今日までやらずに生きてきた
第10回

流浪の4日間、たどり着いた生ビール

暮らし

2025年2月21日、新幹線に乗って大阪から東京へ行く。それからつづく4日間、家にもほとんど帰れず、流浪の日々を過ごした。たくさんの人に会い、たくさんの「はじめて」を経験した。「なんかすごく色々あって、どこから話せばいいか」――。

「打越さんと、沖縄フィールドワーク」これを逃すわけにはいかない

2025年2月21日、新幹線に乗る。トリプルファイヤーというバンドが前から好きで、でもライブは一度も見たことがなかった。昨年『EXTRA』というアルバムが出て、それもよく聴いていた。リリースを記念した全国ツアーがあって、私の住む大阪でもワンマンライブがあったのに、それを知ったときにはすでにチケットが売り切れてしまっていた。気づくのが遅過ぎたのだ。

「もっと早く知っていれば!」と、悔しさからツアーの最後を飾る東京でのライブのチケットを買った。部屋でひとり、チューハイを飲んでいて、酔った勢いで買った。そのライブを見るために東京に向かう。いつもの自分なら、せっかく東京に行くのだからと、気になる展覧会を見に言ったり、誰かに会ったり、うまく予定が入れば向こうでしかできない仕事をしてそれを旅費に充てたりするのだが、今回はその余裕もなく、翌日の昼過ぎには大阪へ戻ってくる必要があった。

新大阪から東京への新幹線代が13870円。それの往復で27740円。そこにチケット代と考えると、自分の経済状況的にかなりハードな出費となる。「もう少し待っていればまたいつか関西でのライブがあったのでは?」と何度も思いかけるが、その都度、「本物のファンだったら遠くで開催される公演にも当たり前に行ったりするはず。今日から俺は本物のファンなのだ」などと自分に暗示をかけて跳ね返した。

ひとつ、タイミングがちょうどぴったり合ったこともあって、昨年末に亡くなった社会学者の打越正行(うちこし・まさゆき)さんの資料展が東京・町田にある和光大学のキャンパスで開催されていて、その最終日が今日だった。打越正行さんのことは社会学者の岸政彦さんが度々その名を挙げていたので知って、沖縄のヤンキーたちのパシリになって、彼らが仕事をしている建築現場でも働き、人生を捧げた調査の上に書かれた『ヤンキーと地元』という本を夢中になって読んだ。いつか、トークイベントや講演会があったら行ってみようと思っていたが、思いがけず若くしてご病気で亡くなられ、自分と歳が近いことも知って、ただの一読者というだけだが、ショックを引きずっていた。

今年になって大阪・梅田で「打越正行を追悼しない」というイベントが開催された。岸政彦、上原健太郎、上間陽子という、打越さんと親交の深い社会学者が登壇し、その思い出を語り合うような会だった。その会の最後のほうに、打越さんが2020年から教員を務めていた和光大学の教え子たちにマイクが渡された時間があった。みんなで1台の車に乗って大阪までやってきたという教え子たち数人が、打越さんのゼミがいかに面白く、大学のなかで貴重な場になっていたかを口々に語っていた。真摯な姿勢を持つ研究者として尊敬される部分と、生徒たちにつっこまれる間の抜けた部分とが両方あって、だから深く愛されていたのだということが伝わってきた。

打越さんが生前から企画していたという、大学で数年に渡って行ってきたフィールドワークの成果を紹介する展覧会を、生徒たちがその意志を継いで実現したというのが「打越さんと、沖縄フィールドワーク」というもので、それが今日まで、和光大学のキャンパス内で開催されているというのだ。これを逃すわけにはいかない。

和光大学のキャンパスは東京都町田市の鶴川という場所にある。小田急線の鶴川駅が最寄りのようだ。大阪から行こうと思ったら新横浜駅で降りて町田駅で乗り換えるべし、と検索結果が表示された。新幹線の窓から、米原の雪景色と、頂に雲のかかる富士山を眺めた。

新幹線の窓から見えた米原あたりの雪景色

新横浜駅から町田駅まで移動し、駅前のラーメン店「つづき」で昼ごはん。いわゆる二郎系に当たるラーメンだが、スープがあまり味わったことのない乳化具合で、でも不思議と食べやすい。こういう店にありがちな店内に漂う独特の緊張感がここにはなく、お店の方が気さくで、すっかり気に入ってしまった。隣のお客さんも「あ、すみません。箸、取らせてください」みたいにわざわざ声をかけてくれて優しかった。最高。

