なんてことないことがなくなったら、なんてことあることしかなくて大変だ。これは、『ケトル』の副編集長である花井優太が、生活の中で出会ったことをざっくばらんに、いや、ばらっばらに綴り散らかす雑記連載です。第8回。
※初出:雑誌『ケトル』編集部note公式(4月25日)
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映画館も、演芸場も閉まっている。用があろうがなかろうが、時間があれば立ち寄る新宿紀伊国屋も休業に入ってしまった。開いていたところで、行くのは難しい。コロナウイルスは、僕の習慣も親しい景色も奪って行く。唯一の外での楽しみは、近所のスーパーへ買い物に行き、野菜や肉を選ぶこと。アマゾンプライムには、会員なら課金せずとも読める料理本もある。iPad Proの画面を通して見る色とりどりの品に満足しては、結局毎日すでに作ったことがあるものを作っているのだ。今まで寄り道しては鯨飲が珍しくない日々を過ごしていたわけだから、そんなすぐにパッパと美しく家事などできない。緊急事態宣言が発令されて以降上達したのは、マルタイの棒ラーメンの茹で加減くらいである。
本を読み、散漫な集中力を恨むこともしばしば。文字を追うだけで、頭に入ってこない。映画を一本観きるのも今は辛くて仕方がない。こうなってしまうとお手上げで何をする気も起きないが、手持ち無沙汰な時間も苦手であるからして、どうにか自分が取るに足らないことに集中できる時間を作りたい。そして何を思ったのか、宅録でもしようかなんて、学生の頃に買ったマルチ・トラック・レコーダーを棚の奥から引っ張り出す。名機、ZOOM R8。冷蔵庫から取り出したビールを飲みながら、起動するともう何年も前に作った曲のデータがいくつも残っていた。ゼンハイザーのヘッドフォンを耳に当て、かつての自分の演奏と声を聴く。こういうZOOM飲みも悪くないじゃない。
ひとしきり小っ恥ずかしい音を楽しんだ後は、つい先日作った曲を録音したくなった。新しいプロジェクトを設定し、ギターのシールドを直接ぶっ刺す。ガイドトラックの作成からスタートだ。しかしここで突然、機器がフリーズ。電源もつかなくなってしまった。最後ギリギリ壊れる前に立ち会えたのか、それとも僕が起動したから壊れたのかはわからないが、久しぶりの対面にもかかわらず永遠に別れることになってしまった。
遡ること12年前、この機材を勧めてくれたのは中学と大学が同じだった同級生だ。彼は中学からベースとギターをはじめ、高校の頃にはずいぶんと上手だった。中学の頃はたいして交流がなかったが、高校生になってからは彼の家に何人かでよく集まり音楽の話をした。スレイン・キャッスルで演奏するジョン・フルシアンテの音に唸ったり、レイトシックスティーズを背伸びして聴いたり、誰かがレディオヘッドを流せば誰かが退屈だからやめろといったり。こうした時間が僕をかたちづくっている。
ジェフ・バックリーを知ったのも、そいつの家に転がっていた「クロスビート」のレビューページだった。次の日にはディスクユニオンに行き、どんなミュージシャンかもよくわかっていないまま『即興~Mystery White Boy Tour~』を買い、えらく感動したのを覚えている。当時熱を上げていたレディオヘッドの『ベンズ』の制作期間、トム・ヨークがジェフ・バックリーを聴いていたことを知るのはそれからずいぶん経ってからだけど、感覚的に近いものだと理解したはずだ。嬉々としてiTunesに入れ、しばらく登下校中は常に聴いていた。たしか、マイブラの『ラブレス』を買うまでは。
手に入れたCDをそれぞれが持ち寄り、自分なりにプレゼンして友達に良さを伝えようとする。興味がないミュージシャンのことも、苦手なバンドのことも、それなりに詳しくなってくる。大学に入るとその集まりは開かれなくなったけど、僕は同級生の彼とは学校どころか軽音サークルも一緒で、毎日顔を合わせていた。もともとの音楽の好みが違ったりもしたし、僕は自分が作曲したくて、彼はコピーを楽しんでいたから、音楽の話を深くすることはなくなった。ただ、作曲をしてデモを作っていくにあたって、どんな録音機材を買うべきか相談した相手は彼だった。マルチにいろんな機能が搭載されていて、値段も2万円ぐらい。大学生の財布には大打撃の金額だが、その存在によって環境は異様に向上する。
