大阪に移り住んで長くなった。遠くから来た友達をどこへ案内するかということに、自分が大阪のどんな部分に魅力を感じているかが表れる。案内する相手の好みを考慮したり、時間の猶予や移動できる範囲など条件によって変わってくるが、「今まで自分が大阪でどんな経験をしてきたか」が案内役には問われることになる。少し緊張するが、楽しみな機会だ。
グランシャトーに行くという選択肢が、急に自分の人生に現れた
東京から友達が泊まりに来るので、掃除機をかけていた。ついついテーブルや床に積み重ねてしまいがちな本や書類をまとめて片付け、横になってもらえそうなスペースを確保する。夏はとにかく暑く、冬は冷える部屋なのが申し訳ないが、寝袋を持ってくると言うし、エアコンはあるからなんとかなると思いたい。3泊していくというので、途中で体調を崩さないといいのだが。
その友達はパリッコさんという人で……と、説明するのも今さらという気がするが、いつどこでどんな人がこの文章を読んでくれるかわからないから書いておきたい。パリッコさんは東京に住むライターで、私が初めて会ったときから数えると、もう少しで20年の付き合いになろうかという人である。その頃は私も東京に住んでいて、自分がやっているバンド活動と、パリッコさんの音楽活動とに接点があって出会い、たまに一緒に飲むようになって、当初はお互い会社員だったのが、それぞれライターとして活動することになった。
私が大阪に引っ越してからもやり取りは続き、というか、むしろそれからのほうが、対談形式で一緒に原稿を書いたり、共著という形で本を作ったりと、密に連絡を取り合うようになった気がする。今回、パリッコさんが大阪に来るのも、『酒のほそ道』という長寿マンガの作者であるラズウェル細木さんの本に、私とパリッコさんが関わり、その刊行記念のイベントが開催されるからなのである。
しかも記念イベントは1回だけでなく、京都と大阪の3会場で、3日連続で開催されることになっていた。そこに出演するというメインの目的があってこそのパリッコさんの来阪なので、気ままにどこかに出掛けたりすることはできず、慌ただしいスケジュールになることはわかっていたが、それでも、空いた時間があれば大阪の街を案内したいと思っていた。
これは大阪に移り住んでしばらくしてわかったことだが、遠くから来た友達に、たとえば「どこか面白いところがあったら連れて行って」と言われたとして、どうしようかと考えるときにふと気づくことがある。どこを案内するかということに、自分が大阪のどんな部分に魅力を感じているかが表れると思うのである。もちろん、案内する相手の好みを考慮したり、時間の猶予や移動できる範囲など、条件によってその都度結果は変わってくるのだが、「今まで自分が大阪でどんな経験をしてきたか」ということが、案内役には問われることになる気がする。少し緊張するが、楽しみな機会でもある。
今回の日程のなかにも、そんな機会が少しだけあった。私の住まいは大阪市の北部にある繁華街、京橋から遠くない場所にある。今回、どこへ移動するにもとりあえずはJR京橋駅を起点にすることになったのだが、たとえば昼過ぎに少しだけ空き時間ができたとして、一杯か二杯、さっと飲んでいけるような店まで案内することになる。パリッコさんはだいたいどんな店でも喜んでくれる人なのだが、自分なりにいいタイミングでちょうどいい場所に連れて行けたりすると、うれしくなる。「京橋は本当に面白い街ですね!」と言われようものなら、「でしょう! 東京にはなかなかこんなところはないでしょう!」と誇らしくもなる。
そんなふうにして私の好きな店に案内した場面もいくつかあったのだが、しかし、パリッコさんは独自の視点を持って店を選び、飲み歩き、文章を書いている人である。そんな人だから、当然、あちこちにアンテナを伸ばしていて、「あの店、よさそうですね!」と、私が今まで気にも留めてなかった店を指差すこともある。友人が自分の街のどこを面白がるか、ということが、私にまた色々なことを教えてくれる。
パリッコさんが大阪に来て3日目の朝、テーブルに置いたノートパソコンの画面を眺めながら「グランシャトーのサウナ、平日なら50分800円らしいですよ。よくないですか?」と言う。グランシャトーは京橋駅前に建つ商業ビルで、1971年にオープンした。同じ建物の中にサウナもあればレストランも大型キャバレーもあり、“レジャービル”という、すでにその言葉自体が旧時代的なものになっている気もするが、そう呼ばれるようなビルのひとつである。
“京橋は ええとこだっせ グランシャトーが おまっせ”(作詞・作曲:不詳)という歌が流れるCMが有名で、幼少期を大阪で過ごしたわけではない私も、なぜか知っている。ローカルCMの代名詞としてテレビで取り上げられたりしていたのかもしれない。それこそ、大阪出身の人で、その歌をまったく知らないという人はかなり少ないようだ。今もグランシャトーのビルの前では、古びたスピーカーから延々とその歌が流れている。
京橋駅を降りたらすぐ見えるグランシャトー。屋上あたりにとんがり屋根の立体看板が設置されている。ザ・昭和という雰囲気のレジャービル、グランシャトー。
「ああ、グランシャトー。たしかにサウナがありますね……」と、私はパリッコさんに向かってぼーっとした言葉を返す。グランシャトーには行ったことがないし、あのビルのサウナを利用してみようとは考えたこともなかった。あまりに当たり前過ぎる存在で、まったく意識のなかになかったというか……。しかし、50分800円ほどの料金で入れるのなら、行ってみるのも面白いかもしれない。
そのように、パリッコさんから言われて初めて意識にのぼることがたくさんある。グランシャトーに行くという選択肢が、急に自分の人生に現れた。しかし、よく調べてみると、そのリーズナブルな料金設定は平日限定とのこと。その日は日曜だったので、翌日の月曜日に行けたら行くということに、一旦なった。
「じゃあ今日はどうしましょう。とりあえず京橋駅まで行ってみますか」と、そう決まり、駅までの道を歩く。日本に寒波が近づいていたときで、大阪の街にも雪がちらついている。

