『日本エロ本全史』『日本AV全史』など、この国の近現代史の重要な裏面を追った著書を多く持つアダルトメディア研究家・安田理央による最新連載。前世紀最後のディケイド:90年代、それは以前の80年代とも、また以後到来した21世紀とも明らかに何かが異なる時代。その真っ只中で突如「飯島愛」という名と共に現れ、当時の人々から圧倒的な支持を得ながら、21世紀になってほどなく世を去ったひとりの女性がいた。そんな彼女と、彼女が生きた時代に何が起きていたのか。彼女の衝撃的な登場から30年以上を経た今、安田理央が丹念に辿っていきます。(毎月第1、3月曜日配信予定)
※本連載では過去文献からの引用箇所に一部、現在では不適切と思われる表現も含みますが、当時の状況を歴史的に記録・検証するという目的から、初出当時のまま掲載しています。
1996年に発売された『コギャルの星 安室奈美恵の研究』(アムラー徹底研究会 飯倉書房)という本の第6章「コギャルの進化とアムロの存在との関係」は、こんな文章から始まる。
コギャルというと、傷んだ茶髪にごちゃごちゃと並べたてた耳のピアス、時にはヘソにもピアスを通し、やたら真っ黒な肌。
おまけにやたら太い足を何の気負いもなくさらす。
そんな無敵の女子高生集団がストリートを行進する。
そんなイメージが彷彿されたものだった。
とても美意識とは縁遠い存在だと思い込まれていたわけだ。
かつてのコギャルの憧れと言えば、飯島愛だったそうだ。
飯島愛と言えば元祖Tバックアイドル。
実際にTバックはOLや水商売系の女の子たちだけではなく、コギャルたちの間でもブームになっていたようだ。(中略)
「あたしはTバックしか能がないから」
という飯島愛の開き直り精神と潔いスタイルに共感し憧れたのか、コギャルたちはイケイケの飯島愛バリのスタイルを取り入れていた。
傷んだヘアのケアなどお構いナシで、むしろその傷んだヘアにポリシーを持っているんじゃないかと思わせるようだった。
確かに飯島愛もプロポーションが抜群で、セクシーさと無邪気さの2つを持ち合わせていたし、芸能人にも関わらず、裏表のないズケズケとするくらいのストレートな発言がウケていた。
それに自分の商品価値はTバックしかないと割り切り、流されやすい芸能界の波を押しよけて自分の信じる道を一途に突き進んでいた。
そんな飯島愛の芸能界での生き方にも、コギャルは共感していたのだろう。
そしてコギャルたちは、イギリスの少女デュオであるシャンプーに熱狂し、さらに安室奈美恵というカリスマに心酔することになる、と『コギャルの星 安室奈美恵の研究』は解説していく。
「コギャル」という呼称自体が、時代を感じさせてしまうかもしれない。現在でも「ギャル」という言葉は、まだ使われているが、その元になった「コギャル」は完全に死語だ。
2024年度後期のNHK連続テレビ小説『おむすび』は、橋本環奈演じる主人公が突如、ギャルになってしまうという展開が話題を呼んだ。
ドラマ内には「ギャルの掟」なるルールが登場する。
●掟その1
仲間が呼んだらすぐ駆けつける
●掟その2
他人の目は気にしない
自分が好きなことは貫け
●掟その3
ダサいことは死んでもするな
そもそも現在、言われているところの「ギャル」は、「コギャル」から派生したスタイルであった。そして「コギャル」は、極めて性的な存在だったのだ。少なくともNHKの朝ドラの主人公がなるような人種ではなかった。
コギャルの誕生
「コギャル」という言葉が生まれたのは、90年代初頭。最初は、ディスコの黒服たちが高校生ギャル=高ギャル=コギャルと呼び始めたのが語源だと言われている。
つまりそれ以前から「ギャル」という呼称はあったのだが、それは現代で使われる「ギャル」とは違い、「活発な若い女性」と言ったニュアンスだった。
1978年に10代の少女を対象とした雑誌『ギャルズライフ』(主婦の友社)が創刊されたり、1979年に沢田研二が『OH! ギャル』と言う曲をヒットさせたりと、70年代後半から「ギャル」は一般的になっていた。
