「花火見に行かない?」活動させるリハビリで仕事復帰を目指す!/夫が脳で倒れたら

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「献身的」で、なくていい! 突然、働き盛りの夫を襲った脳卒中と半身の後遺症。何の知識もなかった私は、ゼロから手探りで夫の復帰までを「闘う」ことになる――。当事者だけがツラいんじゃない。家族にも個別のツラさがある。ライター・三澤慶子が綴る、葛藤と失敗と発見の記録。今回は、本書第5章から一部ご紹介。リハビリには、ときには体がびっくりするような無茶も刺激になる。それならば――。

過剰な保護より適度な刺激

難しい脳疾患を持つ子どもの手術とその後のリハビリを含めたケアに尽力されている、小児脳神経外科の医師にインタビューさせていただく機会があった。医師は麻痺のある子どもたちの能力を引き出すため、常識的には無茶だとされるような体験をさせ、ときに批判を浴びることもある。でもこのやり方が功を奏しているケースが多々あることは、医師に子どもを長年ケアしてもらっている保護者さんたちへのインタビューでも分かったし、実際に子どもたちにも会ってこの目で確認もした。

医師はインタビューの中でこんなことを言っていた。

「子どもってのは行動を制限されていると身体機能が伸びないですね。麻痺を持つ子も同じです。身を守る動きができないからとか、菌に感染するからって過剰に保護すると本来伸びるべき能力は伸びないです。チャレンジしていかないと子どもの能力は出てこない。動けない子もある程度動かしてやると筋肉が反応して抵抗しようとするから、そこで動きが出てくる。想定してないことを起こしてやることが大事です。それを乗り越えて能力は引き出される。やれるんです。能力はある。刺激して、それをどううまく引き出してやるかです」

小児脳神経外科医が言う、常識的には無茶だとされる刺激っていうのは子どもたちがみんな成長過程で経験するようなことだ。ざっくり言えば外気の中で遊ばせたり、プール遊びさせたりというようなこと。麻痺があるから、疾患を抱えているからと過剰に保護するより、子どもらしい活動をさせてやることで能力が伸び、抵抗力がつき、麻痺が改善したりもする、と言う。

インタビューはトドロッキーの退院後にさせてもらったのだけれど、この方法論はトドロッキーのような大人にも十分有効だと感じた。子どもの脳は学びの速度がハンパないけれど、大人の脳だって十分学ぶ。だから高齢者だってリハビリテーションが成立するわけなんだし。

トドロッキーは段階的に取り組むリハビリテーションを受けているが、ときに体がびっくりするような無茶、つまり発病しなかったら普通にやっていただろうことにチャレンジしてみることは有効だってことだ。

で、振り返ってみれば、入院中の原稿書きはこのチャレンジに相当することだったように思う。そしてもうひとつ、歩きに関しての大きなチャレンジが退院前にあったのだが、あれも多分いい効果をトドロッキーにもたらしたんじゃないかと思う。

花火を見に行こう

千田技くんが退院し、森崎くんも退院して病室内で1番若いのがトドロッキーとなった頃、退院まであと1カ月となり外泊ができるようになった。つまり一泊の帰宅訓練だ。

トドロッキーの機能回復の程度はというと、杖をついてゆっくり歩けるようになり車椅子は必要なくなった。腕の痙縮はあまり良くならず、肘と手首は曲がったまま。手のひらも軽いグーの状態だが、人差し指がほんの少しだけ動くようになった。滑舌もちょっと良くなったように思う。ちなみにこの頃になると体重が発病当時より30キロ落ちたことで血圧も下がった。

一回目の帰宅で、時間をかけてゆっくり行けば、わりと問題なく外を一人で歩けることが分かった。

二回目を迎えるにあたって、せっかくだから楽しいことをしてみるのはどうかとトドロッキーに提案してみた。

「花火見に行かない?」

ほぼ毎年見に行っている、家からとても行きやすい場所で開催される中規模の花火大会がある。トドロッキーをこれに誘った。

「花火!」

トドロッキーは分かりやすく面食らっていた。

中規模とはいえさすがに花火大会、人出がすごい。花火を夜空にでっかく見ようとすればギュウギュウの人波に乗って歩かねばならず、これはトドロッキーには無理だ。マイペースで歩けるくらいのところで見るとなると打ち上げ場所から少し離れたあたりだが、そこで十分。帰りの電車は通勤時くらい混雑するが、のんびり時間を潰して乗り込めばこれも問題ないだろうと踏んだ。

