九月十三日

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何もない“おしまいの地”に生まれた著者・こだまの、“ちょっと変わった”人生のかけらを集めた自伝的エッセイ集「おしまいの地」シリーズ。『ここは、おしまいの地』『いまだ、おしまいの地』に続く三部作の完結編『ずっと、おしまいの地』発売を記念して、シリーズ第1作目に続き、シリーズ第2作目となる『いまだ、おしまいの地』からも6つのエピソードを特別に公開します。
今回は、“身だしなみ”について。

子供のころから身だしなみに無頓着だった。記憶に残らない地味すぎる顔だし、ださいし、誰とも遊ばないからこのままでいいし、と「歳相応に綺麗に保つ」ことから早々に離脱していた。ださいからこそ人一倍の努力が必要なのでは。そう気付いたのは四十手前になってからだ。

そんな無頓着さが原因で不名誉なあだ名を付けられた。

小5の春、私は心の準備もないままバレーボールを始めることになった。友達がおらず、家にこもっている娘を見かねた母が勝手に入部届を出してしまったのだ。本人の知らぬ間に入部が決まっていた。

「明日から練習に行きなさい」と突然言われ、アシックスのシューズと膝のサポーターを手渡された。母の言うことは絶対である。自分の意思などないようなものだったので、翌日から言われるがまま、体育館で行われている練習に参加した。

バレー部には同じクラスの女子も数名いた。私は勉強よりスポーツのほうが得意だったけれど、バレーのことは何も知らない。ボールに触れるのも初めてだった。

困ったのはバレーそのものではなく、練習前や休憩時間の居場所のなさだった。人との接し方がわからない。かといって、ひとりでぽつんと座っているのも気まずい。

熱血指導の監督が機械みたいに打ちまくるスパイクを拾い続けているほうが、ずっと気楽だった。練習中はおしゃべりをしなくていい。拾って、打って、ボールをつないでいればいい。そういうことなら私にもできる。

なんだ、床に落とさなければ勝てるんだ。そう単純に解釈したら、バレーをおもしろいと思えるようになった。半ば強制的に入部させられたことも忘れ、黙々と練習に打ち込んだ。学校で廃棄処分になった表皮のめくれ上がったボールを持ち帰り、近所の廃工場の壁を相手にレシーブを繰り返した。百回続いたら、次は二百回、三百回。私より早く入部していた同級生に追い付きたかった。

私には「これをやりたい」という強い意志や希望はないけれど、殊に勉強やスポーツにおいて「与えられた環境下での最高」をめざすという、ねじれた向上心だけは発達していた。「ナイスサーブ!」「そーれ!」「ドンマイ!」日常では決して発しない掛け声の数々も「そういう規則」と思えばできる。会話は躊躇するが、これなら大きな声で言えた。

あっという間にみんなに追い付き、その夏にはレギュラーのユニフォームをもらった。そのときにちょっと浮かれてしまったのがよくなかったのかもしれない。知らず知らずのうちに態度に表れていたのだろう。

蒸し暑い夏休みの練習日だった。休憩中に水飲み場へ行くと、みんなが私を見てくすくす笑った。仲間から仲間へ耳打ちしている。むかしから人にからかわれやすい性質だったが、このときは何が起きているのかわからなかった。

棒立ちになっている私に、その中のひとりが去り際、小さな声で言った。

「腋毛さん」

全くわからない。なぜに私が「腋毛さん」。

腑に落ちぬまま練習が再開。いつものようにネットに向かって両手を上げて構えていると、反対側のコートに立つメンバーが一斉に笑うのだった。

急に不安になり、「トイレ行ってきます」と監督に申し出た。女子トイレに駆け込み、鏡の前でおそるおそる両腕を上げてみた。

驚愕した。何だこれは。私の両方の腋の下に、太くて縮れた毛がくっきりと生えていたのだ。両腋にちょうど2本ずつ。心拍数が一気に上がった。

こんな醜いものをもろ出しにしながら張り切ってブロックやアタックをしていたのか。無自覚にも程がある。腋の下を鏡でチェックする習慣なんてなかったのだ。

その日着ていたのは、腋の大きく開いたタンクトップ。見てくれといわんばかりのスタイルだ。これは笑う。凝視する。「腋毛さん」で間違いない。敬称を付けてもらえただけありがたいと思わなければいけない。

