいて、そのうちふたりは長く通っている方らしい。この太極拳の教室には大きく分けるとふたつのコースがあって、ひとつは護身術としても役立つ本格的なコースで、もうひとつは健康を意識しながら、前者よりはのびのびとやるコース。私がこれから体験するのは健康を意識したのびのびコースで、そっちのほうが初心者向けだというので少し安心した。部屋の中に、それぞれが適当な距離をあけて立ち、いちばん前にひとりで立っている先生の動きをとにかく真似て動けばいいらしかった。
先生がCDラジカセを操作して、いかにも中国的でゆったりとした、胡弓のような弦楽器がホワーンと響く曲が流れる。「今日はちゃんとCD持ってきたんですね」と参加者のひとりが先生に言う。「そうそう! 今日は忘れなかった!」と先生。気楽な関係性らしい様子にホッとする。前回は無音でやったのだろうか。
音楽が鳴るなか、先生がゆっくり動き出し、「足は肩幅の広さで、つま先は左右平行に立ちまーす。胸の前に両手を出してー」というように、説明を加えながら手を伸ばす。最初に何回か繰り返された動作は、ラジオ体操の最後の、ゆっくり手を伸ばして下げていく動きをちょっと変えてスローにしたようなもので、それは自分でも真似することができた。
その後は、手の動きだけでなく足も使い、重心を前に乗せたり後ろに乗せたりと、複合的な動作になっていく。「鈎手(こうしゅ)」というらしい、手先を、冷凍マグロを動かすときに使うあの「かぎ」のような形にして体を左右にリズミカルに動かす流れがあって、それはちょっと楽しかった。
そのあとだろうか、「次は結構しんどいかもしれません」と先生が言って、「ゆっくり呼吸していきます。1から6までカウントしますので、それに合わせて吸って、吐いて、を繰り返していきます。もし息が苦しかったら無理せず自分のペースで大丈夫です」と動き出した。操作自体はそれほど複雑ではないように思えたが、1から6までがゆっくりカウントされていく間、息を吐き続け、次に吸い続け、と、呼吸を長く持続させるのがかなり難しい。先生の動きに合わせて手や足をゆっくり伸ばしたり曲げたりしようと思うとそっちに意識が向かい過ぎて、呼吸のカウントを忘れてしまっていたりする。
集中力をしっかり保ち、細く長く吐いて、同じように細く吸わないとカウントに届かず、苦しくなってしまう。できるだけ一定の量をキープするようにして息を吐きながら私は思った。カラオケで『恋の予感』を歌っていたときに感じた辛さと、これは同じだ。あの曲は、というか、玉置浩二の歌は、呼吸のコントロールが要になっているのではないか。この呼吸のペースに慣れることができたら、少しは上手に歌えるようになるのかもしれない。と、そんな邪念が入った私の息は途切れ、溺れかけたかのように荒くなる。
先生の動きは後半、どんどん複雑になっていった。「手を払ってー、後ろに抑えてー、右足を90度開いて重心は一旦後ろにー! 左にひねりながら拳を腰のあたりで握って、回しながら前に出しまーす」みたいな感じで、目の前にいる人の動きを間近に見ながら真似しているはずなのについていけないのだ。膝を軽く曲げ、腰を落とした姿勢を保ちながら動くことが多く、足がガクガクしてくる。「では今日はここまでにしましょう」と先生がふいに言い、「え? もう?」と思って時計を見たらしっかり1時間ほど経っていた。
腕を伸ばすって、手を握ったり開いたりするのって、こういう感じだったんだな
再び更衣室で着替えをし、帰り際、先生にいくつか質問をした。こうして教室で教えるようになって18年になるという。もともと、教室の生徒のひとりだったのが、太極拳の奥深さに目覚め、修行を重ねて今のようになったらしい。少林寺拳法のようなものを「剛拳」と呼び、それに対する「柔拳」に、太極拳は属するのだとか。ゆっくりした動きだが、一つひとつの型に意味があり、高度なものになると剣を使ったり、ふたりひと組になってお互いに攻めと守りの動きをしたりもする。その名の通り、れっきとした拳法であり、しっかりと型を身につければ、いざ危険が迫った時はシュッとその動きが出て、自分を守ったり、相手を攻撃することができるという。
