2022年6月3日(金)に公開を控えた、映画『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』。本作の監督で漫画家・アニメーターの安彦良和がこれまでに手掛けてきた「全仕事」を、30時間を超えるロングインタビューで語り下ろした『安彦良和 マイ・バック・ページズ』(2020年11月発売)。ここでは、安彦良和作品のファン、そして最新作の公開を待つ方々にとっても永久保存版となる本書の中から、映画がもっと楽しみになるエピソードをご紹介します。第一回と第二回では、『機動戦士ガンダム』誕生に迫るエピソードを前編・後編に分けて公開。これを読んで、安彦良和の軌跡を共に辿りましょう。
『機動戦士ガンダム』の始動とアニメ業界の変化
1977年から78年にかけて、日本サンライズから少し距離を取り、アニメーターとしての新たな方向性を探っていた安彦。その間も長浜忠夫が監督していた『闘将ダイモス』や富野由悠季が監督していた『無敵鋼人ダイターン3』で絵コンテを担当するなど、日本サンライズから完全に離れる形ではなく、スポット参戦的に仕事をし、その一方で、前述したオフィスアカデミーが制作する劇場版『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』、TVシリーズ『宇宙戦艦ヤマト2』の仕事を請けるなどして過ごしていた。
そして、78年に新たなアニメーション企画に携わることになる。それは、翌年の1979年に放送が開始され、後に社会的なブームを巻き起こし、その後の安彦の代表作になる『機動戦士ガンダム』のテレビシリーズだった。
76年に創映社は、出資してもらっていた親会社である東北新社から離れ、日本サンライズへと社名を変更。翌77年には、自社オリジナル第1号作品である『無敵超人ザンボット3』を制作。この作品には安彦もキャラクターデザインとして参加した。続く、第2号作品となる『無敵鋼人ダイターン3』が78年に放送され、ロボットアニメとしてスポンサーであるクローバーから発売されていた玩具も大ヒットし、両作品ともターゲットである男児だけでなく、その頃増え始めていた年長のアニメファンからも高い支持を得ていた。
そんな中、日本サンライズが送り出す、3つめの作品を作るため、度重なる企画会議が行われていた。
『ガンダム』の前に、東北新社と一緒に『地球奪還司令テラホークス』という企画に関わっていてね。かなり話が進んだけど、結局ボツになってしまった。当時は、SFネタがまだ行けると思っていたし、企画が上手くいけばサンライズの役に立てると思っていたんだよね。
その後で、これは間違いなく日本サンライズの企画だという作品の会議に呼ばれて、そこから出たのが『ガンダム』だったんだよね。
その頃は、『テラホークス』の企画がボツになって挫折しているから、SF的なネタを何か出せと言われても、俺の方からはちょっと出ないという感じで。そんな中で、富野氏があの企画を出してきた。俺も若干の提案はしたと思うけど、あれは徹頭徹尾、富野氏が作ったものだよと、そう言い切っていいと思うね。
『機動戦士ガンダム』の企画会議は1978年の夏から始まる。それも、何かイメージするものがあるわけはなく、企画としては本当に真っさらな状態からスタートしたという。
日本サンライズのスタッフとして、フリーという立場だけどよく出入りしている奴だからということで、「何か企画はないのか?」と会議に集められたのが最初で。確か、8月頃の夏場ですごく暑い時期だったと記憶している。
取っ掛かりに関しても、全然何もない状態。だから、企画部長の山浦栄二さんが人を集めて何か出せよと。当時日本サンライズが借りていた六畳くらいのアパートの1室に集まって、みんなで車座になって「何かないかなー」って言っているという、本当にそういう感じで。当時は、『宇宙海賊キャプテンハーロック』なんかで、松本零士さんも元気にやっていた頃で、「男のロマン」もやられちゃったし、SFもひと昔前みたいには売れないし。『テラホーク』にしたって毎日放送に、『サンダーバード』で当たったジェリー・アンダーソンの名前使って企画を出したんだけど足もと見られて。SFはあまり売れないってことも言われていた。そういうのって、一朝一夕で変わるから、ちょっと時期が変わると「SFはいらない」とか言い出したりして。ちょっと前には「SFないか」なんて言ってたのが。だから、すごく低調な会議だったのは間違いない。
