「献身的」で、なくていい! 突然、働き盛りの夫を襲った脳卒中と半身の後遺症。何の知識もなかった私は、ゼロから手探りで夫の復帰までを「闘う」ことになる――。当事者だけがツラいんじゃない。家族にも個別のツラさがある。ここでは、ライター・三澤慶子が綴る、葛藤と失敗と発見の記録である『夫が脳で倒れたら』から一部ご紹介。正しいカタチなんてない、誰もがいつか経験するかもしれない、介護のリアルをお伝えしていく。 本書から、第一章を全11回にわたって公開。第2回目。
発症、麻痺の悪化とセカンドオピニオン~夫は『ゼロ・グラビティ』の境地へ②
病院に着くとどうやら外来診療受付開始時間には少し早かったようで、受付スタッフはしばらくお待ちくださいと言った。ホームページで確認したつもりだったが時間を見まちがったのだろうか。トドロッキーを見れば絶不調の表情をしている。
スタッフに聞いてみた。
「体調がかなり悪いみたいなんですけど、すぐに診てもらうことはできませんか? だめならほかの病院に行ってみます。すぐに診てもらえる病院を近くに知りませんか」
スタッフは直立するトドロッキーを一瞥して奥へ消え、すぐに医師と共に現れた。まもなく主治医となる一倉医師。
一倉医師は言った。
「すぐ診ましょう。診察室に来てください」
良かった!
そういえばここは救急病院。救急対応してくれたことになるのだろうか。ありがたい。
診察室で一倉医師にトドロッキーの朝起きてからの様子を伝えると、医師はトドロッキーに両腕を突き出すポーズをさせ、目を瞑らせていくつかの動作をさせた。
「MRI検査しましょう」
迅速に検査が進んでいく。指示に従いトドロッキーはMRI検査室へ歩いて入っていった。その足取りはさっきまでとは打って変わってしっかりしていた。何だ、大丈夫じゃん! 体調が大きく崩れたってことかな。
点滴でもして終わるんだろう、検査結果に問題は見当たらないから家で様子を見てください、って言われるやつ。検査がこのペースなら点滴を受けたとしても2本のインタビュー取材は余裕で間に合いそうだ、なんて考えていた。
MRI検査室前のベンチでトドロッキーの検査終了を待っていた私のところに、一倉医師が足早にやってきてこう言った。
「ご主人、脳梗塞です」
……はい?
「まだ検査中ですけど、画像確認しましたので。このまま入院してもらってすぐ治療に入ります。あとで入院手続きを取ってもらいますので」
それだけ伝えて医師は忙しそうな足取りですぐに去っていった。
私はベンチに座ったまま、たった今、一倉医師が置いていった言葉を反芻した。脳梗塞脳梗塞……。
体の表面に薄氷が張ったみたいな感覚に陥った。
どうしよう。
脳梗塞。でもトドロッキーは歩けてる。そうか初期だったんだと勝手に無知な素人判断を下した。そんなに深刻な事態じゃないと思い込むことで動揺から抜け出したかったんだと思う。すぐにトドロッキーの仕事に考えを巡らせた。
まず最初にインタビュー取材のドタキャンをしなければ。2本か。何時からなんだろ。
トドロッキーにインタビュー記事を依頼した編集者がこのドタキャンでどれくらい慌てるかは手に取るように分かる。一刻も早く連絡をしたいところだけれど、トドロッキーはまだMRI室の中にいて検査中だ。連絡先が分からないから待つしかない。
そういえば今日までの原稿も数本あるって言っていた。そっちも急ぎで連絡しないと。あの様子だときっと原稿の締切は今日だけでなく、明日も明後日も重なってあるはずだ。
トドロッキーはこの後、病室で電話かけられるのかな。無理か。入院て何日間? それも伝えなきゃ。
