ライターと酒飲みの先輩であるとみさわ昭仁さんがたまたま同じ日に大阪に来ていて、目当ての店があるという。噂によく聞いていた大阪の有名店だ。まだ行ったことがなかったのでこれは大チャンスとばかり一緒に飲みに行くことに。最近は行列が絶えないその店で、店員さんには40分は待つと言われていたのに、なんと10分もかからずに席へと案内してもらうことができた。
9月の関西飲み遠征旅2日目。宿で目を覚まし、シャワーを浴び、急ぎだった原稿をひとつ書いた時点で時刻は午前11時ごろ。早くも居ても立っても居られなくなってきた。荷物をまとめて街へくり出そう。もちろん、酒を飲むために。
この日の予定は、夕方までに大阪から京都へ移動し、トークイベントに出演するのみ。開始も遅めだから、それまでは自由時間だ。また、奇遇にもライターと酒飲みの先輩であるとみさわ昭仁さんも、この日の夕方から大阪でトークイベントに出演するらしく、事前に「タイミングが合えばどこかで乾杯しない?」と連絡をいただいていた。とみさわさんは娘さん(成人済)とふたり、大阪で早めの時間から飲み歩いていて、しかも目当ての店のひとつが京橋の「とよ」だそう。
とよはかなりの有名店で、僕はまだ行ったことがないものの、噂にはよく聞いていた。しかも京橋といえば、僕が今いる場所の最寄り駅。これは大チャンス! とばかり、駅へと向かいながらとみさわさんに連絡する。
タイミング良くとみさわさん親子と合流できたのが昼過ぎ。とよの開店まではまだ小一時間あるが、まずは一度様子を見にいってみようと店の前まで行ってみる。するとすでに開店待ちの行列が。そう、とよは大人気店で、この日合流する予定のスズキナオさんからも、「最近の人気はすごく、簡単には入れないかもしれません」と聞いていた。僕もとみさわさんも行列は苦手なタイプで、かつ、とよには行きたいけれども、それよりも今はさっさと酒が飲みたいという思いを同じくしていた。そこでいったん駅前の飲み屋街へ戻り、以前も行ったことのある好きな店「赤のれん」で乾杯することに。
やがて合流したナオさんとともに、赤のれんの安くてうまい料理をつまみに飲んでいると、「もうず〜っとここでいいよね」となってしまうのは酒飲みあるある。だがせっかくの大阪だ。とよの開店から約1時間後の午後1時ごろ、我々はもう一度だけ、ダメ元で様子を見にいってみることにした。
ふたたびとよの前までやってきてみると、やはりまだ行列は途絶えていない。店員さんに聞いてみると、おそらく40分くらいは待つだろうとのこと。僕とナオさんはこのあと京都へ行かなくてはいけないから、これは悩みどころだ。が、その横で行列の人々は、意外とスイスイ前に進んでいるようにも見える。ここまできてあれこれ悩むくらいなら並んでみましょうか! と、意見が一致し。行列に加わることに。するとタイミングが良かったのか、なんと10分もかからずに席へと案内してもらうことができた。諦めないで良かった……。

とよは、京橋の飲み屋密集地帯とは少し離れた路地にある、かなり特殊な屋台酒場。道沿いに立ち飲みテーブルがずらりと並び、その上に簡易的な屋根があるのみ。そもそも店のなかと外を仕切るという概念がないような空間で、しかも裏手は墓地という、なかなかにディープなシチュエーションだ。そこに、ぎゅうぎゅうに人がひしめきあってみな幸せそうに飲んでいる。
名物はまぐろを中心とした海鮮系のつまみで、種類はそんなに多くない。そのなかでまず頼んでおけば間違いないのが「おまかせ3点セット」。「赤身盛り」(税込2,145円)、「トロ盛り」(2,640円)、「大トロ盛り」(3,025円)の3種類があり、どれもひと皿でかなりの量があるそうなので、トロ盛りをひとつ注文。
ところで関西にはたっぷりの氷が入った冷蔵ケースに瓶ビールなどの飲みものを直接入れて冷やす「どぶづけ」という文化がある。そしてとよのどぶづけケースには、僕の大好物であるタカラ「焼酎ハイボール」(451円)の業務用瓶があった。なんて嬉しいことだろう。それを自分たちでとってきて、いざ乾杯!
