『日本エロ本全史』『日本AV全史』など、この国の近現代史の重要な裏面を追った著書を多く持つアダルトメディア研究家・安田理央による最新連載。前世紀最後のディケイド:90年代、それは以前の80年代とも、また以後到来した21世紀とも明らかに何かが異なる時代。その真っ只中で突如「飯島愛」という名と共に現れ、当時の人々から圧倒的な支持を得ながら、21世紀になってほどなく世を去ったひとりの女性がいた。そんな彼女と、彼女が生きた時代に何が起きていたのか。彼女の衝撃的な登場から30年以上を経た今、安田理央が丹念に辿っていきます。(毎月第1、3月曜日配信予定)
※本連載では過去文献からの引用箇所に一部、現在では不適切と思われる表現も含みますが、当時の状況を歴史的に記録・検証するという目的から、初出当時のまま掲載しています。
2009年3月1日に「お別れの会」が催されて飯島愛急死という事件の報道も一区切り、とはいかなかった。
飯島愛とファンとの唯一の接点となったブログ『飯島愛のポルノホスピタル』には彼女の死後もコメントが書き込まれ続けた。
〈さみしくてね、ねむれなくてね、ごはんも食べられないんだぁ。愛さんもこんな気持だったのかな〉〈アタシは、嘘つきなんだ。アタシに生きてる価値なんて、あると思う? 最低だよ〉
〈辛いよ。酷すぎるよ。淋しいよ。愛ちゃん、どうしたらいいの?〉
飯島愛さん(享年36)が亡くなって2ヶ月。いまだに彼女のブログには数分おきにファンからのコメントが書き込まれている。
12月5日に書き込まれた彼女の最後の言葉に寄せられたコメントは、なんと約4万8千件!
愛さんの死を悼むためにというよりは、彼女に会いにきて、悩みを相談したり、語りかけるなど、あたかも〝聖地〟のようになっている。(『女性自身』2009年3月10日号)
飯島愛は、単なるタレントの枠を超えて女性たちに慕われ、心の支えとなる存在となっていたのだ。
それはAV女優として、そして深夜番組でTバックのヒップを見せつけるお色気タレントとして彼女が登場した時には、想像もつかないことだった。
ブログ『飯島愛のポルノホスピタル』は、彼女の死後7年間に渡り、そのままの状態で継続され、書き込まれたコメントは、約7万1千件以上になっていた。
女性たちのコミュニティ
飯島愛の43回目の誕生日にあたる2015年10月31日にブログが閉鎖された際も、多くのメディアで報道された。
この「ポルノ・ホスピタル」の閉鎖が9月18日に発表されてからは、ファンの惜別の声も急増している。
〈このブログに、愛チンの言葉に、沢山救われました。背中を押してもらったり…元気をもらったり… 閉鎖される日まで、愛チンの言葉をもう一度読み返します〉
実は、これまでブログを管理し続けていたのは飯島さんの両親だったという。ブログを続けてきた理由、そして今回、閉鎖を決断した理由について、飯島さんの父は本誌に次のように語った。
「娘が亡くなった後も、ブログを続けてきたのは、私の考えでした。すぐにブログをなくしてしまうのは、(娘が)かわいそうという気持ちもありましたし、ファンの方々から『愛さんのブログをやめないでください』といった手紙も来たりしていましたからね」
(中略)「私も70歳を超えました。万が一何かあったら、逆に皆さんにご迷惑をかけてしまいます。元気なうちに区切りをつけなくてはと考えたのです」(『女性自身』2015年10月13日号)
飯島愛が急死した数箇月後には、『飯島愛孤独死の真相 プラトニック・セックスの果て』(田山絵理 双葉社)や『独りぼっち 飯島愛36年の軌跡』(豊田正義 講談社)のような、彼女の人生や死に至った理由などを追った本が何冊も刊行されたのだが、そんな中に『飯島愛~ここにいるよ~』(文月みほ オークラ出版)という一冊がある。
これは生前の飯島愛の著書やブログに書かれた文章から抽出された61の「名言」を左ページに、著者・文月みほによる言葉が右ページに書かれているという構成で、おそらくブログにコメントを書いたような女性たちを読者対象に企画された一冊だろう。
Amazonのこの本のレビューには、こんな文章が書かれている。
愛さんのメッセージは自分や他の女の子に向けられたものですが、どれも彼女らしい。
主張するんだけど、どこか優しくてどこか弱い。
しかしだからこそコチラの心にも入ってくる。
(中略)若い女性、特にお水系で働いている女性にお勧めします。(レビュアー:さいばー)
メジャーでありながら、弱さも、どこかだらしないところまでも見せてしまうというスタンスを取る女性タレントはそれまで存在しなかった。そこに自分と同じ匂いを嗅ぎ取った女性たちは強烈なシンパシーを彼女に寄せた。飯島愛を中心として、ある種の女性たちによるコミュニティが形成されていたのだ。