また食べに行きたい「つづき」のラーメン

町田駅前は、昨年見て衝撃的だった映画『ナミビアの砂漠』のロケ地で、冒頭、駅前をだるそうに歩く主演の河合優実の姿がそこに今も見つかりそうな気がした。

町田駅前。『ナミビアの砂漠』を思い出しながら歩いた

小田急線に乗り換えて鶴川駅で下車。駅前に飲食店がいくつかあって、大学方面はのどかな雰囲気となる。打越さんもこの道を歩いたかもしれないと思いながら景色を眺めて行く。

鶴見川の流れを沿って歩く

15分ほど歩いてキャンパスへ到着。敷地内の「パレストラ」という建物が展示会場で、壁いっぱいに、打越さんが生徒たちと毎年(コロナで中断していた時期もありつつ)行っていた、沖縄や奄美群島でのフィールドワーク時に撮影された写真が飾られていた。

いい写真がたくさんあった

写真に添えられた生徒たちのコメントも面白くて、沖縄で打越さんが参加者全員分の荷物を1台のタクシーに乗せて運ぼうとして(「荷物はこっちで運んでおくから身軽になったメンバーはバスに乗って市街地にあるアイス屋さんに寄ってきなさい」という気遣いからの行為だったとか)、でも荷物がどう考えても多過ぎて、タイヤが沈むほどだったという。「なぜバスのトランクに入れないのか、少なくとも2台のタクシーに分けないのか、頭の中でグルグル。」と書かれていたりする。

タクシーに荷物いっぱいの写真

動画の上映コーナーもあって、そこに収められた打越さんの姿と声、話し方に味があり、失礼な言い方かもしれないが、なんと可愛げのある人だろうと思った。帰り際、受付のカンパ箱に財布の小銭をジャラジャラ入れたら「どちらからいらしたんですか?」と生徒たちに声をかけてもらった。大阪のイベントに来ていた方々だなと思って、「大阪からで、梅田のイベントにも行ったんです!」みたいに、モゴモゴと返した。

帰り道、納豆工場の直売所で納豆を買い、酒屋でチューハイを買って飲みながら駅へ。梅が綺麗に咲いていた。鶴川、鶴川。そうだ、鶴川といえばNさんの地元だったと、20代の一時期、バイトさせてもらっていた会計事務所の上司のことを思い出す。「鶴川はな、タヌキが出るぞ」と聞いたことがあった。

小田急線から東京メトロの千代田線へと乗り換え、今日の宿泊先に荷物を置いてからライブ会場へ向かおうと思う。地元の水天宮前駅あたりを歩いていたら、Nさんとばったり会う。「今日、さっきまで鶴川に行っていて、Nさんのことをなんとなく考えていたんです」と伝える。びっくりしたけど、こんなふうにばったり会いそうな予感が、どこかにあった気がした。「おお、なんだ、こっち来てたのか。寄って行ったら?」とNさんはこれから私の父の事務所で飲み会をするところなのだとか。父の会社の会計を昔からNさんが担当してくれている、そんなつながりなのだ。

「じゃあちょっとだけ」と、父の事務所で父やNさんと缶ビールで乾杯して、ちょうど持っていた自分の本を1冊、Nさんに渡す。Nさんの奥さんがよく私の本を読んでくれているそうで、ありがたい。

偶然会って急に誘われたトークイベントなんて出たほうがいいに決まっている

1缶飲んでその場を失礼し、ライブ会場のある鶯谷へ、電車を乗り継いで向かう。鶯谷の駅前の雰囲気、すごく懐かしい。いつも賑わっている焼き鳥の「ささのや」を眺め、「東京キネマ倶楽部」へ。かつてキャバレーだったホールで、何度か来たことがあったのを思い出す。会場はギュウギュウの活況で、ドリンクチケットを引き換えに並んだあと、ステージ向かって左のできるだけ隙間のある場所に立ってずっと見た。

東京キネマ倶楽部でトリプルファイヤーのライブを見る

メンバーがひとりずつ、ステージ上に現れて演奏がはじまり、最後にボーカルの吉田靖直氏が登場する。甲高くてへろへろないい声で、「お酒を飲んだときの俺はめちゃくちゃ面白いからきっとびっくりすると思う」みたいな主旨の歌などを歌う。ゲストメンバーもいて、普段のライブよりも演奏が豪華らしかった。歌も歌詞も好きだが、トリプルファイヤーの曲の、特にギターの音が好きでたまらない。大きな音でそれを堪能できてよかった。

