ミュージアムで迷子になる
第7回

「顔」を描いて歴史を語る――ロンドンのナショナル・ポートレート・ギャラリー

学び
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ミュージアム研究者・小森真樹さんが2024年5月から11ヶ月かけて、ヨーロッパとアメリカなど世界各地のミュージアムを対象に行うフィールドワークをもとにした連載「ミュージアムで迷子になる」。

古代から現代までの美術品、考古標本、動物や植物、はては人体など、さまざまなものが収集・展示されるミュージアムからは、思いがけない社会や歴史の姿が見えてくるかもしれません。

 ロンドンを代表する美術館として有名なトラファルガー広場のナショナル・ギャラリー。そのすぐ近く、演劇街ウェストエンド側の裏手に位置するのがナショナル・ポートレート・ギャラリーだ。「国立肖像画美術館」と訳すこともできるが、「肖像画美術による歴史博物館」と呼ぶと、もうちょっとだけしっくりくる。

 その特徴は、なによりも作品につけられたキャプションに表されている。例えばあるアンディ・ウォーホルの作品ならこう。

女王エリザベス2世、1926年生
アンディ・ウォーホルによる
シルクスクリーン版画、1985年
縦39 3/8インチ × 横31 1/2インチ(1000 mm × 800 mm)
1986年購入

 「肖像名」→「作者名+による」の順で記され、肖像名が太字になっている。描いた人(作者)よりも、描かれた人の名前が先に記されて強調までされているのだ。同館の展示はすべてこの表記法で統一されている。

 つまり、一般的な美術館のキャプションが「作者名+作品名」や「作品名+作者名」と記され、“誰が描いたか”を重視するのに対して、このギャラリーでは“誰が描かれているか”が重要視されているのだ。この意味で、ナショナル・ポートレート・ギャラリーは、有名人の顔から「国の肖像」を描く歴史博物館なのである。

国史を顕彰して反省する

 1856年創設とその歴史は古い。肖像画をテーマに掲げる史上初の公共博物館である。各展示室の基本構成は年代ごとでイギリス600年の歴史をカバー。チューダー朝から現代までをカバーしている。展示物はいわゆる肖像画だけではなく、写真や彫刻などのメディアも含まれる。コンテンポラリーアートの様式もある。つまり、「顔」さえ描かれていればこの博物館では収集の対象となるのである。

 たとえば誰が描かれているのだろうか。ヴィクトリア女王、アルバート王子など王室の人々、ウィリアム・シェイクスピアといった国史を代表する芸術家たちは想像に固くないだろう。ほかにも法曹界や政治家、医学者や科学者などがいる。さらに、デヴィット・ベッカムなどのサッカーを始め、クリケットやテニスといった「イギリス的」スポーツのアスリートたち、ビートルズやセックス・ピストルズなどポップミュージシャンやダミアン・ハーストなどの美術家、ユアン・マクレガーら俳優など、大衆文化領域の現代的なアイコンにまでその範囲は及ぶ。

 2021年から23年まで改装のため閉館していたが、今年のオープン時にはエントランスに新たなコレクションがお披露目された。

 入り口を入るとギャラリーの左右の壁に対照的な展示が広がる。

 左手の壁面にはチャールズ3世に始まりエド・シーランまで、現代イギリスを代表するアイコンが並んでいる。キャプションにはこうある。

ヒストリーメーカーの今
ナショナル・ポートレート・ギャラリーのこの新しいスペースは、現代の歴史的人物に焦点を当てます。表舞台に立つ人物であれ、知られざる英雄であれ、彼らは今日の私たちの世界を形成し、明日に影響を与える人々です。[1]

 その多くは白人男性の肖像である。美術史をはじめ国家の歴史は、支配層である「健康な身体をもつ/白人/男性」を中心に語られてきた。近年の収蔵作品からイギリスを代表するアイコンを並べてみても、未だにそういうものか、と思わされる。

 しかし、展示は直ちにその違和感に応えてくる。

「ヒストリーメーカーの今」の一番手はどでかいチャールズ3世

 向かい合う右手の壁面の展示の方では、こうした歴史のバイアスを反省し修正する態度を強調しているのだ。「まだその途中(Work in Progress)」という展示では、一枚の長大な絵画に130名の女性やクイアの歴史的アイコンが描かれている。サフラジェット(女性参政権活動家)、黒人女性政治家、車椅子のアスリートなど、イギリス史における歴史の不均衡を変えてきたマイノリティたちが力強く表象されている。