「裏の世界」という欲望
その一方で、飯島愛の衝撃的な急死に対して事件性を疑う姿勢での報道も続いていた。彼女の行動、特に引退後には、危うい人間関係が垣間見られたこともあり、そこを追求するのは、怖いもの見たさの好奇心による部分もあっただろう。
『週刊大衆』2010年10月1日号には「飯島愛 怪死の真相と戦後最大の脱税事件」なる記事が掲載されている。
大手人材派遣会社グッドウィル・グループ(現テクノプロ・ホールディングス)による投資ファンドの巨額脱税事件の容疑者の公認会計士が海外逃亡を図ったが韓国で逮捕されたという内容なのだが、飯島愛が引退後に立ち上げようとしていた女性のためのアダルトグッズネットショップのスポンサーがその会計士と関係があった、というだけの話で、よく読めば飯島愛はこの事件にはほとんど関係がなく、「怪死の真相」には程遠い内容なのだ。
しかし飯島愛の周囲には、こうした「危ない」人物の名前が数多く見受けられたため、記事にするにはネタは事欠かなかったようだ。
特にご執心だったのは、裏社会ネタを得意とする『実話ナックルズ』(ミリオン出版、大洋図書)だ。急死以後に飯島愛を取り上げた記事のタイトルを並べてみよう。
「死を宣告されたタレント 飯島愛が最期に見せた形相 陰鬱な表情で何かを見つめる目は生気を失っている!」(2009年3月号)
「飯島愛 『エイズ苦にして薬物過剰摂取』の真偽 綾瀬コンクリ事件関与・ドラッグ常習・株売買で闇社会とトラブル…様々な黒い噂に包まれた彼女の〝死の真相〟とは」(2009年3月号)
「飯島愛その死の秘密 『飯島人脈』の中からある人物の名前が浮上した…!』(2009年4月号)
「飯島愛 最後の真実 未だ解明されない怪死の原因 本当の死因は『あるモノ』の使用によるオーバードーズ(薬物事故)だった!?」(2009年12月号)
「最後の告白 飯島愛と大久保松恵 綾瀬コンクリ殺人事件関与説、怪死の謎、ヤンキー時代…高校時代の〝親友〟がすべてを語った」(2010年2月号)
「飯島愛と有名モデル 死の怪しき接点」(2011年10月号)
「飯島愛の親族に払われた2億5000万円の謎 その金額は何を意味するのか 『ビデオテープを譲ってくれ』執拗にせまっていた疑惑の男とは…」(2012年10月号)
「私はあの怪死女優I・Aにシャブを売った 『東京だと今ヤバいから』そういってやってきたI・Aとホテルでシャブを打ちセックスまで…」(2013年9月号)
「飯島愛 死のウラで起きていた〝ドロ沼略奪愛〟結婚を誓った彼氏を奪ったのは、あのスキャンダル女優」(2014年4月号)
「元裏ビデオ業者が爆弾証言 飯島愛〝伝説の裏ビデオ〟はキメセクだった 『レイプされているのに気持ちいい』 まさかASKAともこんなセックスを」(2014年8月号)
「爆弾告発!『飯島愛はあの大物タレントに殺された」(2015年2月号)
「飯島愛『書籍から消された30ページ』スクープ入手」(2015年9月号)
「業界関係者は見た 飯島愛を喰った〝死の商人〟の正体 この男は別の元モデルの怪死にも…(2016年9月号)
「飯島愛怪死の裏に謎の男A 浮上した最後の新事実 〝志村けんのパトロン〟を名乗り近づいた実業家、その正体は」(2020年12月号)
さすがに他誌もあまり取り上げなくなっていた2011年以降も、年1回のペースで記事にしているのだ。「飯島愛の急死の背景」という題材は、「裏社会」的な話題を好む人々に興味を持たれ続けていた。
そして、現在でも飯島愛の名前をネットで検索すると、その死が「ある勢力によって消されたのだ」と主張するSNSへの書き込みやブログの記事、YouTube動画などが数多くヒットする。
特に2021年に都内の自宅で自ら命を絶ったとされる俳優の三浦春馬と共に語られることが多い。事件性は確認されず、警察は自殺と断定したが、仕事的にも順調であり、その死があまりにも突然であったことから、彼が自殺したということに疑問を持った人も少なくなかった。その死の1年後から、三浦春馬の死因について再捜査を求めるデモが始まり、2025年の現在でもその活動は続いている。
2人とも同じ霊能者によってその死が予言されていた、どちらも急死したマンションが大手事務所と関係がある、エイズ啓蒙活動をしていた……などという共通点から、同じように「消された」のだと語られているのだ。その「消された」理由としては、芸能界の闇に触れてしまったという説から、某宗教団体、CIA、イルミナティまでが登場する説まで様々である。
自分は何が欲しいのか?