「問題はさ、駅からけっこう歩くことなんだよね。あと坂道。行きは下り坂で、帰りは上り坂……」

けっこうな勾配ではある。

「タクシーに乗るにしても、会場近くは通行止めだし拾えないだろうから、やっぱり駅くらいまでは歩かないとなんないね。あと、土手の上り下りもあるか。でも階段あるし。シートには座れないだろうけど椅子なら大丈夫じゃない? 行くならアウトドア用の椅子でも持ってけばいいんだと思うんだよね。どお? やってみる?」

「花火かあ」

無理だよと笑ってたけれど、せっかく生き延びたんだし、長い入院生活を耐えてきたんだから何か楽しいことしよう。花火どう? みたいなことを言っているうちにトドロッキーは次第にその気になりだした。

「行けるかなあ」

行けるに決まってる。脱水症状に気をつけながらゆっくり歩けばいい。水も荷物も全部私が持つ。

「途中でだめだと思ったら引き返せばいいんじゃない? 結構歩くことになるけど夜の散歩だと思ってさ」

家族で行き慣れてる花火大会だ。どこの駅で降りて、どれくらいの坂をゆけばどのあたりに着くか、そこはどのくらいの人出か、路面状況がどんな感じか、電車の混み具合もタクシーが拾えそうかどうかってのもトドロッキーは分かっている。

「トイレどうかな」

そうだった、トイレ問題はトドロッキーには大問題。もよおすと長い間我慢はできない。

「会場にもあるけど並んでるかな。駅で行っとく、だね」

やめとくって言うのかな、と思ったそのとき。

「行ってみようかな」

お。トドロッキーの中で花火がトイレに勝ったみたいだ。よく言ったトドロッキー。

息子たちも誘ってみれば一緒に行くという。やった、椅子持ち人員確保だ。かくして、トドロッキーの発病前もあまりなかった家族4人全員揃ってのお出かけ敢行。

結論から言えば、やれたし楽しかった。息子たちは夏休みに入っていてもう終盤、予定になかった家族旅行に行けちゃったくらいのイベントとなった。

目的地までは時間をかけて行った。土手の階段は暗くて足元が見えにくかったが奇跡的に手すりが付いていたため、トドロッキーは一人で乗り切った。できるだけ周囲の人の邪魔にならないような場所を選んでトドロッキー用の椅子をセット。その横に私と息子二人が座るシートを広げた。

花火は始まりから終わりまで堪能することができた。

帰りは人波を避けて、どこかで時間を潰して混雑した電車を回避しようかと思ったが、これには及ばなかった。トドロッキーは帰路の薄暗い上り坂を一歩一歩慎重に、集中の面持ちで、ものすごく時間をかけてゆっくり歩いたが、おかげで歩いているうちに人波は引いていき、駅にたどり着いたときには電車の混雑もなくなっていた。

上り坂をゆくトドロッキーはかなりキツそうで、もう少し歩きが回復してからの方がよかったのかなと一人反省し、どこかに空車のタクシーが流れていないかとずっと探していた。けれどさすがになかなか見あたらない。

やがて人波が引いた頃に現れ始めたけれど、父親の超スロー歩行に合わせて一緒に歩く息子たちの様子を見ているうちにタクシーを止めることに躊躇いが出てきた。

「どうする?」

トドロッキーに聞いてみれば、

「大丈夫」

このまま歩くことを選択した。

徒歩と電車での帰宅をやり遂げたトドロッキーは感慨深そうに言った。

「また花火が見れるなんて思ってなかったよ。もう無理だと思ってた」

それからばたりとベッドに横になるや、すぐに深い眠りについた。

翌日病院に戻ったトドロッキーが理学療法士に報告すると、「花火行ったんですか! よく行けましたね!」とものすごく驚かれたそうだ。

この経験でトドロッキーは大きな自信を得た。長い距離を歩くことや遠くに出かけることへの恐怖が薄らいだようだったし、さらに違うチャレンジをするきっかけにもなった。

退院後は飛行機に乗って取材に出かけることにもチャレンジし、やり遂げることができたのもこの経験がステップになったからだと思う。飛行機のときは杖を使っていたが、その後杖なし歩行にチャレンジした。初めて杖なしで取材に出かけた日は転倒の怖れからかなり緊張していたが、これもやり遂げることができ、その後ずっと杖なしでなんとか歩けている。