歴史を作ってきた女性やクイアのアイコンたち。ヒストリーメイキングは「まだその途中」である

 キャプションでは、これまでの歴史の語りがバランスを欠いていることへの問題意識が強調されている。ここに描かれているのは、二千年に及ぶ歴史において活躍してきたにもかかわらず「これまで一度も歴史に反映されてこなかった26名のパイオニア(previously unrepresented trailblazers)」であり、著名人ではない人物を描いたシルエットとは、「顕彰されるべき不可視の女性が著名人を超えて無数にいること」を示すものである。こうした説明だ。

 ファッションブランドのシャネルが立ち上げた女性支援事業を掲げるカルチャー・ファンドがスポンサーで、キュレーションはアーティストのジャン・ハウォースとリバティ・ブレークによるものだ。意図したものかはわからないが、左右の壁面のコントラストも“落として上げる”効果を生んでいて見事だ。

「名声の殿堂(Hall Of Fame)」と「名声の壁面(Wall of Fame)」

 こうした顕彰と反省を併置する姿勢は、常設の各種展示にもみられる。

 像画家ジョージ・フレデリック・ワッツによる「名声の殿堂(Hall Of Fame)」はメインの展示のひとつだが、ここでも主流の歴史を顕彰すると同時にそれを相対化しようとする姿勢がみられる。

 イントロダクションのキャプションにはこうある。

名声の殿堂 著名人とヒストリーメーカー、1850-1880年
ヴィクトリア朝では、肖像画が歴史的偉人の人柄を伝えることができると信じられていました。1856年に設立されたナショナル・ポートレート・ギャラリーは、「最も著名な人物の肖像画」を展示することでこの考えを形にしており、来館者に国家への誇りを持つよう鼓舞していたのです。「名声の殿堂」とは、ジョージ・フレデリック・ワッツが、同時代の影響力のある男性の肖像画を50点以上描いたシリーズのタイトルである。ワッツは、ヴィクトリア朝時代の精神が凝縮されていると感じた文化人たちを記念するため、徐々にギャラリーに寄贈していった。[2]

 この展示の隣には「名声の壁面(Wall of Fame)」がある。小さなキャビネットに何か並べられている。近づくと手のひらよりも小さなサイズの肖像写真だとわかる。

「名声の壁面」のカルトは全て同じ大きさで均一に置かれてあってとても民主的

 ボクサー、サーカス曲芸師、マジシャン、演劇俳優たちや、さらに極端に顔が大きくデフォルメされ風刺的に描かれた政治家たち。キャプションには、写真技術が発達したことで一般の人たちが自分のヒーローのイメージを手頃な価格で集めることができるようになった、という説明がある。

アスリート、政治家、美人…とあまり「セレブ」の条件は今も変わらない

 写真技術の発展により、ヴィクトリア朝時代には肖像画が広く普及するようになった。特に1850年代後半には「カルト・ド・ヴィジット」と呼ばれる小型の肖像写真が一般的になった。フランスで発明されて特許が取られたことからフランス語の名で呼ばれている。この小型のカードは安価に撮影でき、規格化されていたため、手紙に添えて送ったり手渡しで渡されたりして広まっていった。その結果、肖像、つまり人物のイメージの共有や所有が爆発的に増加した。

 カルト・ド・ヴィジットはヴィクトリア朝時代のイギリスで「カルトマニア(Cartomania)」と呼ばれる収集ブームを巻き起こした。人気のある有名人だけでなく犯罪者など悪人まで、著名な人物のイメージは収集価値が高まった。何百万枚も複製されたカルトは比較的手頃な価格で販売されたので、ある程度の経済的余裕があれば誰でも集めることができた。

 つまり、多くの人が自分のヒーローの肖像を所有できるようになったのだ。イメージをコレクションする行為が民主化された、ということもできるだろう。「カルトマニア」現象は、「お気に入りを手に入れることができる」という、イメージ収集時代の幕開けであるとともに、ネット上に画像が氾濫しSNSで写真を交換し合うウェブ・イメージカルチャー・エイジの黎明でもあったと言えるかもしれない。ヴィジュアルによって歴史を収集し、交換し、描く時代が次の局面を迎えたのだ[3]。

 写真展示「名声の壁面」は、19世紀のワッツの肖像画コレクション「名声の殿堂」と対比する形で紹介されている。

これらは、当ギャラリーが所蔵する膨大なコレクションのほんの一部です。 その小ささ、ポーズ、撮影者や撮影者の幅の広さにおいて、これらのポートレートは、正面の壁に描かれたワッツの『偉人』の絵とは対照的である。[4]

