「献身的」で、なくていい! 突然、働き盛りの夫を襲った脳卒中と半身の後遺症。何の知識もなかった私は、ゼロから手探りで夫の復帰までを「闘う」ことになる――。当事者だけがツラいんじゃない。家族にも個別のツラさがある。ここでは、ライター・三澤慶子が綴る、葛藤と失敗と発見の記録である『夫が脳で倒れたら』から一部ご紹介。正しいカタチなんてない、誰もがいつか経験するかもしれない、介護のリアルをお伝えしていく。 本書から、第一章を全11回にわたって公開。第4回目。
発症、麻痺の悪化とセカンドオピニオン~夫は『ゼロ・グラビティ』の境地へ④
トドロッキーはこのほかにも各種取り揃えの錠剤どっさりセットを処方された。その中に抗うつ剤が入っていることを知って、そっと一倉医師に聞いた。
「抗うつ剤が処方されているってことは、夫にうつ症状があるってことですか?」
「いや、そうじゃないですけど、脳卒中(*「脳梗塞」は「脳卒中」のひとつ)の患者さんにはみなさんに出してるんです。うつを発症する人が多いんですよ。体の状態が大きく変化しますからね」
「予防ということですか?」
「予防ではないです。うつになっているかどうかはなかなか気づけないのでね。気づいたときには遅かったということのないように出してるんです。退院して様子を見て、必要ないということでしたらやめることを検討してもいいと思いますけど、今は飲んだ方がいいです」
トドロッキーはかなり図太い神経の持ち主だ。うつになるような人間ではないと思っていたからそのときは余計な薬を飲まされている感じがしたが、あとになって、その可能性は十分あって気をつけなきゃいけない問題だとすぐに理解することになった。
トドロッキーが入ったのは6人部屋だった。坂の上脳神経外科病院は救急病院だから当然救急患者がひっきりなしに運ばれてくる。トドロッキーの6人部屋は、男性の救急患者が運ばれてくるとまず入ることになる病室の一つだった。緊急手術を受けた術後の人もいる。病状が安定すれば別の病室に移動となる。
泥酔した急性アルコール中毒の人が運ばれて来たこともあるが、これはレアケース。脳神経外科だけにほとんどは脳卒中の人たちで、ひどい後遺症を抱えてしまった人たちばかりだった。後遺症は様々だがほとんどの人がトドロッキーよりも重く、ベッドサイドにモニターが繋がれていた。
生死の際を彷徨っている人たちに繋がっているそれは、ひっきりなしにアラームを鳴らす。排泄のコントロールができなくなった人たちの排泄処理時の臭い、記憶がおぼつかなくなった人が記憶を辿るために繰り返す独り言、全身が麻痺で動かなくなったうえに思考も感情もあるのに言葉にして表現することができなくなった人の絶望の嗚咽、駆けつけた親族たちの動揺などが常に漂っていた。
窓には鉄格子がかかっていて、少ししか開かないようになっていた。抗うつ剤が処方されている患者の病室に鉄格子ならそれはもう自殺防止目的だ。
「ここひどいよ」
トドロッキーが声を潜めて言った。
「患者が聞こえてないと思ってるのか、反応しないからどうでもいいと思ってるのか知らないけど、看護師とか助手の人たち、ここで病院の不満をずっとしゃべってんだよ。俺聞こえてんの分かってるはずなのに気にしてないんだよね」
面会時間の前、朝食の後のことだという。まさかとは思うが、なんとなくそんなことが行われている感じがしないでもない雰囲気があった。看護師なのか看護助手なのか、それ以外の人たちなのか分からないが、受け答えの感じのよくない人がときどき現れたから。
「この病室ってそういう溜まり場みたいなトコなんだと思う」
「この病院ブラックじゃん」
そういえば、ここの病院のスタッフの質を疑う出来事があった。
入院手続きをしていたときのこと。ソーシャルワーカーに問われるまま、家庭や仕事の状況を説明した。トドロッキーは文筆業で、妻の私も似たような仕事をしているフリーランス夫婦であること。息子が二人いること。
私はトドロッキーが脳梗塞だと聞かされたばかりだ。冗談めいたことを話す心境ではなく、問われたことに対してシンプルに答えていた。そして話の流れでこんなことを話した。
「麻痺がどうあれ、家に帰ってきて欲しいです。息子たちの帰る家に夫もいてほしいです」
私のこの言葉に対し、ソーシャルワーカーは、くふふと笑った。何が面白かったのか分からないが彼女は笑った。くふふ。
あれ? と思った。
雰囲気的には笑うところではまったくない。プロ意識の高いソーシャルワーカーなら脳梗塞を発症した患者の家族に寄り添う姿勢を見せるだろう場面であって、笑っちゃいけないところだった。
非常に不愉快に感じたが、彼女は若い。見た目は20代。経験不足ゆえかもしれないが、明らかに空気を読めない人だった。
