あえて希望を持つ。世界は偶然で動いている

死ぬまで落ち着かない

『完全自殺マニュアル』から30年、60歳を迎えた著者が自らの人生を賭して書いた楽に生きるためのマニュアル『死ぬまで落ち着かない』。希望は年を取るにつれて失っていくものの代表です。人が死にたくなるのも必要以上に希望を失うせいです。では、私たちはどう生きればいいのか。

「希望を持っていこう」

私はいつも部屋で、わざわざ声に出してこう言っています。

「陽気に行こう」も同じように、よく声に出すようにしている言葉です。

希望は年を取るにつれて失っていくものの代表です。若い頃に比べて先が短くなり、可能性が狭まってくるのだから、それも当然です。

一方で人が死にたくなるのも、簡単に言えば必要以上に希望を失うせいです。中高年になったら希望喪失を放置しておくと、致命傷になりかねません。

私は日頃から「そのうちなんとかなるだろう!」という植木等の歌を繰り返し聴いています[*1]。落ち込んだ時に心が軽くなるからです。

なぜこれで心が軽くなるのか。「そのうちなんとかなる」は希望だからです。

この世界は運まかせである

「希望なんて持てない」と思われる人も多いでしょう。けれども私は、誰にでも希望がある理由を明確に言うことができます。

六十年間生きてきて思い知ったのは、この世界があまりにも運まかせだということでした。自らの将来に与えられる影響のうち、個人の力など半分以下なのではないでしょうか。

自らの容姿や生まれる場所、家族を選べないのはもちろんです。

私は家庭内で、小さい頃から兄からの暴力や嫌がらせに苦しんできました。人生の途中で出会い、長年にわたり攻撃をしてきた人物もいます。このような人物に出くわしたのは、悪運以外の何物でもない。

「いいことをした人ほど幸運に恵まれる」などということは決してありません。日ごろから人助けをしている人ほど天災にあわないなどというデータがあるでしょうか。「こんな悪い人はいずれ誰からも愛想をつかされるだろう」などと思っても、なかなかそうはなりません。

この世界は酔っ払いみたいなものです。

「神は酔っ払いだ」と言ってもいい。

いい人、悪い人の区別なく、幸運や不運をでたらめに与えているのです。幸運に当たるか不運に当たるかは、まさにガチャ、サイコロの目しだいです。

この世界は、人間が考えた善・悪という判断を越えています。

このことを「不条理」と呼んで、哲学の一大テーマにした思想家がいるほどです[*2]。

ただしそれに皆が気づいてしまったら、真面目に努力する人などいなくなってしまう。そこで人は、神や天国と地獄といった概念を作ったのでしょう。

少し話がそれますが、単に運が悪かったせいで死ぬほど苦しい目にあった人の怒りや恨みは、具体的な個人よりも、この世界全体に向かうはずです。「神」に向かうと言ってもいいかもしれません。

それは不幸をもたらした人物や個別の事象よりも、この運まかせの世界に憤っているからなのです。

自分自身がこれまでにやったことと、受けた仕打ちが釣り合わないではないか、と。自分がそんなに悪いことをしたのか、もっと不運を受けるべき悪者がいるだろう、というわけです。

「いいことをすれば必ずいいことがあります」

こんな言葉は端的に言って噓です。そう言わないと人が善の行動をとらなくなるので、噓を信じ込ませているのです。

けれども私は、そんなことはもう気づかれているのだから、広く知らしめていいと思っています。それが本当のことであるなら、そうとわかっていたほうが結局はいいほうに転ぶと私は踏んでいるのです。

この世界のでたらめさにも、悪い面しかないわけではありません。

不運の目も幸運の目も出る確率は同じ

私の言う「希望」があるのは、まさに「世界は運まかせ」だからなのです。

あなたは我が身に十回のうち十回、不運ばかりが訪れている気がしているかもしれません。けれども考えてみれば、一〇〇パーセント同じサイコロの目を出すなんて、それはそれで真面目ではないですか。

この世界はそれほどの真面目さも持ち合わせていません。

でたらめであるがゆえに、どんな人にも最悪の不運と同じ確率で最高の幸運の目も出してしまうのです。

よく思い出してみれば、忘れているだけで、幸運の目が出たこともあったはずです。これが私の言う「希望を持っていい根拠」です。

この世界はあなたにずっと絶望を与え続けるほど真面目ではありません。

人生の終わりが近づくほど、希望と呼べるものは小さくなっていきます。

二十~三十代は人生がもっとも大きく膨らむ時期ですが、五十~六十代ともなると大きな仕事はだいたいおしまいです。

それでも六十歳になってわかるのは、スケールが小さくなった日々の暮らしにも、小さいながらも不運も幸運もあるということです。

九十代前後の私の両親にも、死が目の前に迫った人にさえ、日々の不運と幸運は見えているでしょう。

そして不運があるかぎり、幸運もあるというわけです。

この世界は善悪の区別もつかないほどでたらめです。

だからこそいいことを何もしていなくても、希望が転がり込んでくるかもしれない。

無理に気楽になろうとしなくても、もともとそんな気楽な世界に生きているのです。

[*1] 『だまって俺について来い』歌:ハナ肇とクレージーキャッツ、作詞:青島幸男/作曲:萩原哲晶、一九六四年

[*2] ニ十世紀フランスの思想家、文学者アルベール・カミュ。不条理についての代表的著作は『シーシュポスの神話』。

書誌情報

『死ぬまで落ち着かない 六十年生きてみてわかった人生のこと』
著=鶴見済
定価:1600円+税

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筆者について

鶴見済

一九六四年、東京都生まれ。東京大学文学部社会学科卒。複数の会社に勤務したあと、一九九〇年代初めに文筆家に。生きづらさの問題を追い続けてきた。精神科通院は十代から。つながりづくりの場「不適応者の居場所」を主宰。著書に『人間関係を半分降りる 気楽なつながりの作り方』(筑摩書房)、『0円で生きる 小さくても豊かな経済の作り方』、『脱資本主義宣言 グローバル経済が蝕む暮らし』(以上、新潮社)、『完全自殺マニュアル』、『人格改造マニュアル』、『檻のなかのダンス』、『無気力製造工場』(以上、太田出版)などがある。
X(旧Twitter):鶴見済(@wtsurumi)/note:鶴見済(https://note.com/wtsurumi)

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