さて、困った。どうやって練習に戻ろう。私は意を決し、左の腋毛を1本つまんで力いっぱい引っ張った。だが毛根の皮膚がぴんと伸びるばかりで抜けない。もう1回頑張ろう。笑われるのは嫌だ。廃工場の壁にボールをぶつけているときの気分だった。よし、と勢いを付けてグッと引っ張ったら抜けた。光が見えた。この調子だ。

左、ラスト1本。奥歯に力を込めて引き抜いた。成功だ。左の腋の下はビンタをされたように赤く腫れてしまったが構わない。

次は右だ。利き手が使えないのでうまくいかない。中途半端に引っ張ると痛いだけだ。呼吸を整え、この一抜きにすべてを賭ける。毛をつまみ、天井に向けて勢いよく引いた。よし、成功。

右、ラスト1本。練習中の掛け声のように「ラスト!」と自分を励ます。迷いを捨てて全力で引き抜いた。両腋とも赤く腫れてしまったが、これでもう恥ずかしがることはない。

私は晴れやかな気分でコートに戻り、先ほどのポジションについた。相手コートに向かって両手を上げて構えると、ネットを挟んで対面した子の表情が明らかに困惑していた。

毛がなくなっている!

さっきまで確かにあった4本がない!

で、腋の下ありえないくらい真っ赤!

そういう顔をしていた。

練習の最後はサーブの打ち込みと決まっていた。コートの両サイドに分かれて20本連続で成功するまで続けるのだ。

「毛が消えた」「むしった」

場が騒然とし、もはやサーブどころではない。結果的に、より人々の記憶に残るようなことをしてしまったのだ。

* * *

約30年の時が流れ、私の初のエッセイ集『ここは、おしまいの地』が先日、講談社エッセイ賞という大変名誉ある賞をいただいた。

あまりにも予想外の出来事だった。

夕飯の用意をしようと米を研いでいたとき、担当編集者からの一報が届いた。のっそりと暮らす私だが、このときばかりは「ひいいいいいいいー! きいいいいいいいー!」と首を絞められた猿みたいな悲鳴を上げた。それでも興奮は収まらず、居間の床をごろんごろんと転がって全身の震えを止めた。

泉のように溢れ出る喜びのあとに訪れたのは、目の前に横たわる現実だ。

地方の山奥暮らし。作家活動を家族や知人に打ち明けていない。

果たして、こんな状況で授賞式に出席できるのだろうか。

どうすればいい。再び床を転がった末に出た結論は「とりあえず腋の永久脱毛しなきゃ」だった。なぜか、それだった。

授賞式は9月13日。人前に薄着で出ることと腋が直結したのは過去のトラウマによるものだろう。早速、脱毛サロンに予約を入れた。普段の自分には考えられない行動力を見せた。

こうして人生初の永久脱毛に通い始める。初回は体験コースだった。格安で20本抜いてもらえるという。言われるがまま個室のベッドで仰向けになり、腋を丸出しにした。

「当日は毛を伸ばした状態でお越しください」という要望通り、大切に育ててから伺った。

初対面の人にそれを見せなければいけない。若くて美しいスタッフが電流棒のようなものを私の腋に当てながら話しかけてくる。リラックスさせるためなのかもしれないが、私の感情は腋をあらわにした時点で死んでいた。

