酒場と生活
第23回

駒込「逆転クラブ」の「とりもも肉のグリル」

暮らし

駒込の酒場「逆転クラブ」に初めてふらりと行った日のことをよく覚えている。偶然、ちょっと一杯などと軽い気持ちで入った自分に、容赦ない洗礼を与えてくるような奇跡の名店だった。以降、駒込へ行くたびに寄るようになった。波乱万丈な飲食業人生を送ったマスターが、最後のお店に付けた名前が「逆転クラブ」だった。

「逆転クラブ」で初めて飲んだのは、2019年のこと。

その日はシンガーソングライターのbutajiさんに、なじみがあるという駒込の街を案内してもらいながら酒を飲む取材をしていた。取材といっても行く店をきっちり決めているわけではないから、いつもどおりの気ままなハシゴ酒と変わらない。

1軒目はbutajiさんの好きなもつ焼き屋「もつ田」(とてもいい店だったが残念ながら今では閉店してしまったらしい)、2軒目は趣向を変えて「むぎわら」というパスタが名物のイタリアンへ。すでにじゅうぶん満足していたが、軽くもう1軒だけ行って締めたいですね、という流れになって、放浪の末にたどり着いたのが「逆転クラブ」だった。

立ち飲み店で、細長いカウンターでは常連と思われるお客さんたちがわきあいあいと飲んでいる。入り口の窓に「焼鳥 100円」と大きくプリントされているから、気軽な価格の店であることは間違いない。なにより、逆転クラブという独特な店名が妙に気になる。butajiさんも僕も、初めてのこういう飲み屋に飛びこんでみることが大好きなので、駒込の夜の最後の店に決めた。

するとここが、ちょっと一杯、などと軽い気持ちで入っていった我々に容赦ない洗礼を与えてくるような、奇跡の名店だったのだ。

カウンター内には、優しそうな笑顔の裏にただものじゃないオーラを隠しきれていないマスターと、底抜けに陽気な外国人女性店員のルビーさんのふたり。小さな厨房ながら焼鳥には専用の焼き台があったり、巨大な業務用オーブンがあったりと、お店の規模からしたらかなり充実した設備だ。

それらを使ってマスターが次々に手際良く作ってゆく料理たちに、思わず目を奪われてしまった。当然ながら、煮込みとか、おでんとか、モロキューとかのちょっとした一品おつまみはたくさんある。焼鳥もうまい。それでいてさらに、得意分野のひとつと思われる洋食系のおつまみが、ものすごく本格的なのだ。とっくにお腹がいっぱいだったはずの僕らは、オーブンで焼きたてのピザをほおばり、ホッピーをぐいぐい飲んで酔っぱらった。

とりわけ印象的だったのが「逆転勝ち特製ハンバーグ」。肉厚でジューシーな手作りデミグラスハンバーグ、揚げたての春巻きとポテト、リーフレタスとカットトマトがひと皿に美しく盛られ、佇まいは完全に洋食の名店。しかもそのハンバーグが、当時はなんと450円で出されていた。僕らは「なんなんだこの店はー!」と叫びながら、ルビーさんがサービスで出してくれた白米とともに、その美味に涙した。

家の近所というわけではないからそう頻繁にではないけれど、逆転クラブの大ファンになった僕は、それからも駒込へ行くたびに寄るようになった。

波乱万丈なマスターの飲食業人生をざっくりと説明すると、1976(昭和51年)、東京都北区西ヶ原に、約10坪の「スナックハロー」を開店。1983年には店を大改装し、女性の従業員も多くいる本格スナックとなる。さらに1988年、かつてハローで雇っていたが帰国してしまった店員さんが多くいたフィリピンのマニラで「ニュウハロー」を開店。このあたりのバイタリティが特にすごい。さらに2000年、現在の豊島区駒込にスナックハローを移し、紆余曲折あって2009年、逆転クラブが誕生した。

そんな逆転クラブが僕にとってさらに特別なお店になったのは、現在もルノアール兄弟先生と連載させてもらっている漫画『パリッコの都酒伝説ファイル』がきっかけだった。

内容は、お酒にまつわる都市伝説「都酒伝説」を解明するというテーマのもと、僕が原案、ルノアール兄弟のおふたりがそれぞれ原作と作画を担当するギャグ漫画。僕の肩書きは原案となっているが気楽なもので、月に1度、オンライン会議という名のWEB飲みを開催し、酒を飲みながら、それぞれが最近おもしろかった飲み屋の話、気になったお酒の話題などをあれこれ話すだけ。そうすると、どこかのタイミングで左近さんのひらめきが発動し、それに乗ってあーだこーだと盛り上がっていたら、いつのまにかおもしろい話ができている。そこに作画の上田さんが、日本ギャグ漫画界の至宝ともいえる絵を当ててくれるわけで、関係者でありながら今僕がいちばん楽しみに読んでいる漫画でもある。

