アメリカのロサンゼルスを拠点に、活躍の場を世界に広げるギタリスト・MIYAVIが、8月31日に新作『Fire Bird』をリリースした。今では“サムライ・ギタリスト”として世界から注目されるMIYAVIだが、もともと彼は、セレッソ大阪のユースチームに所属していたという経歴の持ち主。なぜMIYAVIは、そこまで打ち込んだサッカーを辞め、ギターという道を選んだのか? 9月1日発売の『クイック・ジャパン』vol.127で、MIYAVIはこのように語っている。
「小学2年生でサッカーを始めたんですけど、当時はちょうどJリーグが開幕した頃で。チームではずっとキャプテンでした。その頃は田舎でブイブイいわせてたわけですけど(笑)。で、その小学校を終えるタイミングで、どうせやるならプロの世界にいきたいと思って、セレッソ大阪のユースチームの試験を受けたんです」
そして見事に合格したものの、「そこで一度挫折してる」「完全に心がへし折られた」というMIYAVI。片道1時間半かけて練習に通う生活は、想像以上に厳しかったようだ。
「それまでは休み時間にもボールを蹴ってたのに、もうそれどころじゃなかった。しかも、俺だけが市外のチームに行っちゃったもんだから、学校の友達ともだんだん距離ができちゃうし、カノジョからは『もうつまんない』と言われちゃうし(笑)。完全に孤立してましたね。そういうタイミングで、足をケガしちゃって」
そんなことがあってサッカーから離れ、虚無感に襲われていたMIYAVIが出会ったのがギターだったのだとか。辛い経験を経たMIYAVIだが、ギターとの出会いは奇跡的だったようで、
「中学校の頃はサッカーボールを蹴って世界中を旅したいと思っていたけど、今はこうしてギターを担いで世界を飛び回ってる。で、『Fire Bird』のテーマは『心さえ折れなければ、また飛べる』ってこと。これから先も、俺はこういうことを歌っていきたい」
と、語っている。
◆『クイック・ジャパン』vol.127(2016年9月1日発売/太田出版)
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