「お仕事は何をされてるんですか?」ピッピピッ。

機械音とともに、微かな痛みが走る。

「適当に、家にいるような感じで……」

「普段どのようなお手入れをされているんですか?」ピッピピッ。

「適当に、その場限りの処理で……」

「今回どうしてご来店されたんですか?」ピッピピッ。

「なんとなく、やっておこうかと思って……」

「いつごろまでに終了したいという目安はありますか?」ピッピピッ。

「9月13日です」

「えっ」

お姉さんの手が止まった。ずっと曖昧に答えていたくせに、その質問の回答だけ不自然なほど明瞭。電流棒を当てて自白させる拷問みたいだなと思った。

「それなら去年の秋から通っていただかないと」

「そんなに前から!」

愕然とした。私はどこまで無知なのか。毛にはそれぞれ生えてくるサイクルがあり、何度も通わなければ綺麗にならないそうだ。これは脱毛界の常識らしい。

「9月13日には無理でしょうか」

「そうですね、完璧にはできないですね」

「そうですか……」

「9月13日にいったい何があるというんですか?」

お姉さんは村上春樹の本のタイトルみたいな口調で尋ねてきたが、私はわかりやすく心を閉ざしてしまった。

「でも、できる限りのお手伝いをさせていただきますね」

お姉さんはやさしく励まして下さった。

「私みたいな歳でも通う人いますか?」

「入院や介護の前に体を綺麗にしておきたいとか、スイミングスクールに通う方とか、たくさんいらっしゃいますよ」

なるほど中高年っぽい理由である。

「ところで9月13日に何があるんですか?」

彼女はまだ諦めていなかった。

帰り際「キャンペーン中なのでクジを引いて下さい」と言われ、箱の中から1枚引いた。1等だった。全員に一等が当たるようにできているのではないか。そんな穿った目で景品を確認すると「脱毛30本サービス」と書いてある。思わず笑った。そうだった。ここは奪うことで喜ばれる世界なのだ。

「事情はわからないけど思いつめてるようだから9月13日に間に合わせたい」という協力態勢によりハイペースで進めてもらっていた脱毛だったが、思わぬ自然災害に阻まれ、3回目以降は通うことができなくなった。店に通う交通手段も失った。

もはや脱毛どころではない。停電が続き、携帯電話も使えない。私は家を飛び出し、坂の上にぽつんと建つ電話ボックスをめざした。東京で会う予定になっていた担当編集者と連絡を取るにはこの方法しかない。コール音が続く。留守番電話サービスにつながったので慌てて切った。

授賞式の日程は迫っている。このまま連絡できなかったらどうしよう。普段インターネットでしかやりとりしていないということが急に心許なく思えてきた。東京がいつも以上に遠い。いま私が死んでしまっても、家族は編集者に伝えてはくれない。いつか来るかもしれないその日のことを考えると、ずっしりと心が重くなった。

いったん帰宅し、時間を置いてもう一度坂の上まで歩いた。すると今度は通じた。

「停電が続くみたいだし空港までの交通手段もなくなっちゃいました。授賞式に行けないかもしれない。復旧しても、こんなときに家族に何て言って出掛ければいいかわからない」そこまで一気に話すと涙が溢れ出た。

一生に一度の賞をいただいたのに、ここへ来て持ち前の運の悪さがとうとう出てしまった。会場には行けないし、腋毛は中途半端に残ったまま。あまりにも悔しくて、電話ボックスで子供みたいにおいおい泣いた。その中年の姿は相当不気味だったに違いない。通りすがりの老婆が歩みを止めて凝視していた。

このまま泣き腫らした目で当日を迎えるに違いない。そう思い、すっかり意気消沈していた私だったが、一週間ほどで交通網が復旧。9月13日、私は何事もなかったように授賞式の壇上に立ち、担当編集者が買ってくれたフランス製のピエロの覆面姿で賞状を受け取った。たどたどしいスピーチも何とかこなした。一緒に頑張ってきた人たちが祝福してくれた。

私はこれまで、過剰に不安になり、突拍子もない行動を繰り返してきた。

けれど、現実は私が想像しているよりも悪くないみたいだ。何よりも、ひとりで闘うしかなかった小学生のころの自分とは違う。

* * *

本書では、集団お見合いを成功へと導いた父、とあるオンラインゲームで「神」と崇められる夫、小学生を出待ちしてお手玉を配る祖母……など、“おしまいの地”で暮らす人達の、一生懸命だけど何かが可笑しい。主婦であり、作家であるこだまさんの日々の生活と共に切り取ったエッセイが多数収録されています。
また、こだまさんの最新刊『ずっと、おしまいの地』は絶賛発売中! ぽつんといる白鳥が目印です。

筆者について

こだま

エッセイスト、作家。デビュー作『夫のちんぽが入らない』でYahoo!検索大賞を2年連続で受賞(第3回、第4回)、『ここは、おしまいの地』は第34回講談社エッセイ賞を受賞。ほか『いまだ、おしまいの地』、『縁もゆかりもあったのだ』など。

  1. 九月十三日
  2. 逃走する人
  3. その辺に落ちている言葉
  4. 先生と呼ばれる人たち
  5. 崖の上で踊る
  6. 郷愁の回収
『いまだ、おしまいの地』試し読み記事
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