ステージ上で、吉田氏だけがずっと酒を飲んでいる。最初は缶ビールだったのが、一回裏に引っ込んだ後に再登場したら缶チューハイの「タコハイ」を手にしていて、笑えた。ステージ上で缶ビールはなんか格好がつくけど、「タコハイ」は一気に間が抜けて見える。いいなー。私の見間違いだろうか、たしかにタコハイを飲んでいたと思う。

これだけ人がいるのだから「あれ、来てたんですか!」と友達に会って、「せっかくだからちょっとそこら辺で一杯、どうですか?」みたいに進展することもあり得るかと思っていたのだが、そんなことはなかった。会場を出て、いちばん近くのコンビニでタコハイを買い、ラブホテル街を歩く。この路地をよく歩いた。「信濃路」とか、いい酒場もあって飲みに来たし、小さな音楽バーみたいな場所でたまにバンドでライブをしたりもした。美味しい焼肉屋もあったはず。

鶯谷のラブホテル街を歩いてみる

明日、豊田道倫(とよだ・みちのり)さんに大阪で会う。豊田さんはずっと東京に住んでいたはずだから、鶯谷もきっと歩いただろう。豊田さんの歌をスマホで再生したら、景色とすごくよく馴染む気がした。「明日どんな話をしよう」と思いながらぐるぐると歩いた。

2025年2月22日、新幹線に乗る。正確には乗る前に、人形町の中華料理店「生駒軒」で大好きなタンメンを食べてから乗った。

このタンメンを食べずに帰ることはできないのだ

東京駅に着いて、いちばんすぐに発車する大阪方面行きの新幹線に飛び乗って、自由席は混んでいたけど、なんとか座れた。発泡酒を飲んで寝て、16時過ぎに新大阪に到着。最寄り駅まで乗り継ぎ、重たい荷物だけ部屋に置いて、またすぐに出発。

大阪・北浜の書店「FOLK old book store」が目的地で、そこで今夜「『午前三時のサーチライト』刊行記念トーク&ミニライブ」が開催され、“トーク”のほうに私を呼んでいただいたのだった。

このイベントに誘ってもらったのは割と最近のことだった。東京からトークイベントのために大阪に来ていたライターのマンスーンさんと、共通の友人であるKさんと一緒に大阪のあちこちを飲み歩いていた一日があった。前日、私はマンスーンさんの梅田のトークイベントに出させてもらって、それで翌日は一日自由だというので、大阪散策をしていたのだった。

大国町から難波へと飲み歩き、天満に移動して飲み、腹ごなしに少し散歩でもしようと天神橋筋商店街に来た。天神橋筋五丁目あたりから、途中、古書店で買い物をして、天神橋筋二丁目まで歩いてきた。「熱帯夜」という雑居ビルの3階のレコードショップがあって、たまに近くに来ると寄る。

店主の秋葉慎一郎(あきば・しんいちろう)さんが知り合いで、というか、ある日、天満の居酒屋で飲んでいたら秋葉さんが入ってきて(入口から店内が見えたらしい)、「スズキさんですよね! 天満でレコード屋やってるんで、よかったらいつか来てください!」とチラシを渡されたのが出会いだったのだが、それ以来、お店に行ってはのんびりとレコードを聴きながらお話をさせてもらうようになった。

そんな店に東京から来たマンスーンさんを連れていき、「俺、大阪にこんな友達がいますんで!」と自慢したいような気持ちが私にあったのかもしれなかった。とにかく、その「熱帯夜」でひと休みさせてもらいつつ、あれこれ話していた。秋葉さんが「いやーお久しぶりです。今日、さっきまで豊田道倫さんがいらっしゃって、いや、ニアミスでした。ちょうど会えたらよかったんですけどねぇ」と言っていた。

私は豊田道倫さんの音楽をずっと追いかけてきたわけではない。東京・御茶ノ水のレンタルCD店「ジャニス」でアルバムを借りて聴いていた。豊田さんが数年前に大阪に拠点を移されたと友人から聞いて「へー!」と驚きつつ、でも豊田さんと自分が会うことがあるとは思わなかった。豊田さんの歌には生々しい言葉が溢れていて、無難なところにばかり着地させてしまおうとする自分はきっとすぐに軽薄さを見抜かれてしまうだろうと、そういう怖さを感じる存在だった。

