なんでもないんだけど、広々としていて、カウンターやボックス席や座敷があって、気どらないつまみがあって、どんな客層にも対応してくれる適正価格のお店。遠方からあえて出向かないけれど、なんだかんだ今夜もまたここにいるお店。その日も結局、JR御徒町駅からすぐの場所にある地下の大箱大衆酒場へ向かった。
「気がつくとまたここで飲んでいる」系の酒場がある。
酒場ファンに名を轟かせる人気店とか、話題の新店とか、強い個性のある専門店とかではなく、言葉は悪いけれども、あまりなんでもない店。広々としていて、カウンターやボックス席や座敷があって自由に過ごせ、気どらないつまみがあれこれあって、どんな客層にも対応してくれる。言うまでもなく適正価格。だけど、大規模チェーン店ではないから、適度にカラーもちゃんとある。遠方からあえて出向こうとまでは思わないけれど、なんだかんだで今夜もまたここにいる。そんな酒場が、僕は好きだ。
という前置きのあとに紹介するのはちょっと心苦しいんだけど、たとえば上野御徒町にある「村役場 御徒町店」がそのひとつ。
上野は名店ひしめく酒場のメッカなので、友達とハシゴ酒をするにはうってつけの街だ。「大統領」「肉の大山」「カドクラ」「たきおか」「魚草」「味の笛」……さて今日はどこに行こうか? なんてテンション高く飲み歩き、やがて腹具合も酔い加減もいい感じに仕上がり、けれども名残惜しくもう少し飲んでいたい。そんなとき、誰からともなく飛び出す言葉がこれだ。
「じゃあ、村役場行きますか」
先日、飲み友達でライターのスズキナオさんと、朝からある取材を一緒に受けるという機会があった。それが昼ごろに終わり、お互いにその後の予定もないので、自然と「どこかで飲みましょう」という流れになる。自分で書いていてどうかとも思うが、気ままなフリーライター同士だからこその自由時間だ。
なんとなくやってきたのが上野近辺で、そこへ共通の友達であるシンガーソングライターのbutajiさんが合流してくれ、ひとしきり飲み歩く。夕方には次の予定があるとのことでbutajiさんとわかれ、こんどはYouTubeチャンネル「パリコダマ」のコダマさんが合流してくれた。僕とナオさんはすでに6時間は飲んでいるので、かなりのポンコツ状態。それを見たコダマさんがの第一声がこうだ。「その感じなら、もう『村役場』行きますか?」。できる男とはこういう人物のことを言うのだろう。

村役場は、JR御徒町駅からすぐの場所にある、地下の大箱大衆酒場。酒場らしからぬとも思える店名だが、なんとなく懐かしいような、村の若い衆たちがわいわいとなにかの打ち上げをする店的な雰囲気も感じられる味わいが絶妙にいい。
大小さまざまな木製テーブルと椅子に、紺色の座布団。民芸調の内装もあいまって、なんとも心が落ち着く。店内へ入ってすぐのフロアにはけっこう先客が入っていたが、僕らは少しゆったりと過ごしたかった。また、あわよくば他の人の迷惑にならないように動画なども撮影したかった。そこでお座敷席が空いているかを店員さんに確認すると、大丈夫とのこと。一歩上がると、注文や配膳効率のためか、広い座敷フロアには先客ゼロ。それでも嫌な顔ひとつせず通してくれるなんて、申し訳なくも、なんて懐の広い店なんだろうかと感動する。粋な酒飲みを演じて背筋をピシッと、ではなく、壁に背中をもたれかけてだらっと飲めることのありがたさよ。
メニューは幅広く、一品もの、刺身、焼きもの、揚げもの、天ぷら、食事系に、寿司まである。壁に並ぶ手書きの短冊メニューには、「いかワタ沖漬け」や「あげギンナン」などの渋いものもあれば、「たこ焼き」や「カニクリームコロッケ」などポップなものもあり、その自由さこそが居心地の良さなのだ。なぜか激推しされている「ドラキュラ(トマトジュース・焼酎)」「レッドアイ(トマトジュース・ビール)」の、トマトカクテル2種もたまらなくかわいい。
「ホッピーセット」(税込670円)で乾杯し、ゆるゆると怠惰な1日を締めくくってゆこう。つまみは「かぶのぬか漬け」(380円)、「げそわさ」(520円)、「春ギク天ぷら」(550円)かな。
ところで、僕がなぜ今回、この連載で村役場を取り上げようと思ったかというと、すこし久しぶりにやってきたこの店の、一品一品の料理のちゃんとした美味しさに、あらためて関心してしまったから。
まずやってきたかぶのぬか漬けが、自家製らしきぬかの香りの良さと、絶妙に酒に合う塩加減で、一瞬面食らってしまうほどうまい。スライスされたかぶ本体だけでなく、葉っぱもぬか漬けにして添えてあるのも嬉しい。かぶの葉は地味だが、数ある野菜のなかでもかなり上位に入るくらい好きな野菜だ。
ゆでたいかにわさび醤油をつけて食べるだけのげそわさだが、これもぷりぷりとした身がたっぷりの量で出てきて驚いた。おなじみのツマの下に、ほたての殻やひのき葉まであしらわれている心遣いにもおそれいる。
さらに驚いたのが春菊天。僕は立ち食いそばのメニューなら春菊天そばがいちばん好きなんだけど、そばの上にのる春菊天には、かき揚げだったり束のものを揚げていたりと、いくつかのパターンがある。なかでももっともテンションが上がるのが、巨大な茎つきの1枚葉をうちわのように揚げ、それが丼からはみ出ているパターン。豪快な見た目と軽快な食べごたえのバランスが理想的で、それに当たると嬉しくなってしまう。
ここの春菊天は、そのタイプの天ぷらが大皿に数枚のる、ものすごい迫力の一品だったのだ。これで550円はすごい。基本的に立ち食いそばでしか出会うことのない天ぷらを、熱々のままザクザクほおばる楽しさ。ふわりと広がるほろ苦さと甘さ。決して、世に数ある天ぷらネタのなかで、とりわけ酒に合うというわけではないだろう。だけど村役場で酒のつまみとして食べる春菊天には、それを補ってあまりある“体験”としての価値があった。
村役場はなんと朝11時から夜11時まで、定休日の日曜を除いて通し営業中。つまり、上野近辺でも相当早くから飲める店のひとつというわけだ。冒頭の“「気がつくとまたここで飲んでいる」系”という言葉をつつしんで撤回し、次回は朝一で、ここを目指して飲みにこなければ申し訳ない気分だ。ただ、その日の最後にたどり着くのも、やっぱりまた村役場なんだろうな。

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『酒場と生活』毎月第1・3木曜更新。次回第38回は2025年12月18日(木)17時公開予定です。
筆者について
1978年、東京生まれ。酒場ライター、漫画家、イラストレーター。酒好きが高じ、2000年代より酒と酒場に関する記事の執筆を始める。著書に『酒場っ子』『つつまし酒』『天国酒場』など。ライター、スズキナオとのユニット「酒の穴」名義をはじめ、共著も多数。