とにかく、グダーっとしていて、アレもダメ、コレもダメという感じで。ただ、富野氏は、影でいろいろと書いて進めていたんだよね。その場では彼はすぐに提案しなかったけど。グダグダしていても出てこないから持って帰ってそれぞれ宿題として考えるという感じでお開きになって。そんな感じじゃいい企画なんて出るわけがない。
何か言って恥をかくの嫌だから、適当な思いつきなんか言わないよね。そんな中で、次の会議の時に富野氏が意見を出してきて。俺は「よくこんなものを書いたな」って感心したけど、よく見ると日付が書かれていて、2~3カ月かけて書かれているのがわかってね。「そうか、前から書いていたのか」って。それはかなり後になってから気付いた。その富野案が出てからは、あとは早かった。対抗馬もないし、わけがわからないところがいいんじゃないかと。そういう感じで、そこから細かいところを詰めていったと。
富野由悠季が出した最初期の企画のタイトルは『フリーダムファイター』。当初は、ジュール・ヴェルヌの書いた冒険小説『十五少年漂流記』をベースにした、SF作品として企画されており、ロボットアクションものではなかった。
その後、スポンサーである玩具会社のクローバーの意向なども取り入れられ、ロボットアクションものへとシフト。『ガンボーイ』、『宇宙戦闘団ガンボーイ』とタイトルを変更しながら企画が練られていく中で、その後の世界観のベースとなる「スペースコロニーに移住した人類と地球に住む人類による戦争」を背景とした作品として洗練されていくことになる。
企画の詰め方に関しては、前後関係でわからないところがあるんだよね。友人の高千穂遙から、ハインラインの書いたSF小説『宇宙の戦士』が面白いから読めと言われて。そこから得たパワードスーツのアイデアがあり、スタジオぬえのデザイナーだった加藤直之がデザインしたものもあって、「ロボット、ロボットとばかり言ってないで、こういうのもあるんだから」とヒントをもらったりしていたんだけど、それと富野メモが出されたのはどちらが先だったかわからない。富野メモを読んだ時には、とても新鮮な感じがあって、無から有が出たというイメージが残っているから、物語の設定とロボットのデザインというふたつの案件は別進行だったんじゃないかなと。
ただ、パワードスーツというのは、なんだかよくわからないけど、フレーズとしては新しい。それは、俺もそうだし、山浦さんも、たぶん富野氏も、大河原邦男さんも共通のヒントとしてもらっていると思う。ただ、当初は完全に人間が着込むやつで、身長も2メートルちょっとだった。あの頃のアニメのロボットは、身長も100メートルとかになっているのもいて、そんなものはレイアウトができない。民家を入れて描けなんて言われても小さすぎちゃう。そんな中で、2メートルという案が出るんだけど、それもかなり極端だから、最終的には18メートルになった。あれは、5~6メートルに収まっていればもっとリアリティがあったのかもしれないよね。そんな『ガンダム』の企画に対して永井豪さんに後から「兵器という発想にはやられた」って言われたことがあったのも意外だった。
結果的に、「ロボットが兵器だった」という発想は横山光輝さんが描いた『鉄人28号』に先祖返りしているわけでね。鉄人は軍の試作兵器という設定で、そこから永井豪さんのマジンガーシリーズが生まれたわけだけど、永井さんの頭の中に「ロボットが兵器である」という発想がなかったというのは面白い。
安彦も「ロボットを兵器として扱う」というアイデア、そして人類の戦争が行われている状況でそれが使われるという設定に関しては、大いに納得できるところがあったようだ。
それは、それまで描かれてきたロボットアニメにおける「敵」の存在を描くにあたってのリアリティの欠けた存在感やそれを描写していく苦労、設定に大きな変化がないパターン化という問題点を解消し、満足のいく設定付けができたからであった。
ロボットアニメで描かれる荒唐無稽さに、何が何だかわからない敵が毎週攻めてきて、「今週も地球を守ったぞ」というのは、やはり乗りきれない。そういう意味では、兵器というのは面白いなと。
それまでロボットものに対しては、どこか自分の中で「いい大人がやる仕事じゃない」という思いがあったわけですよ。そんな中、キャラクターデザインだけ担当した『無敵超人ザンボット3』で、宇宙人が巨悪として出てきて、その戦いによって地球がちょっとした戦時下に置かれる状況になり、避難民が逃げる……なんてシーンを富野氏が描いた。当時、俺は『宇宙戦艦ヤマト』で忙殺されていたから、『ザンボット3』はキャラを描くだけだったんだけど、絵コンテを見たらそんな展開になっていて、「何だこの話は!」って驚いて。あれは日本サンライズにとっても初の自社版権作品。参加したかったという思いはあったんだけどね。結局、評価としては金田伊功さんの仕事だけが残ったという印象が強いよね。