 「殿堂」から「壁面」へ。貴族の歴史を大衆の歴史として書き直すことは、肖像の歴史を描き直す行為である。そして、歴史を描く行為を捉え直す行為でもある。

 写真という複製技術の登場と普及によって「集める」という収集行為が民主化したことが、歴史における不均衡の力学へ一撃を食らわした。入り口の展示に続いて再び現れる対照的な二つの展示はこのように読むことができる。

誘拐されて上流階級になったアイナ

 さらにこの一撃は次の部屋でも続く、しかし、そこには歴史を反省する際の困難も同時に見て取れる。

 展示室「帝国と抵抗」には、19世紀半ばの植民地をテーマにした作品が展示されている。肖像画や歴史画、現地の様子を描いたイラストやポストカードなどが並び、歴史的な出来事について解説されている。

 同時代にイギリスで活躍したフランス出身の写真家カミーユ・シルヴィの肖像写真も展示されており、彼の日記とともに記録されたこれらの写真は史料としての価値が高い「デイブック」としてギャラリーの主力コレクションの一つとなっている。

 このデイブック・コレクションから引用された人物たちが紹介されている展示を見てみよう。

ヴィクトリアに「供儀」されたアイナとデイブック

 太平洋横断奴隷貿易のなかでナイジェリアの五歳女児アイナは、ヴィクトリア女王への捧げ物のために誘拐された。現在のアフリカ・ベナンにあったダホメ王国の兵士に戦争孤児として連れ去られた彼女は、イギリス海軍大尉フレデリック・フォーブスへと渡されてサラ・フォーブス・ボネッタという名で洗礼を受け、イギリスへと送られる。大尉は、ダホメによる人身供儀の儀礼で幼児が殺されるのを見過ごすことができなかったのである。他の住民は殺されたり奴隷貿易で売られてしまったが、生き延びた彼女は、シエラレオネにできたばかりのアフリカ大陸初のヨーロッパ型教育機関で教育を受けた。同地出身の富裕商人ジェームズ・デイヴィスと結婚し、さらにはヴィクトリア女王のお気に入りになって、上流階級の一員となったが、結核に倒れたために37歳で短い生涯を終えた。

 こうしたアイナの生涯については近年映画や小説などがつくられ、英国国内で知られるようになった[5]。

 この「成功」譚は、一見美談のようにも思えるが、別の見方をすれば、大英帝国が介入主義的に奴隷の拉致や売買を行なった過去を美化する側面もある。それは、「野蛮で無秩序な」人々から善意の被害者を英国の王族が守ったという、典型的な父権的温情主義(パターナリズム)の物語だからである。ここには、国家の歴史が抱える罪と功績のバランスを取ろうとするミュージアムの姿勢が表れている。「国家」という巨大な主語で歴史を語ることのジレンマが滲み出ていると言ってもよいだろう。

 このようなパターナリズム的な語りは、他の人物の紹介にも見られる。ヴィクトリア女王が王子の名付け親となるなど、イギリスとの関係が深かったハワイのアン女王は、ハワイ初の聖公会大聖堂の資金援助を求めて1865年にロンドンへ外交旅行を行った。その際、ヴィクトリア女王はこう記している。「アン女王には威厳があり、私と全く同じ喪服を着ているし、素敵で美しく柔らかい目を持っている。肌は黒いけれど、インド人ほどは黒くない」と、その美しさを“称賛”している。この引用は展示のキャプション文からのもので、ヴィクトリアの日記に記された言葉である[6]。

 ナショナル・ポートレート・ギャラリーが採用したのは、帝国主義と植民地政策の歴史を反省しながらも、あくまでパターナリズム的な説明である。

 以下はキャプションの要約である。1850年から1914年にかけて、いわゆる「太陽の沈まぬ帝国」として知られた大英帝国は急速に拡大し、地球の表面のほぼ4分の1を覆い、最盛期には4億5800万人以上を支配していた。この歴史について歴史家たちは、現在も続く帝国の影響の大きさを評価し続けている。これほどまでに大英帝国が繁栄した背景には、植民地化された国や文化の犠牲があり、それは商品や経済だけでなく、帝国内部で人々が移動するという結果を生んだ。移民や奴隷化など彼らの移動が自発的であれ強制的であれ、その経験は「非常に多様で、深く個人的なもの」だった。

 ここで紹介されるハワイのアン女王やナイジェリアのアイナなどの個人の経験は、「多様(性)」というマジックワードによって価値判断が曖昧にされている。このような美談としても受け取れる語りの中で、彼女たちの人生は大英帝国の「帝国主義と植民地主義」の歴史を描くためのピースとして使われている。このパターナリスティックな語りに見られる反省の姿勢は、国史の顕彰と同時に語られているために限定的なものとなっている。「顔=人物」の集積によって「国家」という大きな主語を語るナショナル・ポートレート・ギャラリーの方法には、こうしたバランスを調整しようとする跡が感じられる。