私は『あまから手帖』という関西のグルメ雑誌にたまに原稿を書くことがあるのだが、その雑誌に豊田さんの連載があって、編集長からも豊田さんの話を聞いたりして、CDを聴いているだけのときよりは少しだけ身近に思っていたが、とはいえ、遠い存在なのだった。

その豊田さんがさっきまでこのレコード店にいたそうだ。「そうなんですね! いつか会ってみたい!」などと軽口を叩いて、あれこれ話していたら、しばらくしてお店に豊田さんがやってきた。「どこかにキャップ忘れてなかった?」と、被っていた帽子をどこかで無くしてしまったらしく、それを探しに戻ってきたのだった。

結局、店内に帽子はなかったのだが、私はそのタイミングに便乗して「ライターをしているスズキと申します。『あまから手帖』にたまに書いていて」と挨拶をした。「あ、どうも。知ってますよ」と豊田さんは言ってくれて、少しだけ会話して、「じゃあ、また」とお店を出ていこうとして、すぐにこっちに振り返り、「22日って暇? トークイベントに出てもらえない?」と言うのだった。

私はびっくりして、スマホのスケジュールを見たら、21日はトリプルファイヤーのライブで、でも22日の早い時間に戻ってくればいける……と思いながら、「たぶん、あいているかもしれません」ぐらいの中途半端な返答をそのときはして、そのあとで改めて22日のトークイベントに呼んでもらうことが決まったのだった。あんなふうに偶然に会って、そこで急に誘われたトークイベントなんて、出たほうがいいに決まっていると思った。

大阪を舞台にして豊田さんが書いた短編小説集『午前三時のサーチライト』が昨年末に刊行されて、その記念イベントとしてのトーク&ミニライブとのこと。本も送っていただき、読んだ。それこそ、新幹線の行き帰りにも読み返して、好きな場所に付箋を貼っていた。

その本を持って、さらに私はイベントのあと、そのまま滋賀県の琵琶湖畔に行かねばならず、その準備をして着替えなどもリュックに詰め、北浜へ向かった。

「FOLK old book store」では豊田さんがライブのリハーサルをしているところだった。作家のマリヲさんもその手伝いをしていて、久々に会えた。急に緊張してきて、近くのコンビニでチューハイを買って飲んで、徐々にお客さんが集まって、そのなかには『あまから手帖』の編集部のみなさんがいたりもした。

トークの時間がはじまり、私は傍らに缶ビールを置きつつ、おそらくしどろもどろで、本の感想を伝え、大阪のことなどを話したと思う。豊田さんは優しかった。トーク相手がちゃんと務まったのか心許ないが、とにかく時間は過ぎ、豊田さんのライブがはじまった。豊田さんのライブを見るのは初めてだった。『午前三時のサーチライト』に書かれていた物語がそのままメロディを持ったかのような歌もあった。『東京の恋人』という歌が大好きで、聴きながら、昨日歩いた鶯谷のラブホテル街を思い出した。最後は『大阪へおいでよ』という曲。「大阪へおいでよ 君がもし疲れてたら よかったら」「大阪へおいでよ 何もない しけてる街 僕はいる きっとずっと明日も」(作詞/作曲:豊田道倫)、沁みる。

豊田さんのライブ、見れてよかった

豊田さんのライブを見に来たという方も私の新刊を買ってくれてありがたい。サインをさせてもらったりして、それであっという間に出発する時間になった。帰り際、豊田さんが「待って、リュック開いてる」と言って、私のリュックのチャックをしっかり閉めてくれた。そのキュッという音に気合を入れてもらった気がして、私は外へ出た。

あの雪のなかに飛び込んで消えてしまいたい

北浜駅から梅田駅。大阪駅から京都方面へ行く新快速に乗って、守山という駅で各駅停車に乗り換える。ホームを降りたら雪が降っていて、みんな震えて電車を待っていた。私も震えた。琵琶湖の東岸、目的地の近江八幡駅に降りたら雪はもっと強くなっていて、改札前に竺原(じくはら)みなみさんが待ってくれていた。

私は明日、早朝から竺原さんが手伝いをしている「伊勢大神楽(いせだいかぐら)」という神事に同行し、取材させてもらうことになっていて、それで今日のうちに近江八幡駅前のビジネスホテルまでたどり着く必要があったのだった。夕飯のタイミングを逃してお腹が減っていたので駅前のコンビニで「とろ~っと半熟たまご&チーズのロコモコ」とサラダを買ってホテルへ向かう。