チャレンジはその後の可能性を拓くためのステップなんだと強く思う。子どもの成長と同じ。いい連鎖をしていったんじゃないだろうか。

* * *

この続きは『夫が脳で倒れたら』本書にてお読みいただけます。
*本文中に出てくる病院、医療関係者、患者などの固有名詞は仮名です。

筆者について

三澤慶子 × 轟夕起夫

みさわ・けいこ。北海道生まれ。ライター。
(株)SSコミュニケーションズ(現(株)KADDKAWA)にてエンタテインメン卜誌や金融情報誌などの雑誌編集に携わった後、映像製作会社を経てフリーランスに。手がけた脚本に映画『ココニイルコト」『夜のピクニック』『天国はまだ遠く』など。半身に麻痺を負った夫・轟夕起夫の仕事復帰の際、片手で出し入れできるビジネスリュックが見つけられなかったことから、片手仕様リュック「TOKYO BACKTOTE」を考案。

轟夕起夫

とどろき・ゆきお。東京都生まれ。映画評論家・インタビュアー。『夫が脳で倒れたら』著者・三澤慶子の夫。2014年2月に脳梗塞を発症し、利き手側の右半身が完全麻痺。左手のみのキーボード操作で仕事復帰し、現在もリハビリを継続しつつ主に雑誌やWEB媒体にて執筆を続けている。近著(編著・執筆協力)に「好き勝手夏木陽介スタアの時代」(講談社)J伝説の映画美術監督たちX種田陽平」(スペースシャワーブックス)、「寅さん語録」(ぴあ)、「冒険監督塚本晋也」(ぱる出版)など。

  1. プロローグ/夫が脳で倒れたら
  2. 第1章 発症、麻痺の悪化とセカンドオピニオン~夫は『ゼロ・グラビティ』の境地へ①/夫が脳で倒れたら
  3. 第1章 発症、麻痺の悪化とセカンドオピニオン~夫は『ゼロ・グラビティ』の境地へ②/夫が脳で倒れたら
  4. 第1章 発症、麻痺の悪化とセカンドオピニオン~夫は『ゼロ・グラビティ』の境地へ③/夫が脳で倒れたら
  5. 第1章 発症、麻痺の悪化とセカンドオピニオン~夫は『ゼロ・グラビティ』の境地へ④/夫が脳で倒れたら
  6. 第1章 発症、麻痺の悪化とセカンドオピニオン~夫は『ゼロ・グラビティ』の境地へ⑤/夫が脳で倒れたら
  7. 第1章 発症、麻痺の悪化とセカンドオピニオン~夫は『ゼロ・グラビティ』の境地へ⑥/夫が脳で倒れたら
  8. 第1章 発症、麻痺の悪化とセカンドオピニオン~夫は『ゼロ・グラビティ』の境地へ⑦/夫が脳で倒れたら
  9. 第1章 発症、麻痺の悪化とセカンドオピニオン~夫は『ゼロ・グラビティ』の境地へ⑧/夫が脳で倒れたら
  10. 第1章 発症、麻痺の悪化とセカンドオピニオン~夫は『ゼロ・グラビティ』の境地へ⑨/夫が脳で倒れたら
  11. 第1章 発症、麻痺の悪化とセカンドオピニオン~夫は『ゼロ・グラビティ』の境地へ⑩/夫が脳で倒れたら
  12. 第1章 発症、麻痺の悪化とセカンドオピニオン~夫は『ゼロ・グラビティ』の境地へ⑪/夫が脳で倒れたら
  13. リハビリの基礎知識~急性期リハビリテーション開始!/夫が脳で倒れたら
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『夫が脳で倒れたら』試し読み記事
  1. プロローグ/夫が脳で倒れたら
  2. 第1章 発症、麻痺の悪化とセカンドオピニオン~夫は『ゼロ・グラビティ』の境地へ①/夫が脳で倒れたら
  3. 第1章 発症、麻痺の悪化とセカンドオピニオン~夫は『ゼロ・グラビティ』の境地へ②/夫が脳で倒れたら
  4. 第1章 発症、麻痺の悪化とセカンドオピニオン~夫は『ゼロ・グラビティ』の境地へ③/夫が脳で倒れたら
  5. 第1章 発症、麻痺の悪化とセカンドオピニオン~夫は『ゼロ・グラビティ』の境地へ④/夫が脳で倒れたら
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  18. 『夫が脳で倒れたら』記事一覧
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