飯島愛のいた時代
第7回

「ライバル」たち、そして東大五月祭事件

飯島愛のいた時代
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『日本エロ本全史』『日本AV全史』など、この国の近現代史の重要な裏面を追った著書を多く持つアダルトメディア研究家・安田理央による最新連載。前世紀最後のディケイド:90年代、それは以前の80年代とも、また以後到来した21世紀とも明らかに何かが異なる時代。その真っ只中で突如「飯島愛」という名と共に現れ、当時の人々から圧倒的な支持を得ながら、21世紀になってほどなく世を去ったひとりの女性がいた。そんな彼女と、彼女が生きた時代に何が起きていたのか。彼女の衝撃的な登場から30年以上を経た今、安田理央が丹念に辿っていきます。(毎月第1、3月曜日配信予定)
※本連載では過去文献からの引用箇所に一部、現在では不適切と思われる表現も含みますが、当時の状況を歴史的に記録・検証するという目的から、初出当時のまま掲載しています。

「飯島愛」という芸名は、当時のプロダクション社長の命名だ。
「愛」は、16歳の時に湯島のカラオケスナックで働いた時に店のママからつけられた源氏名で、それ以降もずっと使い続けていた名前だが、名字の飯島は当時、水着キャンペーンガール、レースクイーンとして芸能界に登場し、タレントとして人気を集めていた飯島直子にちなんで付けられた。

若杉(引用者註・作中の仮名)は、愛の顔立ちや雰囲気が、当時ブレイクしていたタレントの飯島直子にどことなく似ていると感じた。若杉は飯島直子が日本テレビ系の深夜番組『11PM』に水着で出演した姿を見て、「この子は絶対に売れる」と確信したことを思い出した。その直感を大事にして、ゲンを担ぐ意味も込めて芸名を決めた。(豊田正義『独りぼっちの飯島愛 36年の軌跡』)

AVでは以前から、松友伊代=松本伊代や、新田恵美=新田恵利など、似ている人気アイドルやタレントにあやかった芸名を付けることが多かった。
注目狙いの安易なネーミングではある。おそらく、この時点では社長は彼女が芸能界で活躍できるとは思ってもいなかったのだろう。 この時期は飯島直子も日本テレビ系の『DAISUKI!』で活躍するなど、同じ深夜番組での人気者ということで「W飯島」などと称された。
しかし、この二人は仲が悪いと報道されることも多く、飯島愛がタレントとして地位を固めてからも、共演することはほとんどなかった。
少し後の報道だが、『週刊現代』1996年11月16日号では、「元肉体派アイドルの大乱闘」としてこんな記事が掲載されている。

「AV女優あがりのくせに!」
すれ違いざまの飯島直子(28歳)の一言。
「フン、レースクイーンあがり、ヤンキーあがりのくせに」
と逆襲する飯島愛(23歳)。テレビで可愛い笑顔をふりまく二人からは、まったく想像もできない、蓮っ葉な罵り合いが目撃されたのは4月下旬、日本テレビ局内の廊下でのことだった。
とにかくこの二人仲が悪いのである。
(中略)「二人の不仲は、昔からだよ。お互いによく名前を間違われて、とくに直子が『あんなイヤラシイ仕事してた人と』とプリプリしてた。その雰囲気が愛にも伝わったんだ」(大手芸能プロダクション幹部)
(中略)二人が仕事場で顔を合わせないようにスタッフも神経ピリピリ。
「二度と廊下ですれ違ったりしないように、スケジュール調整をしており、胃が痛くなるスタッフもいるらしい」(スポーツ紙芸能担当記者)
〝女の面子を賭けた戦い〟は、どちらかが力つきて引退するまで、果てしなく続く。

2006年に飯島愛がレギュラー出演していたフジテレビ系番組『ウチくる!?』に飯島直子が出演した時に、不仲説を否定してはいるのだが……。

もう一人の「ライバル」

飯島愛がタレントとして頭角を現していた時期に、もう一人「ライバル」とされていたのが細川ふみえだ。
飯島愛が『ギルガメッシュないと』に登場した時に、岩本恭生と共に司会を勤めていたのが細川ふみえだったため、この二人は何かと一緒に扱われることが多かった。
1993年3月には二人で映画『ロボコップ3』の公開キャンペーンに登場。

あのロボコップが、自ら主演する映画『ロボコップ3』(コロンビア・トライスター映画配給)の宣伝のため、新兵器ジェットパックを装着し、太平洋の空を飛び越え日本にやってきた。(中略)
テレビ東京の深夜番組『ギルガメッシュないと』を収録中のスタジオ。Tバックの飯島愛ちゃんと、Fカップの細川ふみえちゃんに迫られて、全身をコチコチにしていた(もともとコチコチか!)のが印象的でありました。(『週刊ポスト』1993年4月16日号)

