「カルチャー ×アイデンティティ×社会」をテーマに執筆し、デビュー作『世界と私のA to Z』が増刷を重ね、新刊『#Z世代的価値観』も好調の、カリフォルニア出身&在住ライター・竹田ダニエルさんの新連載がついにOHTABOOKSTANDに登場。いま米国のZ世代が過酷な現代社会を生き抜く「抵抗運動」として注目され、日本にも広がりつつある新しい価値観「セルフケア・セルフラブ」について語ります。本当に「自分を愛する」とはいったいどういうことなのでしょうか?
第6回は、燃え尽き症候群とそれを防ぐためのバウンダリー(境界線)の設定について。
忙しい人こそ注意すべき「バーンアウト(燃え尽き症候群)」の危険
先日、NICAR(National Institute for Computer-Assisted Reporting)とIRE(Investigative Reporters & Editors)が主催する学会に参加した。データやプログラミングを扱うジャーナリストたちが集まるイベントで、アメリカ中、世界中から様々な人が参加する。その中でも、厳しい締切と過酷な労働条件の中で取材をし、働くジャーナリストたちはどのようにしてメンタルヘルスを守ればいいのかについて議論するセッションもあった。そこではどのように自分たちを「ケア」すればいいのか、どのような手段が効果的かなどについてお互い共有する時間が設けられていた。
そのディスカッションの中で特段話題に上がったのが、「バーンアウト(燃え尽き症候群)」との向き合い方、そしてバウンダリー(境界線)の設け方だった。常に自主的にネタを追い求め、正義と真実のために途方に暮れるような作業の積み重ねる仕事がジャーナリズム。意欲や熱意を維持しなければなかなか続けづらい仕事だ。労働に疲れきってしまっては、かつては熱意の根源であったパッションの炎も消えてしまうし、良質な仕事もできなくなってしまう。カルチャーライターのAnne Helen Petersonが著書の「Can’t Even: How Millennials Became the Burnout Generation」で一冊に渡って論じたように、ミレニアル世代、そしてZ世代は「燃え尽き症候群世代」とも言われている。特にコロナ以降、「働き方」と正面から向き合わざるを得なくなったことで「生産性」を理不尽に求められるオフィスワークを強要されたり、「特別」にならなくてはならないというプレッシャーを受け、上昇志向を求められ続けること、さらには家賃・物価の高騰によって副業や時間外労働をせざるを得ない状況に立たされている人がいることなどによって、若者たちが燃え尽き症候群を経て鬱や不安症を発症しやすくなってしまっている、と指摘している。
そのようなバーンアウト(燃え尽き症候群)を防ぐために、バウンダリー(境界線)を設定しよう、という議論が一般的になりつつある。学会においても、例えば自分は金曜日の夕方には働かないと上司に伝えているという人や、時間外労働はやらないと自分の中で境界線を定めている人など、様々な形で「ここからここまではOKだけど、ここから先はダメ」と線引きすることで、自分自身を「ケア」している、という話が共有された。本当は嫌だけど、NOとは言えないから追加の仕事やお願いを引き受けてしまう、という人は日本では特に多いだろう。NOと言ったら嫌われる、人間関係がギスギスしてしまう、感じ悪い人だと思われてしまう、自分勝手だと思われたくないなど、様々な理由があるかもしれない。しかし自分にはどのような働き方が合っていて、燃え尽きないため、生産性を最大限維持するためにはどのようなルールを設けた方がいいのかなど、自分の「トリセツ」を同僚や上司と共有することは、ネガティブなことではないはずだ。心身ともに健康に働けて、持続可能で安定したペースで仕事が続けられた方が、周りの人にも良い影響を与えるし、チームで働く際にもポジティブな結果をもたらすだろう。
セルフケアとしての「バウンダリー(境界線)」の設定