90年代初頭に「その年に最も売れた超人気AV女優」として登場し、「深夜番組で話題のお色気タレント」「元祖コギャルのカリスマ」として知名度を高め、時には「パソコンに詳しいサイバーアイドル」の役割も担う。そして「本音で話す姿勢が支持されてバラエティ番組で大活躍する人気タレント」として世間に認知される。
00年代に入ると「ベストセラー作家」となり、「新しいタイプの女性の代弁者」「少し変わったスタンスの文化人」としてもてはやされる。
さらには突然の引退からの急死により、タレント仲間から良い思い出を語られると同時にスキャンダラスな背後関係を疑われ、いつのまにか「ある勢力の犠牲者」として祭り上げられ、今もその死の謎が密かに語られ続けられる。
飯島愛ほど様々なスタンスで報道されてきたタレントも少ないのではないか。そしてその変化を観察していくと、それはそのまま90年代から00年代にかけての日本の社会の変化を映し出しているように思えるのだ。
逆に言えば、飯島愛という1人のタレントは常に時代の、ある一面の象徴としての役割を担わされ続けて来たのではないか。
それは、メインストリームとは異なる場所で生きる人々の声であり、表には見えにくい社会の歪みでもあった。彼女の存在と、彼女を巡る報道は、時代の一断面を映し出す鏡であり続けている。
デビュー時から「自分は何もできない」「何の才能もない」と繰り返し語ってきた彼女だからこそ、時代の空気を映し出される媒体としては絶好の素材だったのかもしれない。
2003年に発売された3冊目の著書『生病検査薬≒性病検査薬』(朝日新聞出版)は、こんな文章で締めくくられている。
自分が何をしたらいいのか?
わからないことは聞いてみればいいけど、自分が何をしたいのか? わかっているはず。
現実の自分にNoと言える勇気と現実の自分にYesと言える勇気。
私が楽しければ、それはいつの日も正解。
自分がしたいコトは何か? 何になりたいのか? 何が欲しいのか?
私は、恋をして、幸せになりたい。そしたら子供が欲しい。
明日もがんばらんとな~。
飯島愛が本当にやりたかったこと、本当に欲しかったものは、何だったのだろう。
(了)
※本連載は大幅に加筆の上、今秋単行本刊行予定です
筆者について
やすだ・りお 。1967年埼玉県生まれ。ライター、アダルトメディア研究家。美学校考現学研究室卒。主にアダルト産業をテーマに執筆。特にエロとデジタルメディアの関わりや、アダルトメディアの歴史の研究をライフワークとしている。 AV監督やカメラマン、漫画原作者、イベント司会者などとしても活動。主な著書に『痴女の誕生―アダルトメディアは女性をどう描いてきたのか』『巨乳の誕 生―大きなおっぱいはどう呼ばれてきたのか』、『日本エロ本全史』 (以上、太田出版)、『AV女優、のち』(KADOKAWA)、『ヘアヌードの誕生 芸術と猥褻のはざまで陰毛は揺れる』(イーストプレス)、『日本AV全史』(ケンエレブックス)、『エロメディア大全』(三才ブックス)などがある。