この記事の見出しは「TバックとFカップとR(ロボ)コップ」。このように、飯島愛がTバック、細川ふみえがFカップという組み合わせで語られるのが定番だった。
そしてこの二人をライバルとして扱う記事も多かった。
『週刊現代』1993年8月14日号には「細川ふみえ・飯島愛 悩殺戦争」という記事が掲載されている。

これはもう、悩殺戦争であります。なんたって、Fカップ VS Tバック。色白の94cmのバストVS小麦色の85cmのヒップ。いやが応でも男たちの熱い視線を集める逸品だ。
このようにセールスポイントであい譲らぬ〝フーミン〟と〝愛〟なのだが、いまをときめくこの二人、いろんな部分で対照的なのだ。
例えば、二人が共演する人気のお色気バラエティ『ギルガメッシュナイト』(引用者註・原文まま)(テレビ東京)では、こうだ。
「エッチな話でも愛チャンはあっけらかんとして、キワドイことを平気でしゃべってる。それを本当はよく知ってそうな顔で、興味津々という感じでじっと聞いているのがフーミン」(同番組製作関係者)
(中略)が、その性格はとなると、ガラリと攻守を変えてしまうからわからない。
「一見、ふみえはおっとり屋で内気。家庭的なムードすら感じさせるでしょ。ところがドッコイ、意外に積極的。イケイケに見える愛こそ良妻賢母タイプで、堅実な女性なんです」
と証言するのは、ふたりをたびたび撮ってきたというカメラマン・伊藤隼也氏だ。
「愛はこの6月に、運転免許をとったんですが、買った車が中古車、それも国産の20万~30万円のヤツなんです。普段はパソコンに凝ってて、コンピューター・グラフィックに興味があるらしいんです。夜遊びはまったくしないし、電話もしない。酒は一滴も飲みません」(愛の所属プロであるオフィス・レオ社長・河合代介氏)
(中略)「ありゃオッパイ対ヒップ戦争でしたわ。フジTVの水泳大会の水上相撲で対戦したんですが、おたがい本気になっちゃった。一見おとなしそうなふみえの凄かったこと。髪とオッパイ振り乱して愛のヒップにつかみかかったんで、愛が『コワーイ!』と逃げ出して負けた」(フジTV関係者)
ともあれ、こんなオッパイとヒップの戦争ならわれわれも大歓迎。ますます過激にいってほし~い!

このように、ふたりの性格の違いをおもしろおかしく書くというパターンが多かった。
また、ここでも、飯島愛の趣味としてコンピューター・グラフィックが出てくることにも注目しておきたい。
ちなみにこの二人は1993年12月公開の映画『ぷるぷる 天使的休日』(G・カンパニー)でW主演もしている。
そして、細川ふみえが『ギルガメッシュないと』を卒業すると、その後は飯島愛が司会を引き継ぐことになる。

東大生との公開野球拳

1993年5月、飯島愛は東京大学の学園祭、五月祭に出演する。東大歌謡曲研究会主催のイベントにゲストとして招かれたのである。
豊田正義の『独りぼっちの飯島愛 36年の軌跡』では、その模様をこう描写している。

「Tバックの女王、飯島愛さんでーす!」
司会者の声とともに黒いミニスカートをはいた愛がステージに登場すると、「愛ちゃーん」のシュプレヒコールに「脱げェ!」の声が入り混じる。愛はマイクを持つと、舌足らずの可愛らしい声でリップサービスを送った。
「今日、お母さんから〝東大の五月祭に行くなら、東大生の恋人を見つけてきなさい〟と言われてきましたぁ!」
大群衆から湧き上がる拍手喝采。あちこちから「立候補しまーす!」と手が上がる。
イベントの目玉は東大生代表と飯島愛による野球拳だ。東大生がじゃんけんに買って愛が一枚服を脱ぐたびに「ウォー!」の大歓声が、東大生が負ければ「あーぁ」の溜め息と「何やってんだよ!」の罵声が上がる。愛が聴衆に背を向けてお尻を突き出し、ミニスカートをまくり上げてTバックを披露すると、カメラのフラッシュが一斉に焚かれ、聴衆の歓声と拍手は最高潮に達したのだったーー。

この依頼があった時、プロダクション社長は絶好のプロモーションだと直感し、「無料でいいから、飯島を連れて行く」と即決したのだという。
飯島愛は、前年1992年にも立教大学などの学園祭に出演していたのだが、やはり東大ともなると、その反応は違った。