NPGは国史を民主化する場所になれるのか、なれないのか

 先に述べたようにナショナル・ポートレート・ギャラリーは、肖像画をテーマにする世界初の公共美術館である。王侯貴族が肖像を画家に描かせてきた絵画とは、洋の東西を問わず芸術の王道の一つであるが――日本にも神宮外苑に明治天皇を顕彰する聖徳記念絵画館がある――、ここナショナル・ポートレート・ギャラリーは、王族たちだけでなく、世の中の「顔」を描いた絵画を並べてイギリス社会の「肖像」を歴史として描く。

銀幕セレブの”顔”オードリー・ヘップバーンの名がつけられたミュージアムカフェでも肖像画が楽しめる。オードリーの肖像はもちろんギャラリー所蔵

 近代国民国家の成立以後、公的な機関としてこうした肖像画ミュージアムが初めて成立したのが大英帝国だったというのは、近代主義思想の礎を築き、市民革命が起こったこの国らしいところがある。そしてまた、こうした形で国史の反省と顕彰を同時におこなう姿勢も、王政を現在まで強固に維持する国の特徴を反映してもいる。

 ところでもうひとつ国立の肖像画美術館を持つ国がある。アメリカ合衆国だ。1886年創設まもないロンドンのナショナル・ポートレート・ギャラリーを訪れたマサチューセッツ州歴史協会会長のロバート・C・ウィンスロープがアメリカ版を作るべきだと主張し運動を始めたことをきっかけに、スミソニアン協会の登録機関として1962年に実現したものである[7]。

 「顔」を描いて歴史を語る。二つの国には、国家の「顔」を描こうという欲望と、それを修正しようと均衡する力が同時に働いてきたという共通点がある。「顕彰」と「反省」という視点をともに持つミュージアムのアプローチは、はたして歴史を民主化する力を持つことができるのだろうか。

[1] History Makers Now展示室キャプション。https://www.npg.org.uk/visit/floor-plans/floor-0/history-makers-now-portraits-on-display#Room33 
[2] Hall Of Fame展示室キャプション。
[3] カルト・ド・ヴィジットには植民地の人々や奴隷の「人種タイプ」を集めたものがある。19世紀欧州各地の万博では植民地から連れてこられた民族たちが展示されたが、カルトもまた人種のサンプルとして展示された。Margrit Prussat,“Carte de visite photography in South America. The mass-produced portrait,” Exploring the Archive Historical Photography from Latin America.The Collection of the Ethnologisches Museum Berlin, eds. By Manuela Fischer and Michael Kraus, (Böhlau Verlag Köln Weimar Wien, 2015).
[4] Wall of Fame展示室キャプション。
[5] Anni Domingo, Breaking the Maafa Chain (Jacaranda Books, 2021); Denny S. Bryce, The Other Princess: A Novel of Queen Victoria’s Goddaughter (HarperCollins, 2023)
[6] 展示室キャプション。
[7] 横山佐紀『ナショナル・ポートレート・ギャラリー: その思想と歴史』三元社、2013年。

筆者について

こもり・まさき 1982年岡山生まれ。武蔵大学人文学部准教授、立教大学アメリカ研究所所員、ウェルカムコレクション(ロンドン)及びテンプル大学歴史学部(フィラデルフィア)客員研究員。専門はアメリカ文化研究、ミュージアム研究。美術・映画批評、雑誌・展覧会・オルタナティブスペースなどの企画にも携わる。著書に、『楽しい政治』(講談社、近刊)、「『パブリック』ミュージアムから歴史を裏返す、美術品をポチって戦争の記憶に参加する──藤井光〈日本の戦争画〉展にみる『再演』と『販売』」(artscape、2024)、「ミュージアムで『キャンセルカルチャー』は起こったのか?」(『人文学会雑誌』武蔵大学人文学部、2024)、「共時間とコモンズ」(『広告』博報堂、2023)、「美術館の近代を〈遊び〉で逆なでする」(『あいちトリエンナーレ2019 ラーニング記録集』)。企画に、『かじこ|旅する場所の108日の記録』(2010)、「美大じゃない大学で美術展をつくる vol.1|藤井光〈日本の戦争美術 1946〉展を再演する」(2024)、ウェブマガジン〈-oid〉(2022-)など。連載「包摂するミュージアム」(しんぶん赤旗)も併せてどうぞ。https://masakikomori.com

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