今日までやらずに生きてきた。本を書くための取材で、福島県にレンタカーを借りて向かった。福島県の東側の海沿いを移動していく途中、双葉郡双葉町に立ち寄った。同じ双葉郡の大熊町には、2011年3月11日に発生した東日本大震災の影響で水素爆発を起こした福島第一原子力発電所がある。双葉町には「東日本大震災・原子力災害伝承館」という、震災の記憶を伝える施設があり、ぜひ見ておきたいと思ったが、その日は休館日だった。帰りにまた寄ろうということになり、近くにあるフードコートでお昼ご飯を食べていくことにした。
「この後、少し時間はありますか? よかったら双葉駅のあたりを案内しますよ」
今、福島県相馬(そうま)市に来ている。福島県の北部、太平洋に近い位置にある相馬市に滞在するのは私にとって初めてのことで、それこそ、ここで体験しているのが今日までやらずに生きてきたことばかりなのだが、それは別の形でいつかまとめるとして、昨日聞いた話について書きたい。
私は昨日、東京から福島県へ来た。一緒に本作りをしているKさんの誘いを受けて相馬市で取材をすることになって、それがメインの目的なのだが、東京からKさんの運転するレンタカーに乗って福島県の東側の海沿いを移動していく途中、双葉町に立ち寄った。
双葉町(ふたばまち)は福島県の双葉郡の町名で、同じ双葉郡の大熊町(おおくままち)には、2011年3月11日に発生した東日本大震災の影響で水素爆発を起こした福島第一原子力発電所の1号機から4号機がある(5~6号機は双葉町にある)。
双葉町には2020年9月に開館した「東日本大震災・原子力災害伝承館」という、震災の記憶を伝える施設があり、せっかくの機会だからぜひ見ておきたいと思って立ち寄ることになった。しかし、うっかりしていて、その日が休館日にあたっていた。残念に思ったが、数日の取材を終えた帰り道に寄るという手がある。とりあえずはそうすることにして、その東日本大震災・原子力災害伝承館のすぐそばにある「双葉町産業交流センター」の中のフードコートでお昼ご飯を食べていくことにした。

フードコート内の「ペンギン」というお店のサンドウィッチを食べた。あとで調べてわかったことだが、その「ペンギン」は、かつてはJR双葉駅前にあり、地元の方々に愛されてきた店だそうである。しかし、駅前にコンビニができたことなど、時代の変化もあって2007年に閉店した。それから、2011年に震災があり、原発に近い双葉町は全町避難となってその後の避難生活があり、2020年に双葉町産業交流センターが開業するにあたり、フードコートへの出店者が募集されているのを現オーナーが知り、震災で大きな影響を受けた地元の人に懐かしい味を、と、この地でお店を再開することにしたそうだ。

私はそんな経緯を知らず、「スペシャルサンド(ビーフ)」を注文して、580円という値段から想像のできないボリュームに驚いていた。

「これ、半分でこの値段でもいいのに! すご過ぎる……」と、その量に少しうろたえながら美味しくいただき、施設を出て再び車に乗り込もうとしたところ、一緒に歩いていたKさんを誰かが呼び止めた。
それが山根麻衣子(やまねまいこ)さんで、山根さんは神奈川県横浜市出身。東日本大震災の発生時も横浜にいて、その後、ボランティア活動をしていくなかで、もっと継続的に復興に関わろうと、東北への移住を考えるようになったという。2014年9月に双葉町の“復興支援員”という仕事に就き、福島県のいわき市に移り住んだ……という経歴も、私はあとから少しずつ知っていったことで、最初は、Kさんを突然呼び止めた人、として山根さんと出会った。
山根さんはローカルライターとしても活動していて、あちこちのメディアに原稿を書き、ありがたいことに私の書いた本も読んでくれたことがあるという。我々は再びさっきのフードコートに戻り、コーヒーを飲みながら、今度は山根さんが食事をするのを見守ることにした。
その場には山根さんの友人で、ライター業の先輩でもある中川雅美(なかがわまさみ)さんも同席され、ふたりがライター仕事に関する情報交換をするのを脇で聞き、たまに私もそこに混ぜてもらったりした。そんな小一時間があったのち、山根さんが双葉町産業交流センターの屋上の展望台へと誘ってくれた。展望台からの眺めは広い。

「あの、向こうにポコッと出てるところがあるじゃないですか」と山根さんが指差す。「あそこが第一原発です」

「こんなに近いのか」と、自分が今いる場所もよくわかっていない私はやっと思う。あっちが中間貯蔵施設で、海辺の屋根の建物の3階まで津波が来た。この辺りは災害危険区域ということで住宅は建てられないエリアなので、復興祈念公園として整備していて、来年開業予定のホテル(カンファレンスルームなども備わっているそう)も建設中である。

山根さんは福島県いわき市から双葉町へと転居した。お住まいはJR双葉駅のすぐそばにある町営住宅で、その住宅地は2022年に入居が開始されたエリアなのだという。「この後、少し時間はありますか? よかったら双葉駅のあたりを案内しますよ」と山根さんは言った。「東日本大震災・原子力災害伝承館が休館日で残念だった」という話を私たちがしたから、気を遣ってくださったのかもしれなかった。
長く福島県の復興に関わってきて、しかも第一原発のある双葉郡に住んでいるという山根さんに街を案内してもらえるなんて、とてもありがたい話である。「ぜひ!」ということになり、それぞれ車に乗って、JR双葉駅前で改めて集合することになった。これから書くのは、そこで聞いた1時間半ほどのあいだの話である。