屋外だから当然暑いが、だからこそキンキンのチューハイがうまい。すぐにやってきた3点セットの内容は、貝とカニの酢の物、それから、いくらがあふれんばかりの、というかもはや巻ききれなくて上にどさどさとかけてある細巻き寿司、そしてぶ厚く巨大な中トロの刺身が5枚。
まずは手始めに、というくらいの気持ちで、酢のものを口に運んで衝撃を受けた。「貝とカニ」言われているんだから当然なんだけど、ジューシーなかにの身肉とゆでたほたてがたっぷりで、口中に広がるぜいたく感がすごすぎる。長めにカットされた細ねぎとの相性もよく、これは日によるのかもしれないけれど、ちらほらとうにまで入っている。酢のものと名のつく料理に、こんな大ごちそうがあったなんて……。
続いてまぐろ。きめ細やかに脂がのり、陽光に照らされて桃色に輝くそれは、1枚が一般的な刺身の3〜4枚ぶんはありそうだ。せっかくの機会だからと、醤油をつけてえいやっとひと口でほおばってしまうと、とろける脂とともに自分までとろけてしまいそう。いくらの巻き寿司もこれまたすさまじく、行列の理由をこれでもかと思い知らされた。
とよのもうひとつの看板メニューが「まぐろ頬肉のあぶり」(660円)。これは、単体の料理としてはもちろん、ご主人がそれを作りあげる工程まで含めてが名物と言える。
少し離れたテーブル席でごきげんに飲んでいると、ご主人のいる調理ブースの周囲が突然ざわつきはじめた。ナオさんいわく「これからまぐろの頬肉を炙るんでしょう」とのことで、見にいってみる。
コンロの上の焼き網に、ごろごろとカットされたまぐろ肉。そこへご主人がおよそ調理器具とは思えない強力なバーナーでゴーッ! っと炙りを入れてゆく。驚くのはその次で、ご主人は横にある氷がたっぷり入ったバケツに右手を突っ込むと、左手でまぐろを炙りながら、素手で網の上のまぐろをつかみ、上下をまんべんなくひっくり返していくのだ。どう見ても、手まで焼けているように見えるんだけど……。
しばらくその動作をくり返して焼き上がると、ご主人は周囲の客に向かってポーズを決める。大歓声が上がり、いっせいにスマホやカメラがそこに向けられる。これはもはや、エンタテインメントショー。ご主人の、うまいものを安く、そして楽しくお客さんに楽しんでもらいたいという気持ちから生まれたのだそうで、こんなショーが1日に何度も行われているなんて、大阪はやっぱりすごい街だ。いや、なかでも特別、とよのご主人はパワフルすぎるかもしれないが。
というわけで我々もありつくことができた炙りたてのまぐろは、これまたひとつひとつが豪快なサイズで、身はふわりと柔らかく、炙りたての表面のがつんとした香ばしさがたまらない。
こんなにも興奮と笑いの絶えない時間を過ごすことができる酒場はそうそうないだろう。誘ってくれたとみさわさんに感謝しつつ、名残惜しくもここでお別れし、僕とナオさんは京都へと向かうのだった。

* * *
『酒場と生活』毎月第1・3木曜更新。次回第34回は2025年10月16日(木)17時公開予定です。
筆者について
1978年、東京生まれ。酒場ライター、漫画家、イラストレーター。酒好きが高じ、2000年代より酒と酒場に関する記事の執筆を始める。著書に『酒場っ子』『つつまし酒』『天国酒場』など。ライター、スズキナオとのユニット「酒の穴」名義をはじめ、共著も多数。