5月13日(金)に公開された『シン・ウルトラマン』。庵野秀明氏による「シン・」シリーズはご存知のとおり、この後にも更に『シン・仮面ライダー』が控えていますが、ゴジラ、エヴァンゲリオン、ウルトラマン、仮面ライダーと連なる一連の「シン・」作品群には、一貫して通底する美学や方法、これまで見えにくかった文脈が確かに存在します。それを初めて可視化するのが、大塚英志新刊『シン・論 おたくとアヴァンギャルド』です。
ここでは、本書から一部をご紹介していきます。(全3回)
ローアングルの鉄塔の系譜学
庵野秀明監督による『シン・エヴァ』(2021)の宣伝用ビジュアルのひとつに、赤いエッフェル塔を極端なローアングルから捉えたものがある【図1】。この写真からドイツ出身の写真家ジュルメーヌ・クルルが、パリを舞台に橋やエッフェル塔などの鉄骨からなる巨大建造物を極端なカメラアングルで捉えた写真集『Métal』(1927、【図2】)を連想することはさほど難しくない。
本章は、あるいは本書そのものが比喩的に言えばこの2つのローアングルの鉄塔の間を埋めるものだが、目論むのは章タイトルにひとまず便宜的に掲げた系譜学ではなく、それが指し示す文脈、あるいは方法=美学の水脈である。それをトレースすることで庵野秀明に至るこの国のおたく文化が収まり得る歴史の所在を確認することにある。
戦後のアニメやその周辺の文化に限定すれば、このローアングルのエッフェル塔からただちに想起されるのは、例えばスタジオジブリのネコバスのいる送電線であろう。メイの視線から見上げれば必然的に過度のローアングルとなるが、むしろ興味深いのはスタジオジブリの近隣に実在し、印象のジブリアニメっぽさを以て「ジブリ鉄塔」とWEB上で呼ばれている鉄塔をファンが撮影した写真が、『シン・エヴァ』ポスター以前にロングショットではなく過度のローアングルからかなりの確率で撮影されてきた事実で、「ジブリ鉄塔」で画像検索すれば明らかである。彼らは庵野のポスターを当然だが予見したわけでなく、かといってその撮影者の全ての写真史的教養がクルルに届いていた、というわけではないだろう。いささか文学的に比喩するなら彼らはむしろ「ネコバスのいる鉄塔」の写真的古層を鉄塔のある現場に立ちカメラを構えた瞬間、掘り起こしてしまったといえる。
無論、その時、彼らの念頭に岩井俊二の映画『リリイ・シュシュのすべて』の映像やポスターの鉄塔、あるいは銀林みのるの小説『鉄塔 武蔵野線』の装丁が念頭にあった可能性もある。
あるいはやや毛色は違うが、『ジョジョの奇妙な冒険』第4部「ダイヤモンドは砕けない」の鋼田一豊大の買い取った鉄塔や、比較的新しい世代はアニメ『月刊少女野崎くん』に於ける鉄塔を想起するだろう。そして何より新海誠『ほしのこえ』以降の彼のアニメのアイコンでさえあるローアングルの鉄塔や電柱、踏切等に「新海誠らしさ」を感じとるファンは圧倒的だろう。そしてこれらの「ジブリっぽさ」「新海誠らしさ」は「庵野秀明らしさ」でもあるのは言うまでもない。
更にここに円谷英二「ゴジラ」が何故、鉄塔や送電線とともにカメラによって見上げられる必要があったのかと思い起こしてもいいだろう。あるいはそれらを破壊する「ゴジラ」は鉄塔の系譜への何らかの「批評」であった可能性さえある。
それにしても一体、これらの戦後アニメのおたく領域の一角に歴然と存在する美学、すなわち鉄塔やそれに類するものを描く様式とは何なのか。
と、一応は白々しく問うてみる。
例えばそこに【図3】の如き鉄塔を配置した時、『ジョジョ』はともかくジブリ、岩井、新海のローアングル鉄塔に感じとった詩情とは全く異質の印象を多くの鉄塔ファンは抱き、生理的に拒絶するだろう。
これは「大政翼賛会宣伝部監修 建設漫画会編」と記された冊子『勝利への道―漫画も戦う―』(1942、翼賛図書刊行会)に掲載されたプロパガンダまんがである。「長期建設」とはこのビルだか塔の建設が長期に渡るという意味でなく「大東亜共栄圏の建設」、即ち銃後に於ける労働者の「戦争」を意味する戦時体制用語である。「建設」は昭和初頭においてはソビエト社会主義国家の「建設」を連想させる語感があったが、マルクス主義から翼賛体制の推進者に転じたまんが家・加藤悦郎が同書の実質的な編者である。ちなみに彼は戦後、再び共産党に転向する。そう記せば尚更、読者の中に鉄塔の詩情と対極の政治性に顔をしかめる向きもあろう。しかしこのプロパガンダまんが一葉を挿入することで『シン・エヴァ』の赤いエッフェル塔はそれが帰属する歴史に初めて正確に接続可能となるといえるのだ。即ち「戦後のまんが・アニメ史」から戦前・戦時下のもう少し広い視覚表現の歴史にこのローアングルのエッフェル塔は遡行し得るのである。
* * *
本書では他にも、多くの参照図版とともに「見えなかった系譜」が明らかにされます。他にも、『シン・エヴァ』シリーズや手塚治虫、柳田國男の映画論などからひも解く郷土映画論や、『シン・ゴジラ』でも描かれた日本映画独自の「変身」「変形」への執着論など、著者・大塚英志が戦後の「おたく」表現のフェティシズムや美学の出自について新たな切り口で論考しています。
大塚英志の最新刊、挑発的芸術論『シン・論 おたくとアヴァンギャルド』は、全国の書店・通販サイトや電子書店で大好評発売中です。
筆者について
おおつか・えいじ。国際日本文化研究センター教授。まんが原作者。
著書に『手塚治虫と戦時下メディア理論 文化工作・記録映画・機械芸術』(星海社、2018年)、『大政翼賛会のメディアミックス『翼賛一家』と参加するファシズム』(平凡社、2018年)、『大東亜共栄圏のクールジャパン「協働」する文化工作』(集英社新書、2022年)、『「暮し」のファシズム ――戦争は「新しい生活様式」の顔をしてやってきた』(筑摩選書、2021年)、『シン・論 おたくとアヴァンギャルド』(太田出版、2022年)、『木島日記 うつろ舟』『北神伝綺』『北神伝綺 妹の力』(いずれも星海社、2022年)など。
現在の研究テーマは戦時下のメディア理論と文化工作。