もしかしたら、こんなことでいちいち不愉快になっている私がどうかしてるのかも。トドロッキーが脳梗塞と聞かされたばかりで相当気持ちがヤラレてるってことなのかも、と気を取り直し、ソーシャルワーカーの態度についてそれ以上考えるのをやめた。
でも思い返せば、あのソーシャルワーカーって、私がもし病院の人事担当だったなら採用しない。面接だけで十分空気が読めないタイプだってことが分かるもの。
だとしたらこの病院、他の病院で採ってもらえなかったような人材しか集められないくらいスタッフには不人気な病院なんじゃないだろうか。だって見るからに重篤な患者ばかりでキツそうな職場だ。
「2週間、なんとか乗り切ってよね。2週間したら帰れるんだから」
2週間なんてあっという間だ。トドロッキーは物書きなんだからこの経験もきっと役にたつ。大丈夫。2週間なんかあっという間だ。
ただ、聞けばトドロッキーの麻痺は入院初日の昨日より少し進行していた。箸を持つ手に違和感を感じると言った。
「字がうまく書けないんだよ」
サイドテーブルに置いてあったノートにはボールペンで文字がズラズラズラと書かれていた。手の麻痺を感じたトドロッキーが書く練習をした跡だった。かなりのミミズ文字。指先の麻痺が進んでいた。
「握りやすいボールペン、買って来てくれないかな」
いつものボールペンは細くて持ちづらいらしい。
「字を書くのに時間かかっちゃってさ」
ミミズ文字にはたっぷりインクが乗っていたから、ミミズ文字を書くのにもかなり苦労したんだろうってことが一目で分かった。バリアフリーのペンなんてどこに売ってるのかなあ。
「握るところがぶっといやつ探してみるよ。でもさ、前からこんな字じゃん」
もともと字が汚くてメモを渡されても読むのに苦労する。パッと見で読むのを諦めることもあって、渡されたメモを手に、書かれている用件を口頭で聞くという何ともバカらしいやりとりをすることも多々だ。
「本気出せば俺の字は綺麗だった」
そう言うが見たことはない。
「結婚前? 何十年も本気出してないでしょ。もともと字が汚いと麻痺が出たかどうか分かんないもんだねぇ」
笑い飛ばしてみたものの、同じミミズ文字とはいえ字体は明らかに変わっていて別人が書いたよう。麻痺が出ていることはもちろん分かる。
トイレに行くためにベッドから立ち上がったトドロッキーの足の運びも、昨日よりゆっくりだった。重い足取り。
言葉には変化は感じられず、しっかりと話せていた。
昨日、診察室で医師は言っていた。麻痺は出るがリハビリで仕事復帰はできるだろうと。
「リハビリすれば大丈夫だよ」
脳の言語の部分にも梗塞が広がる可能性についてはトドロッキーには言っていない。医師がトドロッキーにもその可能性のことを話したのかどうかは確認してないが、余計な不安を持たせたくなかったし、その心配はいらないように感じていたから。
トドロッキーが夕食をとる様子を見ていれば、箸の扱いが昨日より明らかに下手になっている。握る形をキープできないのか、握力がなくなっているのか、箸がグラグラ揺れていて持ち上げた料理がぼろぼろとこぼれ落ちた。
麻痺は進行していたが、もう止まると信じていた。
私はその日の帰り、文房具店でグリップが1番太いボールペンを買った。
家に帰って、打ち消したはずの不安がじんわりと膨れ上がってきた。トドロッキーの容体が気になってしょうがない。今日で麻痺が止まりますようにと祈りながら、この日もトドロッキーの取引先に入院した旨のメールを出した。2週間で退院し、その後仕事復帰予定だと書き添えて。
* * *
この続きは『夫が脳で倒れたら』本書にてお読みいただけます。
*本文中に出てくる病院、医療関係者、患者などの固有名詞は仮名です。
筆者について
みさわ・けいこ。北海道生まれ。ライター。
(株)SSコミュニケーションズ(現(株)KADDKAWA)にてエンタテインメン卜誌や金融情報誌などの雑誌編集に携わった後、映像製作会社を経てフリーランスに。手がけた脚本に映画『ココニイルコト」『夜のピクニック』『天国はまだ遠く』など。半身に麻痺を負った夫・轟夕起夫の仕事復帰の際、片手で出し入れできるビジネスリュックが見つけられなかったことから、片手仕様リュック「TOKYO BACKTOTE」を考案。
轟夕起夫
とどろき・ゆきお。東京都生まれ。映画評論家・インタビュアー。『夫が脳で倒れたら』著者・三澤慶子の夫。2014年2月に脳梗塞を発症し、利き手側の右半身が完全麻痺。左手のみのキーボード操作で仕事復帰し、現在もリハビリを継続しつつ主に雑誌やWEB媒体にて執筆を続けている。近著(編著・執筆協力)に「好き勝手夏木陽介スタアの時代」(講談社)J伝説の映画美術監督たちX種田陽平」(スペースシャワーブックス)、「寅さん語録」(ぴあ)、「冒険監督塚本晋也」(ぱる出版)など。