和光市駅北口に3軒だけ飲食店がある。それより奥は静かな住宅街が広がるばかり。そんな3軒の1軒がそば屋だ。入り口横に杉玉と、名酒「大信州」のロゴがプリントされた巨大な掛け布が下がっている。ここが飲める店であることがわかる。少し遅めの午後に和光市を通る機会があったので、吸い寄せられるようになかに入った。
東武東上線和光市駅の北口には、大きく開けた繁華街である南口側とは対照的に、きわめて牧歌的な風景が広がっている。思いきって“閑散”と表現してしまっても、地元民の方ですら賛同せざるをえないだろう。
目ぼしい施設としては、コンビニが1軒と飲食店が3軒。それより奥へ入ってしまえば、あとは静かな住宅街が広がるばかりだ。ところがその3軒の飲食店がそれぞれに特徴的で、行くべき価値のある店なところが、和光市という街のおもしろさのひとつだと僕は思う。
3軒のうち1軒は、以前この連載にも登場した「濱松屋」。連日大盛況の人気店。2軒目が「にしだ屋」。チェーンの焼鳥店だが、安くてうまくてホッピーが飲めて、少し早めの夕方4時から開いているのも嬉しい。そして3軒目が、今回紹介する「そばもん」。
店名からわかるとおり、そば屋だ。小さな店内にテーブル席がふたつと、壁に沿ってカウンター、そして中央に立ち食い専用のテーブルがある、ごくシンプルな店。ぱっと見は立ち食いそば屋だし、価格帯もそうだから、食事だけの利用の人も多い。が、入り口横に杉玉と、長野の名酒「大信州」のロゴがプリントされた巨大な掛け布が下がっていることから、ここが飲める店であることがわかる。酒はもちろん、立ち食いそばにも目がない僕が興味を持つのは当然で、以前入ってみたらその良さに感動し、大好きな店になった。
店頭に近づいて看板などの情報を確認すると、ここが酒に対して並々ならぬ情熱のある店だということがわかる。全国各地の地酒が常に40種類以上。そば類も豊富にひととおりあって、その他に単品のつまみが100種類近くはありそうだ。そばは信州直送の生そばで、名物のひとつ、馬刺しも信州産。かなり信州推しの店のようで、そのこだわりが酒飲みには嬉しい。
日本酒の飲み放題もあり、60分で税込2000円、90分で2500円。小鉢のつまみもつき、プラス500円でビール、サワー、焼酎、ハイボールまで飲み放題になるという。1杯750円までの酒が頼めるらしく、1時間で3杯飲めば元がとれてしまうという、かなりぶっ飛んだ価格設定。しかも朝10時からラストまでの通し営業。まさかの立地で朝からでも日本酒三昧ができてしまうという、かなり特異な店なのだ。

先日、少し遅めの午後に和光市を通る機会があったので、吸い寄せられるように寄った。好きな酒1杯と、自家製のひたし豆、さらに日替わりの天ぷらか揚げものがひとつ選べる「飲み得セット」が1100円と、ちょうどいい。
入り口の券売機で食券を購入し、店員さんに渡す。ドリンクは当然、450円の「生ビール」から……と思ったけど、選べるのは1杯650円までの酒。ならばいきなり日本酒から始めてしまうのが得策かもしれない(せこいが)。せっかくだから「大信州 超辛口純米吟醸」(650円)でスタートしてしまおう。この日の天ぷらは春菊、揚げものは牡蠣フライだそうで、より豪華っぽいのは牡蠣フライだけど、僕は立ち食いそば屋の春菊天の大ファン。そちらを選ぶ。
まずやってきたひたし豆は、長野県の北信や東信地域で親しまれる郷土料理で、青大豆をゆでてだし汁に浸したもの。大粒で風味が良く、つゆはさすがそば屋とうなってしまう香り高さで、素朴ながらもこの上ないつまみだ。
合わせて、大衆酒場ではよく「梅割り」などを飲むのに使われる「角6勺」のグラスも届く。そこへ店員さんが直接、冷蔵庫でよ〜く冷やされた一升瓶から酒を注いでくれ、受け皿もないのに表面張力限界でぴたりと止める技術に驚かされる。
ひたし豆をひと粒噛み締めてじっくりとその滋味を味わい、グラスへ口から迎えにいって酒をひと口。とたんに広がる清らかなフルーティーさと、それでいてどっしりとした旨味。しつこすぎずにすっと消えてゆくキレ味も好ましく、これぞ至福の瞬間だ。店が店ならこの1杯が1100円でもまったくおかしくないのに、つまみまでついてきてくれるんだから、ありがたいという他にない。などと悦に入っていたら、揚げたての巨大な春菊天も到着。
春菊天にはいくつかのスタイルがあるが、ここのは茎から扇状に葉が広がる巨大なもので、僕がそばにのっているといちばんテンションの上がるタイプ。単体でつまみにするのは意外と珍しいかもしれないそれにさくりと箸を入れると、青い香りがふわりと広がる。これまただしがしっかりとした甘めのつゆにさっと浸してぱくり。食べごたえは肉厚でジューシー。少しのほろ苦さが酒を呼ぶ。世の中にほろ酔いセットの類は無数にあれど、こんなにも幸せな気分にさせてくれる組み合わせは、そうそうないんじゃないだろうか。
続いての酒は、メニューのなかでもっともリーズナブルな「ランチ日本酒」(390円)なるものを選んでみた。当然銘柄不明の酒がグラスに入って出てくるものとばかり思っていたら、先ほど同様に店員さんが一升瓶から注いでくれた。これまた信州の酒「瀧澤 特醸」。ランチ日本酒は日替わりだそうで、日々新しい酒が入荷するからこそ、そろそろ飲みきってしまいたい銘柄をこうして提供してもらえるのだろう。とろりと甘いその味わいに、夢心地はさらに加速する。
当然のことながら、最後はそばで締めたい。ここはやっぱり「もり(冷)」(570円)だろう。そばはつるつるむちむちとした艶のある質感で、つゆは辛すぎず、だしがふくよかな僕の大好きなタイプ。ずずっとすすればその香りが口いっぱいに広がり、噛み締めるほどにそばの香りが加わってゆく。キンキンに冷たく締められていて、なんとも爽快な味わいだ。しゃきしゃきのねぎやわさびを加えれば、シメといいつつさらに酒がすすんでしまう。
最後にもう1杯とおかわりしたのが、僕の好きなにごりから、岐阜の「津島屋 純米吟醸 廣島産八反錦 にごり生酒」(650円)。米の香りがしっかりとして、ほのかな発泡感と乳酸感もある。どこかトロピカルなフルーティーさもある酒だ。これをもって僕の幸福度は最高潮に。なんて美しい昼飲みだったんだろうかと、自画自賛せざるをえない。
埼玉県の和光市というちょっとマイナーな街の、しかもより寂しい方面に、ひっそりとこんな天国がある。日本酒好きにとっては特に、わざわざ行く価値のある店と断言してしまっても間違いはないだろう。

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次回第44回は2026年3月19日(木)17時公開予定です。
筆者について
1978年、東京生まれ。酒場ライター、漫画家、イラストレーター。酒好きが高じ、2000年代より酒と酒場に関する記事の執筆を始める。著書に『酒場っ子』『つつまし酒』『天国酒場』など。ライター、スズキナオとのユニット「酒の穴」名義をはじめ、共著も多数。