『宇宙戦艦ヤマト』は昔懐かしの戦記ものだけど、こっちも毎回ハッピーエンドではなく、続きものとして描かれている。だから、明らかにターゲットが幼児向けではないのがわかって、「今までのアニメとは違うな」という印象がすごく強かった。「ああ、こういうのもありか」という感じはしたよね。同じ時期に『アルプスの少女ハイジ』が出てきて。それ以前でも『ルパン三世』とか、虫プロの『クレオパトラ』とか、ハイターゲットのものはあったんだけど、その中でも『ヤマト』は今までにない感じの作品で、そこに関われるのは良い経験だと思ったね。
富野氏の出した企画の何が面白かったのかと聞かれるとわからないんだけど、とにかく何だかよくわからないから面白いっていう。「これは何かあるんじゃないのか?」って感じで。大体、それまでの企画は「侵略されたから戦おう!」みたいなわかりやすいというのが、ある意味難点だったから。一般的な視点からは、ちょっとわかりづらいというのがいいなというのはあったんだよね。
こうして『機動戦士ガンダム』の企画や設定が固まっていく中で、企画初期から参加していた安彦もメインスタッフとして関わっていくことになる。
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※次回「『機動戦士ガンダム』とアニメーターとしての隆盛(後編)」は5月18日(水)17時公開予定です。
本書『安彦良和 マイ・バック・ページズ』では、アニメ『機動戦士ガンダム』のほか、『クラッシャージョウ』『巨神ゴーグ』『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』、漫画『アリオン』『虹色のトロツキー』『天の血脈』『乾と巽-ザバイカル戦記-』などの作品についてのインタビューや、単行本発収録となる漫画『南蛮西遊記序章』(オールカラー24ページ)も収録。安彦良和の「マイ・バック・ページズ=歩んできた長き道のり」、その軌跡のすべてが詰まった一冊。書籍・電子書籍ともに好評発売中です。
また、ゲーム&カルチャー誌『CONTINUE』では、『安彦良和 マイ・バック・ページズ』が特別編として復活! Vol.76から全3回の予定で、待望の監督最新作となる映画『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』の公開を控える安彦良和氏に再びロングインタビューを敢行。こちらも併せてチェックしてみてください。
筆者について
1947年生まれ。北海道出身。1970年からアニメーターとして活躍。『宇宙戦艦ヤマト』(74年)、『勇者ライディーン』(76年)、『無敵超人ザンボット3』(77年)などに関わる。『機動戦士ガンダム』(79年)では、アニメーションディレクターとキャラクターデザインを担当し、画作りの中心として活躍。劇場用アニメ『クラッシャージョウ』(83年)で監督デビューする。その後89年から専業漫画家として活動を開始し、『ナムジ』『神武』などの日本の古代史や神話をベースにした作品から、『虹色のトロツキー』『王道の狗』など日本の近代史をもとにしたものなど、歴史を題材にした作品を多く手掛けている。2001年から『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』の連載をスタート。10年にわたる連載終了後、アニメ化。現在『月刊アフタヌーン』にて『乾と巽-ザバイカル戦記-』を連載中。2022年6月には待望の監督作『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』が公開された。
1971年生まれ。茨城県出身。アニメ、映画、特撮、ホビー、ミリタリーなどのジャンルで活動中のフリーライター・編集者。アニメ作品のパッケージ用ブックレット、映画パンフレット、ムック本などの執筆や編集・構成。雑誌などで、映画レビューや映画解説、模型解説、インタビュー記事などを手掛けている。著書に『マスターグレード ガンプラのイズム』(太田出版)、『機動戦士ガンダムの演説から学ぶ人心掌握術』(集英社・共著)、『不肖・秋山優花里の戦車映画講座』(廣済堂出版・共著)などがある。