「これだけを見に来た 東大五月祭の飯島愛」(『週刊新潮』1993年6月3日号)、「安田講堂
前で大股開き! 東大五月祭に登場した『Tバックの女王』飯島愛」(『FOCUS』1993年6月4日号)、「東大生もTバックがお好き 五月祭に出演した飯島愛の水着姿に2500人殺到」(『週刊宝石』1993年6月10日号)、「Tバックの女王 飯島愛に東大生が総立ち! あの安田講堂前のイベントに2500人殺到!」(『女性セブン』1993年6月10日号)、「SHIHO VS 飯島愛 東大安田講堂前の攻防」(『週刊ポスト』1993年6月11日号)、「安田講堂も大阪城もボー然 飯島愛VSハリウッド女優「ヒップと巨乳」でH対決だァ」(『FRIDAY』1993年6月11日号)、「Tバックが東大五月祭占拠! 飯島愛、SHIHO… 悩殺軍団が殴り込み」(『週刊大衆』1993年6月14日号)

社長の目論見は正しかったのだ。

「当日は予想をはるかに上回る数のマスコミが取材に来て、ほぼすべてのスポーツ新聞、週刊誌、ワイドショーで取り上げられました。プロモーション効果は絶大ですよ。『ついに飯島愛の時代が来た』と、私まで興奮しました」(『独りぼっちの飯島愛 36年の軌跡』)

あの東大に、AV女優であり、テレビの深夜番組でTバックのヒップを晒しているセクシーなタレントが進出する。そのインパクトは絶大であった。権威が汚されると嘆く声もないではなかったが、それは熱狂にかき消された。

そして、その翌月、飯島愛はまたしても予想を裏切るミスマッチな場所に姿を現した。
陸上自衛隊滝ヶ原駐屯地である。

「あまり良くわかりませんが、今、世界に色々な問題があり自衛隊のカタに直接関わってくる問題も増えたのではないでしょうか。今まではあまり表に出てこなかったと思いますが、段々とPKOに参加したりして、大変だと思います。なんだか自衛官の方に申し訳ない、遠い所できつい思いをしてかわいそうな気がします。これからも体に気をつけて頑張って下さい」

『Securitarian』1993年7月号より。迷彩服着用で戦車に載る飯島の写真も

自衛隊の広報誌である『Securitarian』(防衛弘済会)1993年7月号にもビキニ姿の写真と共にそんなコメントを寄せている。
実は飯島は、レコードデビュー曲である『ナイショ DE アイ アイ』のプロモーションビデオをこの滝ヶ原駐屯地で撮影していた。

筆者について

安田理央

やすだ・りお 。1967年埼玉県生まれ。ライター、アダルトメディア研究家。美学校考現学研究室卒。主にアダルト産業をテーマに執筆。特にエロとデジタルメディアの関わりや、アダルトメディアの歴史の研究をライフワークとしている。 AV監督やカメラマン、漫画原作者、イベント司会者などとしても活動。主な著書に『痴女の誕生―アダルトメディアは女性をどう描いてきたのか』『巨乳の誕 生―大きなおっぱいはどう呼ばれてきたのか』、『日本エロ本全史』 (以上、太田出版)、『AV女優、のち』(KADOKAWA)、『ヘアヌードの誕生 芸術と猥褻のはざまで陰毛は揺れる』(イーストプレス)、『日本AV全史』(ケンエレブックス)、『エロメディア大全』(三才ブックス)などがある。

  1. 第0回 : はじめにー90年代に何が起きていたか
  2. 第1回 : “ノスタルジックで清楚な美少女”ー初期の飯島愛
  3. 第2回 : 1992年は飯島愛の年だった
  4. 第3回 : ランキングから消える飯島愛の「変化」
  5. 第4回 : 「AV業界」との複雑な関係
  6. 第5回 : 『ギルガメッシュないと』が生んだスター
  7. 第6回 : 期待される「キャラ」と「役割」
  8. 第7回 : 「ライバル」たち、そして東大五月祭事件
連載「飯島愛のいた時代」
  1. 第0回 : はじめにー90年代に何が起きていたか
  2. 第1回 : “ノスタルジックで清楚な美少女”ー初期の飯島愛
  3. 第2回 : 1992年は飯島愛の年だった
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  7. 第6回 : 期待される「キャラ」と「役割」
  8. 第7回 : 「ライバル」たち、そして東大五月祭事件
  9. 連載「飯島愛のいた時代」記事一覧
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