本当は嫌だけど受け入れてしまう、というのはある種の「自尊心」をリスペクトせず、セルフラブ・セルフケアを損なう行為でもある。逆に言えば、バウンダリーを設けることはセルフケアの一形態である。「自分のニーズに注意を払うことはセルフケアである。酸素マスクをつけるように、まず自分自身に(セルフケアを)適用すれば、より多くのエネルギーを他の人のために使うことが可能になる」(Nedra Glover Tawwab氏の著作、Set Boundaries, Find Peaceより)とあるように、自分のニーズを知ることは自分をリスペクトすることであり、それを周囲に伝えることは有効なコミュニケーションの一環なのだ。自分がどのような感情を抱えているかを把握し、それを受け入れること、そしてそれを「大切なもの」として尊重することから、バウンダリーの設定は始まる。「この人は嫌がらずになんでもする人だ」と周囲に間違って伝わってしまった場合、結果としてお互いに憎しみやストレスを抱き、「理解してもらえない」という鬱屈した気持ちになってしまいがちだ。自分から能動的にバウンダリーを設定せずに、「気づいてくれるだろう」「察してくれるだろう」と期待していては、適切な対応を受けられない可能性もある。
ストライキや労働組合の結成などの盛り上がりからも見て取れるように、アメリカでは「労働環境」に対する意識の大きな変革が起きている。休憩時間や安全な労働環境、健康に対する尊重や「人間らしく生きるために必要な条件」を求めることは、より多くの人が幸せに働くために必要だという認識が広まりつつある。
特に、歴史的に(そして今でも)女性、特に黒人を中心とした有色人種の女性は仕事においてだけでなく、プライベートな人間関係においてもバウンダリーを設定しづらいといわれている。他にもクィアであったり、金銭的に抑圧された環境で育った人なども、周りの人に迷惑をかけてはいけない、なるべくみんなに好かれることで「成功」に近づきたい、はっきりと境界線を設定してしまったら嫌われる、という不安や懸念を抱えがちだ。女性に対して抑圧的な家父長制のシステムの中においては、「良い女性というのは融通が利いて周りの要望をなんでも受け入れる女性だ」と言われ続け、その結果としてNOと言ったり、自分のバウンダリーを明確に他者に伝えるような人は「高圧的」「気難しい」などと侮辱されがちだ。しかしこれはまさに男性中心社会において、一部の人にとってのみ都合の良い状態を維持することにほかならない。最近では、女性やマイノリティの人たちのために大学や会社が「バウンダリー設定方法を学ぶワークショップ」を開催したり、どのようなフレーズを使えばいいか、どのようなシチュエーションではどのような言動を取ればよいのかの具体的な提案も、SNSをはじめに数多くオンラインに存在する。(https://www.therapistaid.com/therapy-worksheet/setting-boundaries、https://www.instagram.com/haileypaigemagee/p/Cn9bFensaNM/)
〈燃え尽き症候群を防ぐ境界線の例〉
週末は仕事のメールをチェックしない。
昼休みをしっかり取る。
上司に、課題を完了するためにもう少し時間が必要だと言う。
上司や同僚に積極的に助けを求める。
ハラスメントや差別を受けた場合、上司または人事部に相談する。
定時に退社する。
生産性が全てではない、仕事での評価や名声が全てではない、という理屈は頭では理解できる、という人は近年増えている。一方で、例えばプライベートの時間を充実させるために意識的に仕事を定時で退勤したり、自分にとっての「働きやすさ」を追求するために周りの理解や助けを求めるのは、「怠慢」や「弱さ」の表れだと思われてしまう恐れがあるから、なかなか実践しづらいという雰囲気はまだまだ世間に根強く残っている。しかし、劣悪な労働条件を多くの人が黙って飲み込み続けた結果として、長時間労働やパワハラなどの悪化が負のスパイラルのように続いてしまったように、権利や要望は個人が一人ずつ声をあげて求めない限り、資本主義、ないしは権力者にとって都合の良い多数派が勝ってしまい、より良い未来は獲得できない。「戦うためのセルフケア」を実践するには、まずは文字通り自分を大切にしなければいけない。そうすることで周りの人や環境のこともケアしやすい状況へと変化することを可能にするのだ。
次回は、4月10日(水)17時更新予定。