20数年前、トドロッキーとは仕事場で知り合った。私が勤めていた出版社の雑誌編集部に出入りしていて、編集者とライターという関係だった。その後私はあれこれの仕事を経験したけれども、結婚して始まったトドロッキー事務所の雑務係歴はどれよりも長い。トドロッキーのスケジューリングから執筆には立ち入らないけれど、お付き合いのある出版社や編集者の名前、終わった仕事についての内容くらいは把握している。緊急入院で私が至急やらなければならないことが山積みとなって出てくるんだろうと覚悟した。
トドロッキーが検査室から出てくる前に、まず私だけ診察室に呼ばれた。
一倉医師がモニターにトドロッキーのMRI画像を表示し、説明していく。
「白いもやがかかった部分、ここが梗塞部分です」
確かに左脳の一部に白いもやがかかっていた。もやの部分が大きくてぞっとした。
脳内の血管を映した画像が出たときは、太い血管が部分的にものすごく細くなっているのを見て足が竦んだ。今にも閉塞しそうな細さだった。
無知な素人だが、これらの画像でトドロッキーの脳の中が深刻な状態になっていることがはっきりと分かった。もやの範囲の広さと血管の細さ、初期とかいうレベルではない。
医師から説明された内容はこうだった。
入院期間は2週間で、その間ずっと絶え間なく点滴治療を続けること。
梗塞しているのは右半身の筋肉を動かす部分であること。右半身に後遺症の麻痺が出るが、どの程度のものになるかはまだ分からないこと。
すぐに点滴治療を始めるから梗塞が広がる可能性は低いが、近くには言語を司る部分もあり、ここまで広がってしまうと言葉を使うことができなくなること。
梗塞が始まってから既に1、2日経っていると思われること。脳梗塞は早期の処置が大事で、発症4、5時間以内ならば治療方法があり、うまくいけばほとんど障害のない状態まで回復できる可能性がある。rt-PA(アルテプラーゼ)という血栓溶解療法が有効だが、トドロッキーは治療効果の期待できる時間をとうに超えていること。
歩けていても痺れを感じたら、それはもう救急車を呼んで一刻も早く病院に向かうべき事態であること。
どの事柄にも心臓が潰れそうになったけれど、一番強烈だったのは言葉を使うことができなくなる可能性を示唆されたときだった。
「言語の部分もだめになる可能性があるってことですか?」
「最悪の場合です。大丈夫だとは思います」
太い血管が今にも閉塞しそうなほど細くなっている画像が目に焼き付いている。大丈夫な感じはまったくしない。
「言語の部分がだめになるとどうなるんですか? 言葉が出なくなるってことですか?」
「失語症とは違います。思ったことを言葉に置き換えることが難しくなります」
それってもう……。
「手術はできないんですか?」
あの細くなった血管を広げる手術は選択肢にない?
「ご主人の場合手術はできません。詰まっているのはごくごく細い血管の部分です。手術できる部分じゃないんです。点滴での治療効果を見ていく、ということになります」
トドロッキーの問題は太い血管が細くなっていることじゃなく、毛細血管の方だと言う。
「夫は文筆業をしてるんですけど、言葉がだめになったらできなくなるってことですか?」
「その場合は、そうですね」
どうしようどうしようどうしよう。
トドロッキーは物事を言葉で編んでいくことを生業にしている。トドロッキーの生は文筆することと直結しているとずっと感じていた。書けなくなればきっと生きていることを嫌がる。
「多分大丈夫です」
医師は言った。
「2週間は治療をしますが、治療が効けばそのまま家に帰れます。右側の動かしづらさの後遺症は残ると思いますので、リハビリをしながらということになりますけど、仕事もできるんじゃないでしょうか」
本当に大丈夫なんだろうか。
私は脳梗塞について知らなすぎた。自分には関係ないと思っていたってことだ。きちんとした知識を入れる機会はあったのに、しなかった。