ただ、単独で使われるよりも「フレッシュギャル」「ディスコギャル」「サーファーギャル」「ボディコンギャル」「イケイケギャル」「おやじギャル」など、属性と組み合わせて使われることが多かった。AV女優も80年代は「ビデオギャル」と呼ばれていた。
そう考えると、ディスコの黒服たちが高校生ギャル=コギャルと呼んでいたのも、単に高校生の女性客と言う意味だったのだろう。
しかし「コギャル」という言葉の響きが、いかにも「遊んでいる女子高校生」のイメージと見事にハマり、この言葉は拡散していった。
「コギャル」という言葉が最初に大々的にマスコミで使われたのは『週刊SPA!』1993年6月9日号の「コギャルの誘惑」という特集だと言われている。
6ページに渡る特集はこんな言葉から始まっている。
一斉を風靡したボディコンギャルに代わり、近頃〝コギャル〟という耳慣れない言葉で括られるニューブランドの少女群が出現してきた。
ボディコンギャルのコテコテつくられたセクシーさを軽蔑し、飾らない若い素肌という何物にも替えがたい武器でボクらを挑発する少女たち。
それが〝コギャル〟なのだ。
顔は幼いがカラダはオトナ。しかもお肌はスーベスベ。ウ~ン、たまらんゾォ!
さらに記事本文は、「コギャルっていうのはぁ、ギャルにデビューする前のコってこと。イケイケよりもぉ、一歩退いた感じでぇ、何よりも若いのよぉ」と、ボディコンギャルがボヤくようにコギャルを解説するところから始まる。
その後も「お色気ムンムンのボディコンとは違い、コギャルのとりえは少女のプリティなお色気」「エッチにしても、したい時ならコギャルから誘ってくれるぞ」「ボディコン娘を上回るコギャルの性意識」など、コギャルの年齢層は14歳から18歳だと説明していながら、完全に性の対象として扱っている。
現在のコンプライアンスで言えば、こうした表現はアウトだが、90年代にはまだまだ大目に見られていたのだ。
同時期に女子中高生の下着や制服を売るブルセラショップから発するブルセラブームもあり、90年代前半の日本は、10代の少女が「性の中心」的存在であったと言っても過言ではなかった。
『週刊時事』1993年9月11日号の「新語データバンク」でのコギャル解説でも、「プリティーな色気」と書かれているなど、この時期の週刊誌などのコギャルを扱った記事では、必ずと言っていいほどに性に結びつけられている。
1998年に『別冊宝島』の一冊として発刊された『超コギャル読本』(宝島社)はコギャルブームを総括したムックである。そこに収録された「性的女子高生革命が日本を襲った! コギャル興隆史を解剖する」(編集部)は、コギャルの歴史を解説した記事だ。
ここでは初期のコギャルを2つのタイプに分類している。
ひとつはLA風アメカジから進化したコギャルで、ミニスカートや短パンで脚を出し、白い厚手のハイソックスをズリ下げて履くのが特色。これは当時アメリカの若者の間で流行していたファッションで、立川のアメリカンスクールの生徒が取り入れたのだという。
彼女たちの聖地は渋谷センター街で、ポケベルなどを活用し仲間とのコミニュティを形成している。この「街にたむろしたい少女たち」を、ここでは「昼コギャル」と呼んでいる。
もうひとつは、この少し前に全盛を誇った「イケイケギャル」「ボディコンギャル」などから派生したコギャルたちだ。彼女たちは夜の街で遊ぶのが前提であり、アダルトなボディコンやロングブーツ、ピンピール・サンダルなどを常用する。
イケイケギャルに対して若さを誇示するためにストッキングは穿かずにナマ脚を見せ、それを活かすために日焼けサロンで肌を黒く焼く。「夜遊びしたい少女たち」であり、ここでは「夜コギャル」と呼ばれる。