「ここで飲めば飲むほど高い店に行った世界線の飲み代が浮いたことにする」という理論
駅前までやってきて、うどんを食べて行こうということになった。居酒屋とイベント会場を渡り歩いているばかりで、考えて見ればここ数日、まともな食事をしていなかった。「ゑびすうどん」という店の、屋外のテーブル席をビニールシートで覆った場所で、うどんを食べた。二日酔い気味だったが、私も結局、缶チューハイを飲んだ。パリッコさんはうどんではなく、スープが真っ赤なピリ辛ラーメンを食べていた。

「いやー、うまかったなー!」とパリッコさんも無事にお腹が満たされたようで、その店を出ると、すぐそこにグランシャトーがあった。「ほら、これがグランシャトーですよ」と近寄ると「グランシャトーが おまっせ」とあの歌が聴こえる。「おまっせ」という言葉が面白くなって、ふたりで「おまっせ」「おまっせ」と言いながらふざけて歩く。
グランシャトーの1階部分は「パチンコグランシャトー」というフロアになっていて、2階は「ゲームポイント シャトーEX」というゲームセンターだ。1階の外には色々な景品の入ったガチャガチャが何台か設置されていて、なんとなく、その前で足を止める。「今のガチャガチャって変なのばかりあって面白いですよね」「ね。これ、なんですか?『ポップコーンくま』って。ポップコーンみたいなクマか」と、酔狂でひとつ買ってみようかと財布のなかを見たが、小銭がない。
2階のゲームセンターへと続く階段前にはクレーンゲームの筐体(きょうたい)がいくつか置かれていて、その脇に両替機があった。1000円札をすべて100円玉に替え、クレーンゲームをふと見ると、『ジョジョの奇妙な冒険』の第4部の主人公・東方仗助のフィギュアが景品になった筐体があった。パッと見にもその箱は大きく、箱の表の写真からして、作りも精巧そうである。