ちなみに「公園でみんながやっているあれ」と私が眺めていたものは今日教わったのとは別物で、あれは太極拳の動きをあえて簡略化し、中国政府が健康維持のためにと、ラジオ体操のように民間に普及させようと構成したものがほとんどらしい。それはそれで体を動かせていいのだが、この教室で教えているものとは違うんです、と先生が言うのを聞くあいだ、私の膝はいよいよ震え出し、立っていられないほどになった。「なるほど、ありがとうございます!」とお礼を言ってよろけるように外に出た。
まだ昼前で、天気もよく、地上の日差しはまぶしかった。「面白かったね。思ったより気楽だった」と友人の感想を聞きながら、近くにある芝生の広場まで歩く。「どんな動きがあったっけ?」と、自分たちが教わった型を、最初から思い出してみる。しかし、シンプルに思えたものでも、もうあやふやになっている。木を抱くようなイメージの手の動きがあったような気がする。
「鈎手」をして、どう動くんだっけ……。「こんな感じだったような」とやってみる私の写真を撮ってくれた友人は「わかるけど、だいぶ違うなー。先生に怒られそう」と言う。
私もだんだん、ふざけているような気持ちになってきて思わずニヤニヤしてしまう。たしかに、こんな不真面目な態度ではいけない気がする。しかし、自分にとって面白い体験だったのは本当で、体をゆっくり動かすというだけでそもそも新鮮な感覚があった。たとえば、拳を握って肘を一度畳み、その肘をゆっくり伸ばしながら手を開いてみる。そしてまた元に形に戻す。これは今私が勝手に思いついただけの動きだが、それを可能な限りスローに繰り返してみるだけで結構疲れるし、「あ、腕を伸ばすって、手を握ったり開いたりするのって、こういう感じだったんだな、そういえば」と、普段は気にも留めない体の運動性に改めて気づかされるように思う。
呼吸を保ちながら、スローに動く。複雑な型にはまったくついていけなかったが、とりあえずそれだけでも十分楽しかった。膝の痛みがだいぶ薄らいできたので、友人と梅田の中華料理店へ行くことになった。太極拳からの中華料理、安直だが、それ以外の選択肢はないという気分だった。
山椒の効いた麻婆豆腐を食べ、青島ビールを飲む。「もっと勧誘とかされるのかと思ったけど、そうでもなかったね」「うん。先生があっさりしててよかったよね。また気が向いたら来てください、って」「体験料は安かったけど、入会するとなるとなー」「うーん」などと、のん気に話す。
それから大阪駅前ビルの、飲食店がひしめく地下街へと繰り出し、昼から営業しているチェーンの立ち飲み店で飲んだ。チューハイ、煮込み、マカロニサラダ。しばらく飲んで、今度は日本酒が美味しい立ち飲みに行って、熱燗と、クラッカーにのせて食べる酒粕レーズン。最後にもう一軒、と、今度は新梅田食道街という古い飲食店街に移動して、創業70年以上になるという老舗の立ち飲み店で生ビールとかぼちゃの煮物。
ずっと立って飲んでいるのに、そういうときは膝が痛んだりしないのが不思議だ。酔って麻痺しているだけなのだろうか。何軒もハシゴしたのにまだ時間は早い。「早起きしたから一日が長くて得した」と友人。それでもだいぶ酔っていたので解散し、大阪駅へと歩く。駅周辺ではたくさんの人があちこちの方向から、かなりの速度でやってくる。人とぶつからないように体を横にしたり、ワンステップ右か左に動いたり、なかなかに忙しい。この雑踏のなかで急にひとり、太極拳のあのスローさで動きたいような衝動にかられる。そんな自分の姿を想像しながら改札を通ったあと、「あ、カラオケ行けばよかった」と思った。今なら『恋の予感』が上手に歌えそうな気がするのに。
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スズキナオ『今日までやらずに生きてきた』は毎月第2木曜日公開。次回第8回は2025年1月16日(木)17時公開予定。
筆者について
1979年東京生まれ、大阪在住のフリーライター。WEBサイト『デイリーポータルZ』を中心に執筆中。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』、『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』、『「それから」の大阪』など。パリッコとの共著に『ご自由にお持ちくださいを見つけるまで家に帰れない一日』、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』、『“よむ”お酒』、『酒の穴』などがある。