あたりは雪が積もっていて、こんなにしっかりした量の雪を見るのはいつぶりだろうと思う。新幹線で米原の雪景色を見たとき、「あの雪のなかに飛び込んで消えてしまいたい」と思ったが、実際に、雪のなかを歩いているとただ寒過ぎて辛い。

雪の降りしきる近江八幡駅前

道案内してくれた竺原さんにお礼を言い、ホテルの部屋で猛然と食事。明日の朝が早いのですぐに寝る。

2025年2月23日、ワンボックスカーに乗ってフェリー乗り場へ向かう。6時にロビーに降り、大急ぎで朝ごはんを食べ、伊勢大神楽の神楽師のみなさんが乗る車に私も入れてもらう。窓の外は一面の雪。フェリーが出るかどうか微妙なところらしい。

どうして私がここにいるかというのにも割と偶然のいきさつがある。大阪・谷町にある老舗ちんどん屋さん「ちんどん通信社」を以前取材させてもらったことがあり、そこの若手ホープとして活躍されている竺原さんにお世話になった。その竺原さんはちんどん屋のようないわゆる「放浪芸」に興味を持ち、その分野を研究されている方でもある。街頭を宣伝活動をして練り歩くちんどん屋だけでなく、他の芸能にも積極的に関わっている。

そうした活動のなかで「伊勢大神楽」にも接点を持ち、その神事のお手伝いをしているのである。伊勢大神楽は、簡単には伊勢神宮に参拝できない遠地の人々に伊勢神宮のお札を配り、神楽を奉納する集団とその神事自体を指す。400年とも500年とも言われる長い歴史のなかで、ただお札を配ってまわるだけでなく、曲芸や漫才のような芸能を披露するようになっていったようだ。

伊勢大神楽とひと口にいってもそれを行う集団、「社中」が複数あり、私が今回同行させてもらうのは「山本源太夫社中」である。主に滋賀県や福井県をめぐるその社中が、年に一度、琵琶湖に浮かぶ有人島である「沖島」へ行って神事を行うのが今日なのだ。

私は以前、「アイランダー」という、日本各地の離島の関連団体が出展する大規模な催しを取材したことがあり、会場内の「沖島」のブースに立ち寄った。そこで出展者から島のことを色々聞き、大阪からも行きやすい離島である沖島にいつか行ってみたいと、そんなことを取材記事に書いたのだった。

それを竺原さんが読んでくださり、「もし沖島に行くのなら、よかったら伊勢大神楽が2月23日に同行してもらうのはどうですか?」と声をかけてくれたのだった。それでここに来た。今回は11人で神事を行うみなさんのなかにお邪魔し、フェリー乗り場から沖島へと向かう。

フェリー乗り場から沖島へ向かう

そこでの体験は別の記事に詳しく書く予定なのだが、島の家々をめぐり、その家の中や軒先で獅子舞を舞う様子は神々しく、目の前の光景なのにどこか夢のような気がした。

家々をめぐってお札を配り、神楽を奉納する

早朝から夕方まで神事が続き、最後、漁船で湖岸へ送ってもらう。その際、一団は笛や太鼓を演奏しながら島を離れていく。島からこっちに向かって手を振っている人の姿があった。その光景はきっとずっと忘れられないだろうと思った。また、初めて来た沖島の風景も心に残り、また何もない日にも来てみたいと思った。

夢のような光景を見た

ホテルに戻ってみなさんに挨拶をし、私は再び竺原さんに送っていただきつつ近江八幡駅へ。そこから新快速に乗ってしまえば1時間ちょっとで大阪。今日見てきたものをゆっくり思い返しながら帰路についた。

2025年2月24日、大阪環状線に乗る。大阪駅で降り、地下道を歩いて「清風堂書店」へ。ビルの地下に店舗を構え、大阪の巨大な地下通路にも直結した場所にある書店で、1967年の創業だ。

好きだった梅田の清風堂書店

ビルの建て替えによって2025年2月末で閉店することが決まっており、梅田散策のついでにここに立ち寄るのが好きだった私は寂しい。人文系の本の品揃えがすごくよくて、お店に入ってすぐの書棚を見るだけで、世の中の動向が伝わってくるような、今重要とされている問題が見えてくるような気がしていた。

その「清風堂書店」の、残り1週間を切った貴重な営業日に、誘われて“一日店員”をさせてもらうことになった。“一日店員”は大げさで、13時から15時までの2時間、店頭に立ち、自分の本を買ってくださった方にサインをしたりするという主旨である。