200円で1回、500円で3回チャレンジできるらしい。「ちょっとこれ、やってみます!」と、私は100円玉を5枚入れ、クレーンを操作する。なんだか取れそうな気がした。「まじっすか! やるんですか」とパリッコさんが笑っている。
クレーンがフィギュアの入った箱を、思ったよりしっかりと持ち上げる。箱の下には横棒が何本か渡してあり、その隙間に箱を落とせば、フィギュアが自分のものになるわけだ。このぐらいの強さで動くなら、何回かやっていたら、うまく落とせそうな気がする。私の番はあっという間に終わり、それを見ていたパリッコさんも挑戦することになった。

パリッコさんのクレーン操作が絶妙で、最初は我々に向かって縦に置かれていた箱が、斜めに大きく傾いた。「やば! これ、もうちょっとで落ちません?」「ね! あとちょっとでしょ、これ」と胸が高鳴る。こうなってくるとあとに引けなくて、これがギャンブルにハマる入口であることが、浅い経験しかない私にもわかる。
パリッコさんの3回も終わり、今度はまた私が3回挑戦して、パリッコさんがまた3回やって、これでもうふたりで2000円も使ってしまっている。じわじわと「ここまでお金を使って何もなしに帰るわけにはいかない」という考えが頭を占め始める。「貴重な時間を使ってこんなところで何やってるんだろう」と思いもするが、このようなときにしか味わえない開放感もある。何回も何回もやったので、箱が真横に近い位置になり、こうなると、逆にもうどうすることもできないことがわかってきた。

ふたりともシーンと黙り込み、静かにその場を離れた。「これだけ頑張ったのに何も得てないよ!」とパリッコさんは「EASY台」という札のついた別の筐体へ向かい、そこでもチャレンジしたが景品を取ることはできなかった。ちなみにその台は、“カニの爪を模した持ち手の先に、カニの身を模したハタキがついていて掃除ができる”というグッズが景品だった。取れたとしても、それを一体どうするんだ、というようなものを狙い、しかも取れない。この謎の時間。
激安の立ち飲み屋に入り、「ここで飲めば飲むほど高い店に行った世界線の飲み代が浮いたことにする」という理論によって自分たちを慰めた。
自分で知ってきた大阪は、結局は私が選びやすいものを選んだ集積でしかない
その日のそのあとの予定も、メインの刊行記念イベントも無事に終わり、あっという間にパリッコさんの滞在最終日となった。午前中、またも京橋駅前まで歩いてきて、どこかで朝ごはんを食べようということに。
ビギン京橋という、京橋駅周辺でもいちばん生活感の漂う商店街をふたりで歩く。この日は平日だったからか、八百屋で野菜を見ている人、豆腐屋で豆乳を買って飲んでいる人、雑貨店の軒先をじっと眺めている人などがいて、“大阪の日常”という感じだ。
しかし、どこか間延びした静かな空気の漂うアーケード街を歩くうちにも、パリッコさんはあちこちに気になるものを見つけて忙しいようだ。

商店街のなかほどに精肉店があって、精肉店なのに、店の一隅にフィギュアが高く積み上げられている。「なんですかこれ!」とパリッコさんが言うが、私はその店で肉類を買ったこともなく、というか、何度も歩いたはずのこの商店街で、その店に目を留めたのは今が初めてだという気がした。