いつだったかの会議のなかで、逆転クラブの名前が出た。なんと、かつて駒込に住んでいたことがある左近さんも逆転クラブが大好きなのだそう。そしてまた、都酒伝説ファイルの第1話で僕が初登場するシーンのセリフは「ご安心を…一発逆転ならすでに始まっている…!!」だ。なにやら運命を感じ、結果的に、作中で3人が会議をする事務所を、逆転クラブに間借りしている設定にしようという話になった。

善は急げで編集さんと作者陣で店に行き、飲みながら事情を説明すると、マスターは大喜びで「なんでも好きに描いてよ!」と言ってくださった。同時に「嬉しいな〜、僕、自分の人生を漫画にしてもらうのが夢だったんだよ」とも言っていて、若干の勘違いをさせてしまった不安もあったが、そのへんの大らかさも含めてマスターらしいなと、心のなかでほほえみつつそれ以上はなにも言わないでおいた。

そんなマスターが体調を崩されたと聞いたのは2024年のこと。無事完成した単行本の第1巻をお持ちしたときも、ちょうどタイミングが合ってお顔を見ることができたけど、病院帰りとのことで、少ししかお店には立たずに帰ってゆかれた。これから少しずつ元気になって、またバリバリ働くためのリハビリのような感覚だったのかもしれない。ただ、僕が会えたのはそのときが最後で、昨年の5月、マスターは亡くなってしまった。

あのマスターにもう会えないなんて。もっとくだらないシーンでも漫画に登場してもらって、それを見て笑ってもらうことができないなんて……と考えると、ただ悲しい。

しかしさすがは逆転クラブ。それで閉店してしまわなかったのは、昨今の飲食業界の状況を考えても本当にすごい。現在も店は続いていて、ルビーさんと、もともと常連だった直子さんという方のふたり体制で営業している。

直子さんはマスターと仲が良く、亡くなる少し前のある日、一緒にカレー屋さんでランチを食べながら「あの店、なくしたくないんだよな。自分の魂を残したくて」という話を聞いたそう。直子さんも同じ気持ちで、最初は週に何日かでも手伝えたらという気持ちだったそうだが、その後あっという間に亡くなってしまったマスターの意思を継ぎ、ルビーさんとともにお店のなかの人になってしまった。

店内は以前よりほんの少しだけ落ち着いた雰囲気に改装され、立ち飲みから10席ほどの座れるカウンター酒場に進化していた(これもマスターの希望だったそう)。が、確実にマスターの意思は生きていて、なにを頼んでも安くてうまく、良い常連さんたちが作る空気感が最高の店だ。ハンバーグも「逆転のデミソースお月見ハンバーグ」として形を残している。そしてなにより、ルビーさんと直子さんの明るい人がらが、新しい逆転クラブを他にはない魅力的な空間にしている。

先日も編集さんや左近さんらと訪れ、相変わらず「ホッピーセット(白)」(税込500円)をぐいぐいやりつつ、「きゅうりの塩こんぶあえ」(450円)「とり皮と長ネギ炒め」(550円)、「とりもも肉のグリル」(750円)などを食べては、一つひとつの美味しさに驚いた。特に鶏ももは、例の巨大グリルでパリパリジューシーに焼き上げられた肉が食べやすくカットされ、色とりどりの野菜とトマトソースとともに、ワンプレートで出てくる。そのボリューム感と美しさに、またまたマスターを思い出してしまうのだった。まだ店が再開して1年ほどのはずなのに、こんな料理を手際良く作れてしまう直子さんって、何者なのだろうか……。

新体制になってから行くのが初めてだった日は少し緊張感があったけど、壁に都酒伝説ファイルにマスターが登場するページの切り抜きが貼られているのを見て、少なくとも迷惑ではなかったのかな、と勝手にほっとした。