コギャルの教祖と言えば安室奈美恵と思われがちだが、このようにポスト・イケイケ系の創成期コギャルは飯島愛の影響をモロに受けている。飯島愛的なものとは、すなわち、直接オトコの性欲を刺激する指向性ということである。従来は「下品」とされたセックスアピールを振りまくのを躊躇しないと言い換えてもいい。(「コギャル興隆史を解剖する」)
飯島→安室という系譜
『プラトニック・セックス』でも語られるように、飯島愛自身が中学生の頃から歌舞伎町のディスコに入り浸り、16歳で水商売の世界に足を踏み入れていた「夜の街の少女」だ。まさに「夜コギャル」の先駆け的な存在だったのである。
やがてこの「昼コギャル」「夜コギャル」が融合を始める。昼コギャルたちも、夜コギャルのセクシーなファッションを取り入れていくのだ。さらに夜コギャルのサロンによる日焼けファッションが過激化して「顔グロ」と呼ばれるコギャルたちが生まれる。
ここで、顔グロ、茶髪、派手なメイク、露出度の高いファッションというコギャルの外見的なイメージが完成する。そのお手本として、当時テレビや雑誌などに大量露出していたタレント・飯島愛がいたということだ。
しかし、都市部に限らず広く拡散しはじめたコギャルというスタイルに憧れつつも、そこまで過激に「下品」な格好はできないと躊躇した少女たちも多かった。というより、それが大多数だったのだろう。
そこに登場したのが、安室奈美恵だった。
それまで偏見づけられていたコギャルのイメージをとっぱらったのは、安室奈美恵であることに間違いはないだろう。
本来、コギャルが持っているセクシーさやかわいい部分など、安室はそのルックスと個性としぐさのすべてに表現しているのだから。
コギャルの存在が見つめ直されたのは、やはり安室の影響が大きいのだ。(『コギャルの星 安室奈美恵の研究』)
地グロの安室が、茶髪・ミニスカ・上げ底ロングブーツという「コア・コギャルをおとなしくしたような」ファッションで大人気となったことは、潜在黒コギャルたちを「これだ!」と小躍りさせたことだろう。ステレオタイプに右へならえした彼女たちは、アムラーと呼ばれることになる。(「コギャル興隆史を解剖する」)
1991年に「スーパーモンキーズ」というグループの一員としてデビューした安室奈美恵は、次第に人気を集め1994年に「安室奈美恵 with スーパーモンキーズ」に改名し、1995年にユーロビートのカバー曲である「TRY ME 私を信じて」をヒットさせる。
そして小室哲哉のプロデュースによる、「Body Feels EXIT」「Chase the Chance」で大ブレイクを果たし、年末には紅白歌合戦にも出演する。
この頃から彼女のファッションを真似する少女たちが続出し、彼女たちは「アムラー」と呼ばれるようになった。
言ってみれば、お手本となる対象が、飯島愛から安室奈美恵に替わったことで、「コギャル」は市民権を得たわけだ。
さらにその後、その対象は安室奈美恵から浜崎あゆみに替わり、「コギャル」は「ギャル」と呼ばれる様になり、中高生という年齢の縛りもなくなっていくのだが。
さて「コギャル」の神輿からは降りた飯島愛だが、そこで一過性のタレントとして忘れられることはなかった。
それどころか、むしろ幅広い層に支持される「お茶の間タレント」となっていくのである。
筆者について
やすだ・りお 。1967年埼玉県生まれ。ライター、アダルトメディア研究家。美学校考現学研究室卒。主にアダルト産業をテーマに執筆。特にエロとデジタルメディアの関わりや、アダルトメディアの歴史の研究をライフワークとしている。 AV監督やカメラマン、漫画原作者、イベント司会者などとしても活動。主な著書に『痴女の誕生―アダルトメディアは女性をどう描いてきたのか』『巨乳の誕 生―大きなおっぱいはどう呼ばれてきたのか』、『日本エロ本全史』 (以上、太田出版)、『AV女優、のち』(KADOKAWA)、『ヘアヌードの誕生 芸術と猥褻のはざまで陰毛は揺れる』(イーストプレス)、『日本AV全史』(ケンエレブックス)、『エロメディア大全』(三才ブックス)などがある。