積み重なったフィギュアの箱を見ていくと、昨日、私たちが結局取れなかったジョジョの東方仗助(ひがしかた・じょうすけ)の箱も並んでいる。「あ、あれもありますよ!」と私。「なんなんだろう、この店、ちょっとコロッケ買いがてら聞いてみていいですか?」とパリッコさん。
軒先のテーブルに並べて売られていたコロッケを買い、現れた店主に、パリッコさんが「あれってご自分で取られたものなんですか?」と聞く。私はおそるおそる、その後ろに立っていた。
そこから聞いた話が面白くて、店の主人は、精肉店を営む傍ら、趣味でクレーンゲームをやっている。趣味は本当にそれだけで、酒もタバコも一切やらない。そしてその趣味は店のご夫婦揃ってのもので、店主よりもむしろ奥様のほうが上手なのだという。
昨日どうしても取れなかったフィギュアの箱の写真をスマホに表示させ、店主に見てもらった。「こんなふうになった場合、どうしたらいいんですか?」と聞くと、「ああ、こうなると難しいんです。僕らはこの場合、“初期位置”に戻してもらいますね」と店主は言い、攻略法を丁寧に解説してくれるのだった。
それによると、縦に置かれた箱を横にしていって落とそうとした私たちのやり方はあまりよくなくて、まずは箱を直立させるのが重要で、それを掴んで少しずつ横に動かしていくといいらしい……と、そんな話を精肉店の軒先で聞きながら、こうしてパリッコさんが声をかけることがなければ、こんな瞬間はずっとなかったよな、と思った。私が自分で知ってきた大阪は、結局は私が選びやすいものを選んだ集積でしかない。
どこか痛快な敗北感を味わいながら、ひとつ分けてもらったコロッケを食べて歩く。「まさか昨日の無駄遣いがここに繋がるとは」と、今さらに面白くなってきた。
駅前まで戻って昨日とは別の店でうどんを食べたあと、グランシャトーのサウナに、私はついに足を踏み入れることになった。こんなきっかけがなければ、いつまでもなかった機会に違いなかった。
エレベーターで5階まであがると、いわゆるスーパー銭湯のようなフロアが広がっていて、靴箱に靴を入れ、靴の鍵と交換にフロントでロッカーの鍵を受け取る。ロッカーの脇にはグランシャトーのロゴの入った、大きなトランクスみたいな感じのパンツが積み上げられており、フロア内はそれで移動するようだ。「あれ? 上着は?」と思ったが、みんな上半身は裸でその辺りを歩いていて、その状態のまま休憩スペースのほうでビールを飲んでいる人もいる。このサウナは男性専用だから、まあそれでいいのか。
ロッカーを開けるとなかに歯ブラシやカミソリが入っていて、なるほど、ここで体を洗って髭を剃って歯を磨いて、さっぱりしてどこかへ移動していく人もいるのだろう。
浴場内にはサウナがふたつあり、ひとつはセルフロウリュ式になっている。円形の浴槽とジェットバスと水風呂があって、曇りガラス越しの陽光が室内を明るく照らしている。遠くを電車が通り過ぎていく音が聞こえた。これがグランシャトーのサウナなんだな。
十数人の人が、思い思いの場所でくつろいでいる。激しい勢いの打たせ湯を浴びている人がいて、そのあとに私も試してみると、痛いほどの水圧に思わず笑い声が出てしまった。

体を温めてから浴室を出て、休憩所のカウンターで瓶ビールの小瓶とおでんをもらってパリッコさんと乾杯する。小瓶は350円とお手頃価格で、おでんには甘い出汁がしっかり染みている。

「この休憩スペースもいいじゃないですか」「本当ですね。こんな場所があったんですね」と、ゆっくりしていたら、私たちに与えられた50分間はあまりにあっという間で、最後は残ったおでんを口に詰め込むようにして食べ、それをビールで流し込んで出口へと向かうことになった。
東京の友人に、いい場所を教わった。今度パリッコさんが大阪に来たら、グランシャトーで朝風呂を浴びてからどこかへ出かけることになるだろう。さっきまでいた古いビルを見上げながら、そう思った。
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スズキナオ『今日までやらずに生きてきた』は毎月第2木曜日公開。次回第22回は3月12日(木)17時配信予定
筆者について
1979年東京生まれ、大阪在住のフリーライター。WEBサイト『デイリーポータルZ』を中心に執筆中。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』、『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』、『「それから」の大阪』など。パリッコとの共著に『ご自由にお持ちくださいを見つけるまで家に帰れない一日』、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』、『“よむ”お酒』、『酒の穴』などがある。