逆転クラブのトイレのドアには、お店のオープン時にマスターが書いたこんな言葉が貼ってある。

逆転とは何事にもへこたれない事
人のやさしさに気づく事
己の命を活かす事
逆転クラブ

強く肝に銘じ、これからも楽しく酒を飲んでいきたい。

*       *       *

『酒場と生活』毎月第1・3木曜更新。次回第24回は2025年5月15日(木)17時公開予定です。

筆者について

パリッコ

1978年、東京生まれ。酒場ライター、漫画家、イラストレーター。酒好きが高じ、2000年代より酒と酒場に関する記事の執筆を始める。著書に『酒場っ子』『つつまし酒』『天国酒場』など。ライター、スズキナオとのユニット「酒の穴」名義をはじめ、共著も多数。

  1. 第1回 : 秋津「もつ家」の「モツ煮込み」
  2. 第2回 : 大泉学園「あっけし」の「火の鳥」
  3. 第3回 : 西荻窪「をかしや」の「練り切り」
  4. 第4回 : 赤坂「赤ちょうちん ぶらり」の「角こんにゃく」
  5. 第5回 : 新宿「モモタイ」の「ミニカオマンガイ」
  6. 第6回 : 池袋「梟小路」の「天ぷらそば」
  7. 第7回  : 上井草「やしん坊」の「馬さし」
  8. 第8回 : 大阪・鶴橋「よあけ食堂」の「エビエッグ」
  9. 第9回 : 京都・西大路御池「髙木与三右衛門商店」の「国産牛モモビフカツ」
  10. 第10回 : 大阪・新大阪「松葉」の「串かつ」
  11. 第11回 : 大門「ときそば」の「辻がそば」
  12. 第12回 : 荻窪「カッパ」の「ゾートゥー」
  13. 第13回 : 三軒茶屋「ebian」の「メンチ」
  14. 第14回 : 和光市「濱松屋」の「肉汁ハンバーグ」
  15. 第15回 : 立石「ゑびす屋食堂」の「生揚げ煮」
  16. 第16回 : 青井「橙橙」の「鯛のうす造り」
  17. 第17回 : 吉祥寺「戎ビアホール」の「エルビスサンド」
  18. 第18回 : 保谷「丸越」の「ソーセージ入りおにぎり」
  19. 第19回 : 神田「鶴亀」の「ニラモヤシ」
  20. 第20回 : 名古屋・伏見「大甚本店」の「煮アナゴ」
  21. 第21回 : 小田原「潮若丸」の「湘南しらすせんべい」
  22. 第22回 : 上石神井「なすの」の「レバ刻みネギ塩」
  23. 第23回 : 駒込「逆転クラブ」の「とりもも肉のグリル」
連載「酒場と生活」
  1. 第1回 : 秋津「もつ家」の「モツ煮込み」
  2. 第2回 : 大泉学園「あっけし」の「火の鳥」
  3. 第3回 : 西荻窪「をかしや」の「練り切り」
  4. 第4回 : 赤坂「赤ちょうちん ぶらり」の「角こんにゃく」
  5. 第5回 : 新宿「モモタイ」の「ミニカオマンガイ」
  6. 第6回 : 池袋「梟小路」の「天ぷらそば」
  7. 第7回  : 上井草「やしん坊」の「馬さし」
  8. 第8回 : 大阪・鶴橋「よあけ食堂」の「エビエッグ」
  9. 第9回 : 京都・西大路御池「髙木与三右衛門商店」の「国産牛モモビフカツ」
  10. 第10回 : 大阪・新大阪「松葉」の「串かつ」
  11. 第11回 : 大門「ときそば」の「辻がそば」
  12. 第12回 : 荻窪「カッパ」の「ゾートゥー」
  13. 第13回 : 三軒茶屋「ebian」の「メンチ」
  14. 第14回 : 和光市「濱松屋」の「肉汁ハンバーグ」
  15. 第15回 : 立石「ゑびす屋食堂」の「生揚げ煮」
  16. 第16回 : 青井「橙橙」の「鯛のうす造り」
  17. 第17回 : 吉祥寺「戎ビアホール」の「エルビスサンド」
  18. 第18回 : 保谷「丸越」の「ソーセージ入りおにぎり」
  19. 第19回 : 神田「鶴亀」の「ニラモヤシ」
  20. 第20回 : 名古屋・伏見「大甚本店」の「煮アナゴ」
  21. 第21回 : 小田原「潮若丸」の「湘南しらすせんべい」
  22. 第22回 : 上石神井「なすの」の「レバ刻みネギ塩」
  23. 第23回 : 駒込「逆転クラブ」の「とりもも肉のグリル」
  24. 連載「酒場と生活」記事一覧
関連商品