今日は私の他にお三方の一日店員がいて、それが朱喜哲(ちゅ・ひちょる)さん、田野大輔(たの・だいすけ)さん、百木漠(ももき・ばく)さんという、それぞれに人文・社会・政治の分野で重要な研究をされている方々である。そこになぜか、私。このメンツでいこうと決めたスタッフの谷垣大河(たにがき・たいが)さん、謎である。

しかし、またとない面白い機会だ。まさか「清風堂書店」に店員として立つことになるとは思わなかった。バックヤードでエプロンを着用し、用意してもらった名札をつけてお店へ。

こんな書店が本当にあったら楽しい

「お客さんが本当の店員さんだと思って本の場所を聞いてくることもありますので」などと説明を受け、隅のほうに立っていた。しばらくのあいだは誰からも声をかけられず、平積みされた本の、少しずれているのを整えたりして過ごす。

20代の一時期、東京・早稲田の書店でバイトをしていたことがあって、そのときのことを思い出した。あの頃、サボりまくっていたな。もう、その書店もない。

「スズキさんですよね?」と声をかけてくれたお客さんがいて、買ってくださった本にサインを入れる。それからはあまり途切れずに人が来てくださり、あっという間に時間が経っていった。

なかには「おすすめの本を選んでもらってもいいですか?」と言う人もいた。なんせ初めて店員を務める店なので、どこにどんな本があるか、把握しているわけではないのだが、店内をうろつき、「小説を選んで欲しいです」という方に松岡千恵さんの『ヘンルーダ』という短編集を渡したりした。その瞬間、仕事をした、という充実感があった。

2時間がすぐに経ち、もう15分ほど延長して終了。名札と、お店の書棚にあった「スズキナオ」という本の仕切りプレートを記念にいただく。お店の方に挨拶し、本を何冊か買って帰る。

清風堂書店で、最初で最後の仕事

終了間際にお店に顔を出してくれたYさんと「軽く一杯行きますか」と大阪駅前ビルにある立ち飲み「晩杯屋」へ。生ビールをゴクゴクと飲み、やっと人心地がついた気がした。

「いや、今日もそうだし、この数日、なんかすごく色々あって、どこから話せばいいか、まずは……」と、それからずっと、私の話は止まらないのだった。

*       *       *

スズキナオ『今日までやらずに生きてきた』は毎月第2木曜日公開。次回第11回は4月10日(木)17時公開予定。

筆者について

スズキナオ

1979年東京生まれ、大阪在住のフリーライター。WEBサイト『デイリーポータルZ』を中心に執筆中。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』、『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』、『「それから」の大阪』など。パリッコとの共著に『ご自由にお持ちくださいを見つけるまで家に帰れない一日』、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』、『“よむ”お酒』、『酒の穴』などがある。

  1. 第1回 : 疲労の果ての酵素浴
  2. 第2回 : 薬草風呂でヒリヒリした日
  3. 第3回 : ジムに2回行った
  4. 第4回 : ホテルの40階でアフタヌーンティーを
  5. 第5回 : 打ちっぱなしから始まる知らないことだらけの一日
  6. 第6回 : ずっと放置してきた足の痛みと向き合ってみる
  7. 第7回 : 太極拳教室で膝がガクガクした
  8. 第8回 : 初めて貼る冷えピタ、初めて飲む龍角散ダイレクト
  9. 第9回 : 泣いて食べたイノシシ鍋、自分のために一輪挿しを買う
  10. 第10回 : 流浪の4日間、たどり着いた生ビール
連載「今日までやらずに生きてきた」
  1. 第1回 : 疲労の果ての酵素浴
  2. 第2回 : 薬草風呂でヒリヒリした日
  3. 第3回 : ジムに2回行った
  4. 第4回 : ホテルの40階でアフタヌーンティーを
  5. 第5回 : 打ちっぱなしから始まる知らないことだらけの一日
  6. 第6回 : ずっと放置してきた足の痛みと向き合ってみる
  7. 第7回 : 太極拳教室で膝がガクガクした
  8. 第8回 : 初めて貼る冷えピタ、初めて飲む龍角散ダイレクト
  9. 第9回 : 泣いて食べたイノシシ鍋、自分のために一輪挿しを買う
  10. 第10回 : 流浪の4日間、たどり着いた生ビール
  11. 連載「今日までやらずに生きてきた」記事一覧
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