「まあ、ほかもあるけど、値段もそこそこだし便利っしょ」
そんな適当な一言に背中を押されて買った。そして、一人で必要以上にコーラスを重ねたり、わざと風呂場でギターの音を撮ったり、それまで知り得た偉人たちの録音法を試しては、まったくもってダメなトラックを量産する日々を楽しんだ。思い返せばよみがえってくる記憶は紙幅がいくらあっても足りないぐらいあるが、大抵は家でコソコソと曲を作り一人ニヤニヤ聴いていただけだ。でも、確実に僕を没頭させていた。
だからきっと、今になってまた触りたくなったに違いない。先行きが不安な毎日のなかで自分を失わないための場所として、不安定な若い日々を救ってくれた拠り所に帰りたかったのかもしれない。ただ、壊れてしまったものは仕方ないし、兼ねてから気になっていた新しいマルチ・トラック・レコーダーを買った。タスカムのやつ。操作も簡単で、音も良い。これでデモを大量につくり、ちょっとずつ発表していこう。できた曲は、公開する前に大学時代の友達にまず聴いてもらうか。
三十路を過ぎてもこんなにワクワクするとは……嬉々として録音をしようとしていた時に、大学時代の友人の一人からLINEで連絡がありスマホの画面に目を落とす。
「****さんが*月*日、悪性リンパ腫で逝去されました」
同級生の彼が他界したという。去年の中頃から、闘病しているのは知っていた。簡単に死ぬようなやつではないと思っていたし、そうなるなんてことは考えたくもなかった。大学を卒業してからは、数人しかいない軽音サークルの同期で気まぐれに行われる宴席で年に1回会うぐらい。気まぐれなタイミングだからいつも誰かいない。集まりが悪い。昔の話をすることはなく、みんな現在の自分の仕事の話をする。しかしそこが良い。関係の強さと頻度は必ずしも比例しない。だから次に会うのは、退院したタイミングだろうと思っていた。
楽観的で、賑やかな空気が似合う男。人望が厚く年上からも年下からも好かれる男。彼がいなくなったことが信じられないし、実感もない。焼香を上げるときに、どんな言葉を心のなかでかけるかも浮かばない。なんてことないことを書くこの連載に、なんてことあることをこうして書いているのは、そうすることで事実を受け入れようとしているのだろうか。
葬儀は来週行われる。集まりが悪いはずの同期も、全員出席する。
◼️NOTES
1●ZOOM R8
コンパクトで多機能。録音機能だけでなく、ドラムパッドまでついている。今となっては宅録といえばパソコンでやるものですが、当時はMTRが学生バンドマンの中では主流。ギターケースのポケットに入れて持ち歩き、練習スタジオで録音していた。
2●ゼンハイザーのヘッドフォン
僕が持っているのは大学3年生の頃に買ったHD515。高音質ヘッドフォン500シリーズのエントリーモデル。今はもう生産されていない。
3●ジョン・フルシアンテ
1970年生まれ。レッド・ホット・チリ・ペッパーズのギタリスト。しばらく同バンドを離れていたが、去年2度目の再加入。同級生の彼がもっとも好きだったギタリスト。
4●レイト・シックスティーズ
この原稿では60年代後半の音楽を指す。ビートルズ、キンクス、クリーム、ジミヘン、色々聴いていた。でも、彼は放っておくとSAM41をかけはじめる。
5●レディオヘッド
1992年デビューのイギリスのロックバンド。僕らは『ヘイル・トゥ・ザ・シーフ』と『イン・レインボウズ』の間を高校生として過ごした。
6●ジェフ・バックリー
アメリカのシンガーソングライター。1966年生まれ、1997年死去。「このジェフ・ベックみたいな名前のやつ何者なんだろう?」という会話をしたことを覚えている。
7●クロスビート
シンコーミュージックが2013年まで発行していた音楽雑誌。
8●マイブラ
マイ・ブラッディ・バレンタイン。1984年にアイルランドのダブリンで結成されたバンド。高校3年生の頃はほぼ毎日聴くぐらい陶酔しており、同級生の彼に「お前よくこんな眠いの聴けるな」と言われたことでその場が険悪な空気になった思い出がある。
■筆者プロフィール
花井優太(はない・ゆうた)
プランナー/編集者。太田出版カルチャー誌『ケトル』副編集長。エディトリアル領域だけでなく、企業のキャンペーンやCMも手がける。1988年サバービア生まれサバービア育ち。Twitter : @yutahanai