虐待、売春、強姦、ネグレクト……沖縄の夜の街で働く少女たちの足跡は、彼女たちを取り巻くざまざまな問題を示している。『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』は、沖縄出身の教育学研修者・上間陽子が、2012年夏から2016年夏まで、沖縄独自の問題や、身近な誰かにも起こりうる問題、それらから受けた傷や苦悩を背負いながらも懸命に立ち上がり、自分の居場所を作り上げるため歩み続ける少女たちに、自ら寄り添った4年間の記録である。ここでは各エピソードの冒頭を一部ご紹介する。
あたらしい柔軟剤あたらしい家族
ことのほか好きなインタビューの記録がある。
沖縄でもようやく涼しい風が吹くようになった秋口に、キャバクラに出勤する前の京香と会って、ご飯を食べながらトランスクリプトと呼ばれるインタビューの書き起こしのデータの確認と、補足のインタビューをした日の記録だ。
京香のその日の出勤時刻は午後11時だったので、京香と打越さんの3人でインタビューをしながらご飯を食べて、ドライブがてら京香を家まで送っていった。
車のなかで京香は、今夜着ていくドレスをまだ洗っていなかったといいだして、「あれを、1回脱水して、干して……乾くだろうな。乾かなかったら、扇風機の前に置いとく!」といった。
途中で米兵の起こした衝突事故があって、道路は大渋滞だった。小さな車で長時間過ごしていたからか、車内で京香は腰が痛いと話していた。深夜に出勤すると、たいていは明け方の5時前後まで働くことになる。深夜から明け方までの勤務の前の身体の不調に、今夜の仕事は大丈夫かなと私たちは心配していた。
ようやく家に着いて車から降りようとしたときに、京香は腰を伸ばして、「よいしょ、腰、痛い!」といった。そしたらさっきまで心配していたはずの打越さんが笑いながら、「だいじょうーぶ?」と京香をからかった。そうしたら京香が間髪いれずに「なめんなよ! 若者を!」と怒鳴り、そしたらもっとでかい声で「うるせーよ!」と打越さんが怒鳴って、開いたドアから虫の声が鳴り響き、それに伸びやかな笑い声が重なり広がって、ドアが閉まる音で記録が終わる。
その日の記録が好きだ。これからドレスを洗い、生乾きのドレスを着てキャバクラに出勤するという18歳になったばかりの京香の勢いが、夜の暗さに負けない声にあらわれているように思える。
空が高くて星がたくさんあった。夜の闇に笑い声が吸い込まれていくような夜だった。
*
私と京香は、京香が17歳のとき調査をきっかけにして知り合った。
京香はキャバ嬢で、自分の実家で父親と兄と弟と自分の子どもの紫音と5人で暮らしていた。京香の実家は、郊外の広い敷地に立つ大きな一軒家で、一見すると京香の家はお金に困っている様子には見えなかった。だが京香の父親は、毎日お酒を飲んでは車の運転を繰り返し、ついに飲酒運転で逮捕されて仕事を解雇されてしまっていた。父親が逮捕されたあと京香の母親は怒り、離婚して家を出ていた。
京香は中学校を卒業してすぐに、子どもをひとり産んでいた。そして出産後、実家近くの居酒屋で働きはじめた。
それから8カ月して、京香は仕事をやめた。そもそも未成年者が10時以降の深夜勤務をすることは違法であることに加えて、10時以降は広いホールをひとりで見ないといけなくなり、「忙しすぎて割に合わない」と思ったからだと京香は話した。
京香が次にはじめた仕事は、朝にオープンし、昼過ぎには閉めてしまうキャバクラ、「朝キャバ」だった。京香はその店で、キャバ嬢として働きはじめた。
朝キャバには、仕事が終わってから飲み直す同業者や、店を何軒もハシゴしてやってくる泥酔した客も多い。それに加えてその店は、ヤクザの出入りもある店だった。 京香は、初めて働くようになったキャバクラで、キャバ嬢の身体を触ろうとする客に対して、大声を出して大騒ぎをすることで反撃していた。
いつもいうわけ。「さわんな!」「面倒くさい、やー(=おまえ)」っていってから、「タッチ無理! 無理! 無理!」っていってから、「料金出るよ!」っていってから、「じゃあ、いくらか?」って客がいって、「3万とか! 払え! じゃあ」って。ほんで、「なんか? やー、面倒くさい!」とか大きい声で叫ぶわけ。そしたらメンバーも気づくさ。
(2012年9月13日)
京香は、暴力的な客をあしらうことがことのほかうまかった。たとえば刺青を見せて威張る客に対して、「コイが色塗られてないから、マッキーのペンで塗るか?」とからかってみたり、指を詰めた客の席につき、客の目の前でわざと自分の指をならして「あー指がこる!」といったりしながら、あえて無礼に振る舞うことで場を沸かせ、客をあしらっていた。
京香と出会ったころは朝キャバから深夜のキャバクラに移った直後で、京香は、気が向くと店に来た客と「遊び」に行ったりしながら過ごしていた。
「遊ぶ」とは、客と1回かぎりのセックスをすることを意味している。京香は、客と自分は「気軽な」「お互いに都合のいい関係」だと話し、自分はだれとも持続的な恋愛関係をもつつもりはないと話していた。
――いま付き合っているひといないの?
(2012年9月13日)
ないよ。
――つくりたくない?
いらない。
――なんで?
面倒くさい(笑)。面倒くさい……。
――キャバ(の客)で「遊ぶ」くらいがちょうどいいってかんじ?
都合のいい関係でいたい。どちらも都合のいいときならいいかな、みたいな。
京香の言葉は、私には少し珍しいことのように思えた。というのも、キャバ嬢のなかには、客のなかから結婚相手を探しているシングルマザーたちがいたからだ。
そもそも彼女たちは、子どもをひとりで育てるために、金払いがよいとされる風俗業界で働く。だが、キャバクラの時給はせいぜい2000円前後で、そこから送迎代とメイクやヘアメイクのためのスタジオ代を差し引くと、日給は1万円前後にしかならない。さらに、深夜から明け方までお酒を飲み続ける仕事は体力的にもきつく、長期的に働き続けることは難しい。だから子どもがいるキャバ嬢たちの多くは、子どもを育てるためにこの仕事についたものの、結局その仕事をやめるために、身近なところから次の相手を探すことになる。
*
この続きは『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』本書にてお読みいただけます。上間陽子『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』特設サイト
筆者について
うえま・ようこ。1972年、沖縄県生まれ。琉球大学教育学研究科教授。 1990年代から2014年にかけて東京で、以降は沖縄で未成年の少女たちの支援・調査に携わる。『海をあげる』(筑摩書房)で「Yahoo!ニュース|本屋大賞2021ノンフィクション本大賞」他受賞。ほかに「貧困問題と女性」『女性の生きづらさ その痛みを語る』(信田さよ子編、日本評論社)、「排除II――ひとりで生きる」『地元を生きる 沖縄的共同性の社会学』(岸政彦、打越正行、上原健太郎、上間陽子、ナカニシヤ出版)、『言葉を失ったあとで』(信田さよ子と共著、筑摩書房)など。2021年10月から若年ママの出産を支えるシェルター「おにわ」を開設、共同代表、現場統括を務める。おにわのブログは、https://oniwaok.blogspot.com。『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』(太田出版)が初めての単著となる。