宣伝、流通、ゲーム制作… プレステがゲーム業界にもたらした革新の数々

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発売以来、長きにわたって家庭用ゲーム機界を支えてきたプレイステーション(PS)が、12月3日に発売25周年を迎えました。その人気の最大の理由は、ゲーム自体の面白さでしょうが、PSはそれ以外の様々な点でもゲーム業界に革新をもたらしました。

初代PSの宣伝や流通面で大きく貢献したのは、ソニー・ミュージックエンタテインメント(SME)の副社長(当時)であり、数々の有名ミュージシャンをプロデュースしてきた丸山茂雄さんです。“プレイステーションの生みの親”として知られ、ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)社長やソニー副社長も歴任した久夛良木健さんがスーファミ用のCD-ROMアダプタの開発をしていた際に協力関係にあった丸山さんは、SCEが設立されると同社の副社長にも就任。

「ゲーム制作者をクリエイターとして扱うことで露出を増やす」
「音楽CDの流通ルートを活用することで量販店以外の場所でもゲームを販売する」

など、PSの展開に音楽業界のノウハウを持ち込み、それが爆発的な普及を支えました。

また、数々の名作ゲームを生んだSCEの内部制作ゲームの歴史を語るうえで欠かせないのが、SCEと同時に設立された「JAPANスタジオ」です。SCEが提供する最新の開発環境を世の中に先駆けて使うことができる恵まれた環境にあることから、従来のゲームにはなかった革新的な3DCGゲームを次々と手掛けていきました。

たとえば1999年に発売された『サルゲッチュ』は、世界初のデュアルショック専用ソフトとして、PSというハードの性能を最大限に活かした操作性を実現しました。今もJAPANスタジオは日本発の個性的なゲームを作り続けています。

クリエイターの発掘に熱心だったSCEは、1995年から1999年にかけては、「ゲームやろうぜ!」というオーディション企画を実施しています。そこから『どこでもいっしょ』という大ヒット作が生まれたほか、同様の企画はその後も断続的に行われ、「ゲームやろうぜ!2006」からは『勇者のくせになまいきだ。』(発売は2007年)、2008年の「プレイステーションキャンプ!」からは、『TOKYO JUNGLE』などが生まれています(発売は2012年)。魅力的なアイディアさえあれば誰でもゲームが作れるという発想は、後のインディーゲームのブームを先取りしていました。

◆ケトルVOL.51(2019年12月17日発売)

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※この記事は、「太田出版ケトルニュース」に当時掲載した内容を当サイトに移設したものです。

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