頭をよぎったのはトドロッキーが今は故人となられた俳優の夏木陽介さんの本を編著したときのことだ。夏木さんはトドロッキーにご自身の脳梗塞発症時の経験を語っていた。私はインタビュー音声をせっせと文字起こししたから内容が頭に入っている。
夏木さんはご友人と麻雀をしていたとき、手を伸ばし摘んだ麻雀牌が持ち上げられなくなったそうだ。ご自身はなぜだかまったく分からずやり過ごそうとしていたそうだが、即反応したご友人が知り合いの医師に問い合わせ、検査が必要だと分かってすぐに病院に連れていってくれたのだという。そのおかげで脳梗塞を初期段階で治療することができて、後遺症も出ず助かったと夏木さんは語っていた。脳梗塞はどういう病気なのか、このときにちゃんと理解しておくべきだった。
もちろんこれはトドロッキーに語った話だからトドロッキーにも同様の後悔があるだろうと思うけど、私は私でなぜ夏木さんのご友人たちのような行動がとれなかったのかと猛烈に悔いた。
「責任を感じます。なぜすぐに病院に連れてこなかったのか。もっと早く気づけたはずなのに」
たまらなくなって一倉医師に懺悔した。トドロッキーは数ヶ月前に手の痺れを訴えていたのだ。昨夜のあのカッとした、いつもと違う苛立ち。気づけたはずだ。
すると医師は言った。
「それは思わなくていいんです。責任なんか感じる必要ないんです。今、ご主人はここにいるじゃないですか。連れて来たじゃない。連れてくるタイミングのことで後悔はしなくていいんですよ。今病院にいることが大事なんです。今ご主人は治療を受けられる状態にある。これが大事なんです」
この言葉は私を少し楽にさせてくれた。
「テレビやなんかで救急車を安易に呼ぶことを批判したりするから、本当に呼ぶ必要がある人がためらったりする。ためらわなくていいのに。ニュースとかね、取り上げ方がよくないね」
こうも言ってくれた。私から、そんな負い目なんか背負わなくていいんだよ、と荷を降ろしてくれていることが分かって、その気遣いに泣きそうになった。
気持ちを切り替えなきゃ。
こうなったんだから仕方ない。前を向いてできることをやっていくだけだ。どうぞトドロッキーをよろしくお願いします。気持ちとしては、額を床に擦りつけてお願いしていた。
自責の念は、実は今でもある。諦めは早い方だがこれは別だ。でも思い詰めることをしなくてすんだのは、この一倉医師の言葉のおかげだ。
診察室を出ると時間のかかる手続きが待っていた。取材のドタキャンの電話連絡を急がなきゃと思いつつ、トドロッキーもまだ検査中だというのでソーシャルワーカーに誘導されるまま何枚もの入院関連書類にサインをした。
* * *
この続きは『夫が脳で倒れたら』本書にてお読みいただけます。
*本文中に出てくる病院、医療関係者、患者などの固有名詞は仮名です。
筆者について
みさわ・けいこ。北海道生まれ。ライター。
(株)SSコミュニケーションズ(現(株)KADDKAWA)にてエンタテインメン卜誌や金融情報誌などの雑誌編集に携わった後、映像製作会社を経てフリーランスに。手がけた脚本に映画『ココニイルコト」『夜のピクニック』『天国はまだ遠く』など。半身に麻痺を負った夫・轟夕起夫の仕事復帰の際、片手で出し入れできるビジネスリュックが見つけられなかったことから、片手仕様リュック「TOKYO BACKTOTE」を考案。
轟夕起夫
とどろき・ゆきお。東京都生まれ。映画評論家・インタビュアー。『夫が脳で倒れたら』著者・三澤慶子の夫。2014年2月に脳梗塞を発症し、利き手側の右半身が完全麻痺。左手のみのキーボード操作で仕事復帰し、現在もリハビリを継続しつつ主に雑誌やWEB媒体にて執筆を続けている。近著(編著・執筆協力)に「好き勝手夏木陽介スタアの時代」(講談社)J伝説の映画美術監督たちX種田陽平」(スペースシャワーブックス)、「寅さん語録」(ぴあ)、「冒険監督塚本晋也」(ぱる出版)など。